Baby,sing a song.
□14.5
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声のみで奏でられる音楽が、空気を震わせるのを、黄泉は優れた感覚器で受容していた。
歌詞とメロディの特徴から、魔界のものではないと判断出来たが、紗々の歌声は、黄泉の聴細胞を心地よく刺激する。
それが、人魚の声だからか、
紗々の声だからか、
その両方だからかは、分からない。
黄泉は、癌陀羅の東、人魚の泉よりも、更に東の森に来ていた。
息子の修羅に、修行を付けるためだ。
今、この瞬間、癌陀羅に居なくて良かったと、黄泉は思った。
紗々が目覚めた。
それを伝えるのは、障気に混じった、微かな空気の振動、それだけで良い。
癌陀羅に居れば、紗々の寝起きに居合わせただろう蔵馬との会話も、聞こえてしまう。
聞こえなくて良いものも聞こえてしまうのは、興が醒める。
紗々は、蔵馬に血を与えた。
蔵馬を、生かすために。
その事実を、黄泉は可笑しく思っていたし、蔵馬は「最高の仕打ちだ」と笑っていた。
あの時点で、蔵馬は、黄泉にとって、なくてはならない存在だったし、紗々もそれを知っていた。
だから、紗々が生きるよりも蔵馬が生きることの方を、紗々は選択したのだ。
人魚としての、僅かな抵抗。
「生きていて、良かった」
眠り続ける紗々の病室で、蔵馬が呟いていたのを、黄泉は知っていた。
盗み聞きは趣味が悪いと、蔵馬に言われるかもしれないが、聞こえたのは身体能力の所為なのだから、仕方がない。
第一、聞こえたことを蔵馬に言うこともないのだから、趣味が悪いと言われることもない。
つまり、問題はなかった。
問題は、紗々の歌声を聞いて、自分の動きが止まったこと。
自分の正面に立つ修羅も、鍛錬の手を止めて、声の発信源を目で捜している。
未熟だと、思う。
見えないものを、視覚で追跡する、息子が。
単一な情報に、動きを止めてしまった、自分が。
「パパ、なに、この音」
修羅が空を見上げたまま、呟くように尋ねる。
質問、というよりは、独り言に近い発音だ。
「ああ、お前は、初めて聞くんだったな。
これは、歌といってな。人間の文化の一つだ」
口角を上げる黄泉に、息子は首を傾げる。なにが面白いのだろう。この“うた”というものは、なんとなく、修羅を落ち着かない気分にさせた。
ふわふわするような、
突き落されるような、
この世に生まれて間もない修羅は、この感情を説明するほどの言葉を、持ってはいない。
生まれて、すぐに、闘うことを教えてきたのだから、当然と言えば、当然。
「歌は、嫌いか」
変わらずに空を見上げている息子に、黄泉は静かに聞いた。
情緒に関する単語を使うのは、自分でも珍しいと思った。
しかし、修羅に対しては、本能に近い言語を選ばなければ、会話が成立しないのだ。
「よく分からないけど、そうだなあ。
キライ、ではないよ」
つまり、不愉快ではない、と言うことだ。
気を付けなければならない。
修羅も、紗々の歌に魅了されたら。
紗々の存在に、魅了されたら。
それはそれで、面白いかもしれない。
不確定な未来を予想し、それを希望している自分に、黄泉は苦笑した。