Baby,sing a song.

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 カツカツ、
 カツカツ、


長い廊下に、蔵馬さまの靴音が響きます。


 細い蔵馬さまの腕は、思ったよりも逞しく、私を抱えたまま、揺れることなく、廊下を歩いていきます。


 それにしても、なんて落ち着かない。


 さっきから、蔵馬さまはずっと押し黙ったまま。


昨日までの春のような笑顔も、優しい雰囲気も、微塵もありません。


あるのは、ナイフのような鋭い妖気。


それも、硝子のナイフのような繊細さです。


 …私が鯱さんに捕らえられてしまったことに、そんなにお怒りなのでしょうか。


私が無用心に、畑中さんを部屋に上げるから‥‥!


『あ…あの、蔵馬さま…っ!』


 思い余って顔を上げると、逆に顔を胸に押し付けられます。


喋るな、ということでしょうか。


蔵馬さまのことですから、息をするな、ということではないでしょうが、窒息しかねない圧迫感です。


 ふと、蔵馬さまが足を止めました。


「おや、これはこれは」


 廊下の先から聞こえた声は、勿論蔵馬さまのものではありません。


「妖駄か…」


 妖駄…さん?


 妖駄さんと呼ばれたお爺さんぽい方は、笑いながら近づいてきます。


「珍しいものを持っていますな。

 人魚ですか。

 肉を食らうのならば、部屋に調理師を呼ばせますが?」


「それには及ばない。

 代わりに侍女を2人ほど寄越してくれ」


「ほっほっほっ。

 人魚など貴重なものを食って、黄泉さまに目を付けられては堪りませんからな

 わかりました。後程、侍女をそちらに向わせましょう」


「あぁ、頼む」


 妖蛇さんの物騒な発言を難なく躱して、蔵馬さまは再び歩き始めました。




 私はそろそろ苦しくなってきました。


確かに人魚は、普段水の中にいる分、他の妖怪よりは息が持ちますが、陸に居る以上、肺呼吸には変わりありませんから。


あー…もう、限界かなー…。

そう思い始めた時、蔵馬さまが、また、止まります。


 扉を開けて、どこかの部屋に入ったのが、空気の流れで分かりました。


 そして…

『ぷはっ…』


「すみません、苦しかったですか?」


 解放されて、目一杯空気を吸い込みます。


手先がピリピリと痺れるのは、毒だけの所為ではないと思います。…確実に。



 苦笑しながら謝る蔵馬さまは、もう、昨日までの、春の空気。


私を、優しくソファーに降ろして下さいます。



『戻ってる…』


「え?」


 私は嬉しくて、なんだか涙が出てきました。


『蔵馬さま、さっきまで、ずっと黙って…笑って下さらなかったから…

怒ってらっしゃるのかなって…ずっと…思ってて…』


 ぽつりぽつりと話す私に、蔵馬さまが「ああ、」と笑います。


「違いますよ。怒ってなんかいません。


 今まで黙ってたのは、…その、…紗々の顔を見たら、思い出し笑いしちゃいそうで…」


『…思い出し笑い?』


 そう言いながらも、蔵馬さまは、既に俯いて、口元を掌で押さえています。


「いえ…、先程の、紗々の鯱への啖呵が恰好良すぎて‥‥

 ‥‥‥半魚風情とか」


 蔵馬さまが肩を震わせます。

相当、面白かったのでしょう。


 思い出すと、なんだか恥ずかしくなってきました。

『く…蔵馬さま、どこからお聞きに?』


「えーっと、ダムがどうの、って辺りから」


 ‥‥‥恥ずかしい。


 私は顔に熱が集まるのを感じて、私は背もたれに顔を埋めました。



 ピンポーン


 無機質な音が、部屋に響きます。


人間界での、私の部屋のものと、同じ音です。


「…失礼」


 蔵馬さまは、来客を迎える為に、玄関に向かいます。


…蔵馬さま…、仕草は澄ましていらっしゃいますけど、未だに肩は震えているし、声だって上ずっています。


 昨日から、薄々感じておりましたが‥‥蔵馬さまって‥‥


 意地悪です。


「紗々」


『…はい』


 呼び掛けられても、なんとなく、応えにくい…


それでも、無理矢理顔を上げると、蔵馬さまのお側に、女性が2人、姿勢良く立っていらっしゃいました。

先程、妖駄さんに頼まれていた、侍女さんたちでしょう。


「じゃあ、後は頼んだよ」

「はい、蔵馬さま」


 蔵馬さまは侍女さんたちに微笑んで、次に私をちらり。そして、肩を震わせながら、奥の部屋へと消えて行きました。










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