Baby,sing a song.

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 長い睫が震えて、翠の瞳が開かれる合図をします。


 蒼白だった頬も、赤みが射すまでとは行きませんが、ゆっくりと本来の色味を取り戻していました。



 呼吸も落ち着いて、脈も正常。



 処置が済んだ後、私以外の方はリビングで待機して頂いています。



 毒が入ったと思われる傷口は、大したことはありませんでした。


 お陰で、毒の治療に専念出来たことが、唯一の幸いだったと言えるでしょう。



 蔵馬さまの口元に付いた赤い血を、シーツの端で拭うと、蔵馬さまが擽ったそうに身を捩ります。



 動いた拍子に傷口を障ったのでしょう、少し顔を顰め、蔵馬さまが瞼を開かれました。




「紗々、良かった‥‥」



 その瞳で私を確認すると、相変わらずの春の笑顔。


 しなやかな指先を伸ばして、私の頬をなぞります。

 私はその手を左手で捕えて、何も言わずに微笑みました。



「‥‥心配した」




 私は捕えていた手を放して、今度は蔵馬さまの額を撫でます。



 蔵馬さまは、されるが儘。


 子どものように。


「紗々、大丈夫ですか?

 少し、顔色が悪い‥‥」


『大丈夫ですよ。

 蔵馬さまこそ、お怪我をなさったのですから、もう少しお休みください』



 私がそう申し上げると、蔵馬さまは「ああ」と一言お答えします。



 意識が戻っても、体力はまだ回復してはいらっしゃらないのでしょう。


 蔵馬さまは、またすぐに眼を閉じてしまわれます。


 それでも、呼吸は、先程とは違い、規則正しく。



「紗々の掌、気持ちが良い‥‥


 もう少し、このままで‥‥」


『ええ、大丈夫ですよ』



 私は、蔵馬さまが眠るまで、その滑らかな額を撫で続けました。




 蔵馬さまの呼吸が寝息に変わると、やっと一安心。


 微笑んで、一息ついて、ベッドから離れます。



 急に立ち上がって、少し立ち眩み。



 まあ、無理もありませんが。



 今度は自分の額に手を当てて、ベッドルームを出ました。



 扉を開けた瞬間、皆さんの視線が私に集中します。


 後ろ手に閉めた扉に凭れかかり、それでも体重を支え切れずに、私は足元から崩れ落ちてしまいました。



「「紗々!!」」



 皆さんに取り囲まれて、私は意識を保つように集中ます。



 だって、まだ、お礼を言ってませんから。



『蔵馬さまは、今、意識を取り戻して、眠られました。もう、大丈夫ですよ』


 酎さんに抱き起こされます。彼の高い体温が、今は心地良い。



『死々若さん、刀、有り難うございました。

 すみません、少し、着物、汚れてしまいましたね』


 やはり少し離れた所に居る死々若さんの着物には、私の返り血が点々と染みを作っていました。


 蔵馬さまに、十分な量を飲ませる為に、深く切った為に飛び散ってしまったのです。



 やはり視線を反らす死々若さんを微笑ましく感じながら、私は右腕を凍矢さんに差し出しました。


「凍矢さんも、止血、有り難うございました。


 本当に、助かりました」


 差し出した右腕の肘から先を覆う、透明の氷。



 その奥の、手首から長々と刻まれた、深い傷を隠すように、それは分厚く存在を主張します。



 これが、私が考え得る限りの、最も速い止血法。


 蔵馬さまが目を覚ます間だけ、止まっていれば良かったのです。



「そろそろ溶かすぞ。

 右腕が壊死する」



 凍矢さんの鋭い瞳は、この氷よりは、温度が高そう。


『ええ、お願いします』そう言ってから、自分自身の意識が、もう幾許も保たないことを悟ります。


 被せられる毛布とか、鈴木さんの声だとか、様々な感覚が、遠退いていく。



 最も早く利かなくなった視界を瞼で遮断して、それでも浮かぶあの方の笑顔。


 黄泉さま。



 申し訳ありません。黄泉さま。



 貴方に差し上げる身体も心臓も、その価値を失いました。




 失わせたんです。




 私が




 私の手で




 黄泉さま





 それでも、貴方は、優しく微笑むだけなのでしょうか?




 知りたいような




 怖いような




 相反する気持ちと、熱いくらいに冷たい氷を溶かされるのを最後に感じながら、私は瞼を閉じました。










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