Baby,sing a song.
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とりあえず、新しく着るものもないので、苦しかった帯と、重たかった着物だけ脱いで、下着代わりに着ていたキャミソールドレスを纏って、寝室を出ました。
着物は、後で揚羽さんたちに引き取りに来て貰いましょう。
リビングに行くと、軍服姿のままの蔵馬さまが、隣接しているキッチンで、何かをお作りになっているのが見えました。
『蔵馬さま‥‥お料理、ですか?』
「あぁ、紗々。
もう少しで出来ますから、そこに座って待っていてください」
蔵馬さまは、ダイニングテーブルを指差しました。
テーブルには、4脚、椅子が用意されています。
その内の1つに、大人しく腰掛けました。
「お待たせしました」
暫くして、キッチンから蔵馬さまが出てきました。
手にはグラス。
そして、その中身には…
『蔵馬さま…それは?』
私が恐る恐る尋ねると、蔵馬さまは待ってましたと言わんばかりの笑顔。
「これですか?
栄養満点、滋養強壮ドリンクです」
蔵馬さまは「はい、どーぞ」と、私の目の前にグラスを置きました。
『え?』
「どうしました?」
『これ、私が飲むんですか?』
「もちろん。紗々の為に作ったんですから。
毒の所為で身体に負担がかかってますからね」
『‥‥‥』
これを、飲む?
いいえ、ちょっと待ってください。
落ち着きましょう。
グラスの形に収まる液体。(いえ、固体かも知れません。とにかく、得体が知れないのです)
色は…緑というか、茶色というか。
いえ、むしろこれは、紫?
所々、赤のペーストが帯を引いています。
『これは…経口で摂取するものなんですか?』
「ええ、ドリンクですから」
『見た目の破壊力が凄いのですが…』
「味の破壊力はそれほどでも無いですから、大丈夫ですよ」
『‥‥そう、ですか?』
本当でしょうか。
でも、これを飲まなければ許して頂けなさそうな雰囲気ですし、ここは、蔵馬さまの言葉を信じて、視覚を断って一気に流し込むしか…
呼吸を整えて…
いえ、ここは、味を予想するためにも、少し匂いを嗅いで…
匂い、は‥‥見た目ほどの破壊力はありません。
むしろ、柑橘類のような、爽やかな匂いです。
「紗々?」
蔵馬さまがにっこりとプレッシャーをかけてきます。
どうやら、覚悟を決めるしかなさそうです。
グラスを両手で握って、縁を唇にあてて、両目を綴じて。
『ん‥‥』
一気に煽りました。
『あら?』
意外なことに、味はそれほど強烈ではありません。
いえ、それどころか、柑橘系の爽やかな味が口の中に広がります。
『美味しい‥‥』
私の呟きを聞いて、蔵馬さまはグラスの中身のように爽やかに微笑みました。
「それはそうですよ。
味も色も俺の自由自在ですから」
『え?‥‥では、あの見た目は?』
「嫌がらせ」
『はぁ?』
私が素っ頓狂な声を思わずあげると、蔵馬さまは子どものように笑いだしました。
「くっ…あっはっははは‥‥すみませ…ククッ‥」
蔵馬さまは笑いを堪えるのに必死、といったところです。
‥‥堪えられていませんが。
「グラスの前で唸りながらの百面相は見物でしたよ」
『…もう、なんか‥‥
いえ、何でもないです』
「何ですか?
言いたい事は、ちゃんと言った方が良いですよ」
私の口元に蔵馬さまが耳を近付けます。
綺麗な髪から溢れるバラの香りが、私の鼻腔を擽りました。
香りさえも魅力的で、なんだか悔しくて、私は蔵馬さまの形の良い耳を摘み、思い切り言ってやりました。
『意地悪』
「そうですよ。
俺は意地悪なんです。
それが何か?」
ああぅぅ‥‥
なんか、ものともしていらっしゃいませんが。
一体、どうすればこの方を負かす事が出来るのでしょうか。
‥‥黄泉さまでしたら、ご存知でしょうか。
「まぁ、味も見た目通りには出来たんですけど、飲んで貰わなきゃ元も子もないですし。
昨夜のハーブティーみたいに、後で吐かれても困りますしね」
『え?』
溜息混じりの、蔵馬さまの最後の言葉に、私は目を見開きました。
蔵馬さま、気が付いて…
「あ、それは滋養があるのは本当ですから、吐いちゃ駄目ですよ」
私が飲み干したグラスを片付けに、キッチンに消える蔵馬さまを、私は、ただ、呆然と見つめていました。