Baby,sing a song.
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私が身体の異変を確信したのは、その翌日のことでした。
最初は、頭痛と嘔吐感。
吐き気は、昨日、黄泉さまから頂いた(そして蔵馬さまに無理矢理口の中に詰め込まれた)果物の所為かも知れません。
胃に固形物を入れたのなんて、何年ぶりかも分からないのですから。
それにしても、この頭痛。
頭から首の後ろ側を通って、全身に伝播してしまっているようです。
『あ―――‥‥』
「大丈夫ですか?」
ベッドに突っ伏したままの私の呻き声に、立羽さんが反応します。
「風邪、でしょうか」
『それはない、と思いますけど』
人魚の身体は、どんな毒も分解してしまうのです。
今さら風邪なんて‥‥。
「こんな時も、蔵馬さまはお仕事で、いらっしゃらないなんて‥‥」
『そればかりは、仕方ありません。
お忙しい方なのですから』
蔵馬さまは、私が想像していたよりも、遥かにご多忙のようでした。
昨夜は、ベッドの中で私を抱え込んで眠られた(抗議はしたのですが、「俺を寝させない気ですか?」の一言で、黙らざるを得なかったのです)と思えば、すぐに寝室を出て行かれました。
魔界が動こうとしている。
昨日、凍矢さんはそう仰いました。
雷禅さまの命は、もういくばくもない。
そうなると、躯さまとの総力戦は避けられない。
雷禅さまのご子息であり、蔵馬さまの戦友でもある幽助さまは、雷禅さまの跡を継いで、お国を背負う方ではないし。
何より、未だ、黄泉さまや躯さまと肩を並べる程、強くはないと。
戦争は、必至。
蔵馬さまは、その戦争の準備の為に奔走なさっていると、凍矢さんはお話しされました。
それなら、私の心臓があれば、黄泉さまに勝利をもたらす事が出来るのに。
それは、蔵馬さまの本意ではないと。
『‥‥よく、分かりません』
「なにがですか?」
立羽さんが、縫物をしていた手を止めました。
私は、今のことを立羽さんに言おうか少し迷って、やめました。
一言、『なんでもありません』と答えます。
だって、近々戦争があるのだけど、黄泉さまに私の心臓を食べて頂ければ勝てるのに、黄泉さまも蔵馬さまもそれをなさらないのですが、どう思います?
なんて、立羽さんに言えませんもの。
「病は気から、と人間界ではいうのでしょう?
悩んでられては、体調に影響しますよ」
『そうですか』
「そうですよ。
何か欲しいものはございませんか?」
『‥‥黄泉さまに会いたい』
「それは、お風邪が治ってからです」
立羽さんの切り返しに、私は黙るしかありません。
会話も終了したところで、私は立羽さんの手元を見ました。
『立羽さんは、何をしているんですか?』
「これですか?」
立羽さんはそう言うと、私の目の前に、縫物をしていた白い布を広げました。
それは、一着の、白いワンピースでした。
私が魔界に来たときに来ていたものです。
「裾が裂けていたので、繕っていました。
あと、どうしても、血の跡が上手く染み抜き出来なくて…なんとか端切れで隠せないかと」
確かに、真っ白だった筈のワンピースは私が着ていた時よりも、幾分か派手に着色されています。
そして、最も派手に血を吸い込んだ裾の辺りは、薄い紫色の大きな花のコサージュが施されていました。
『あ、可愛い』
「本当ですかっ?」
立羽さんが嬉しそうに瞳を大きくします。
『ええ、大きいのに、上品な色だから、華美すぎないで‥‥でも、この色、どこかで見たことがあるような』
「先日、紗々さまのお召し物を仕立てた時の残り布なんですよ。
時間がなかったので、揚羽用に作成中だったものを、急遽仕立て直したものですが」
あぁ、だからあんなにも大人びた着物だったのですね。
納得がいったのと同時に、立羽さんの一面が窺えた気がして、私は体調不良も忘れて嬉しさを覚えました。
『いいなぁ。立羽さん、器用で』
「何を仰ってらっしゃるんですか。
紗々さまこそ、素敵な歌声をお持ちじゃないですか」
『それは、人魚だからですもの。
私が自分で身に付けたものではありません』
ここまで言って、そういえばと思いました。
私が自分自身で身に付けた技術って、何かありましたっけ。
‥‥‥‥何も。
「紗々さま、そろそろお昼にしましょう。
外の二人も、お腹が空いているはずですから」
沈んだ私を気遣ってくださった立羽さんが、裁縫道具を仕舞ながら言いました。
凍矢さんと鈴駒さんは、さすがに寝室には入れず、リビングで待機して頂いています。
今日は朝から来て頂いたので、お掃除をしている揚羽さんのお手伝いをなさっているのです。
といっても、蔵馬さまはお部屋を綺麗にお使いになる方ですし、お仕事をなさる書斎は出入り禁止ですので、あまり掃除するところはないと思われますが。
始めた頃は聞こえた家具を動かす音も、すぐに聞こえなくなりました。
「さあ、紗々さま。
お食事を持ってまいりますから、少し待っていてくださいね」
『あまり、お腹は空いてません』
私が拒否の意を示すと、立羽さんは寝室の扉を開けながら振り返りました。
「駄目ですよ、少しでも食べないと。
今はお辛いかも知れませんが、少しずつ慣らしていかなくては」
意外に厳しい立羽さん。
そんな立羽さんの脇から、鈴駒さんの小さな顔が覗き込みました。
目尻が下がって、子犬みたいです。
「紗々、大丈夫?」
見上げる視線と声が可愛らしくて、私は鈴駒さんに手招きします。
鈴駒さんは戸惑いつつも、立羽さんを伺いました。
「少しだけですよ」と立羽さんの許しが下ると、鈴駒さんがベット脇に駆け寄ります。
「紗々、本当に風邪じゃないの?」
『ええ。‥‥多分』
風邪をひいたことがないので、症状を比較することは出来ませんが。
「今、揚羽が昼飯にしようって。
紗々、食べれる?」
『‥‥‥どうでしょう』
食べれなさそうですが、無理矢理食べさせられるに違いありません。
胃液が逆流する度に、妖力も吐き捨てられているようで、不安になってきます。
「でも、ちゃんと食べてくれないと、無理矢理食べさせなくちゃいけなくなる。
おいらたち、蔵馬にそう言われてるんだ」
ほらね、やっぱり。
蔵馬さまがいらっしゃる限り、私はいろいろと諦めなければならないみたいです。