シリーズもの
□洟を啜れば
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どこまで走ったのだろう。
買ったばかりの下駄の鼻緒が足に擦れて、痛みが限界に達した。少し血も滲んでいる。
私の足だけでなく、可愛い白地の下駄も何処かで擦ったような跡がついていた。
なんて散々な日だ。
彼氏の浮気現場をこの耳で確信してしまうし、足は痛いし、買ったばかりの靴は汚れるし。
万事屋を出たときに溢れ出た涙は既に乾き、軽く腫れた瞼が重たくなっていた。
疲れきったふくらはぎと擦れた指先を見下ろし、自分がとても情けなく感じた。
この動かない足も、銀ちゃんの秘密に気づかなかった自分にも。
・・・いや、最近銀ちゃんが私のことを蔑ろにしていたことは知っていた。
ただ、その事実から目を背けて、心の何処かで「それでも銀ちゃんは私のことを愛してくれている」と信じたかったんだ。
『・・・これから、どうしよう。』
玄関に弁当を落としてきてしまった。
弁当箱や風呂敷から、誰が万事屋に訪れていたのかは銀ちゃんも察するだろう。
まるで「自分が来ていた証拠です、追いかけてきてください。」と言わんばかりだと、弁当箱を落としてきたことを後悔した。
『銀ちゃん・・・。』
走ってきた道を振り返ってみても、銀ちゃんらしき人物はいない。
追いかけて来てくれているかもと少しでも期待した自分が恥ずかしい。
かえって虚しくなっただけだった。
『バカみたい。』
痛みで悲鳴をあげる足を引き摺りながら歩く。
そのとき、
「おい、くまじゃねェか?」
『ひ、じかた、さん・・・。』
「何してんだ、こんな所で・・・っておい、お前、泣いてんのか!?」
巡回の途中であろう土方さんに出会った。
真選組鬼の副長と呼ばれる土方さんとは昔からの知り合いで、銀ちゃんと付き合う前から恋愛相談をしたりアドバイスを貰ったりと、頼りになるお兄ちゃんのような存在だった。
涙でボロボロになった私の顔を見るなり、慌てふためいた様子で自分のポケットからハンカチを出し、私に差し出した。
「ったく、お前は。どうせまた万事屋絡みの話なんだろうが・・・。とりあえずこれ、使っとけ。」
『あ、ありがとうございます・・・。』
土方さんの優しさを受け、今まで我慢していたものの箍が外れ、再びぽろぽろと涙が溢れ出した。
『っ、ひ、土方さん・・・!』
「ちょっ、お前、隊服に鼻水つけんじゃねェ!」
私が泣きじゃくりながらしがみつくと、口では嫌がりつつも、私の頭に手を置き慰めてくれる。
不器用で小さな優しさが、ボロボロの心にはとてつもない厚情に思えた。
「・・・帰るぞ。」
『・・・え、?』
「送ってく。」
『あの、土方さ、』
「俺が泣かせたと思われたら面倒だからな。これでも被っとけ。」
そう言って土方さんは隊服の上着を私の頭に被せ、背を向けた。
男の人の大きな背中。
ただそれだけなのに、土方さんの背中を見ていると不思議と心が落ち着き、ゆるやかに涙は止まり、私には涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔が残された。
(洟を啜れば)
隊服から心地良い煙草の匂いがした。