小説

□昇華
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食満が死んだ。
その報告に衝撃を受けたのは、同級生ばかりじゃない。後輩たちの中には大声で泣く者もいたし、先生方も悲痛な顔をしていた。
けれど、その中でただ黙って。食満の亡骸を見つめていたあいつが。
多分きっと、一番危ういと思った。



部屋に寝かされた食満から、ずっと離れずにあいつは今もそこに居る。
食満が亡骸になって帰ってきてから、ただひとり、一時も離れずに――。

「文次郎」
「なんだ、仙蔵」
「伊作の様子でも見てくるのか?」
「あぁ」
「……まだ放っておいてやった方が、良いんじゃないか」
どうしていいか分からないのは、仙蔵も、六ろのやつらも――俺も、一緒だった。
「……見てくるだけだ」
そう言うと、仙蔵は「そうか」とだけ呟いた。


「伊作」
話しかけたのに気づいているのかいないのか。
暗い部屋の中、伊作は動かず、声もない。
「飯くらい食え、よ……?」
部屋に足を踏み入れて、ふと気付く。
食満にかぶさるように縮こまっていた伊作の身体が、少し揺れている。ズルッと鼻をすするような音もして。
そんな様子から俺は思った。もしかして、やっと泣けるところくらいまではきたのだろうか。
食満が死んでからこれまで、伊作の表情はほとんど変わることがなかった。怖かった。このまま感情でも無くなって、壊れてしまうのではないかと思っていた。それなら、感情を垂れ流せる涙でも出る方が、よっぽど良い。
少し安堵して、その肩をたたこうと更に伊作に近づいた。

触れられる距離――そこになって気付く。伊作は、泣いていたのではない。
「な、にしてやがる……伊作」
身体が無意識に震えだす。声も自然と震えていた。
「どうしたんだよ文次郎」
ずるるっと大きく何かを吸い込む音がして、そして伊作はまるで普通に、なにもなかったみたいに――食満が死ぬ前の伊作の声で。
俺に向く。
「それは……っ、食満か」
「見たらわかるじゃない?」
「分からないから!言ってるんだろうがっ!」
「留三郎だよ?」
あまりに普通だった。
日常と同じ声だった。日常と同じ顔だった。
ただ、この状況でのその声は、顔は、異常だった。
「……ッ狂ってんのかてめぇ!!」
伊作の胸ぐらを掴みあげる。
煩わしそうに、伊作は眉を少し寄せた。
「うるさいなぁ、だって留三郎が死んじゃったんだよ。僕のものにするにはもう、こうするしか無いでしょ」
ほんの僅か上がった伊作の口角から、ぽたりと赤色が落ちた。
目の端にうつった食満――食満だったはずの顔は、真っ赤で見えず。
「ふざけんなっ、こんなの異常だろうが!目ぇ覚ませバカタレ……ッ!」
掴みあげた伊作に、俺は震えながら叫んだ。
しかし、伊作は俺の言葉など理解しようとしていない。血だらけの手で俺の腕を掴んで、血だらけになった唇を薄くあけた。
「離してよ文次郎。まだ全部食べてないんだ」
「…………ッ!」

力の抜けた俺の腕からすりぬけ、伊作は食満の横に跪いた。
「ごめんね留三郎。いま、僕のものにしてあげる」
優しく口づける様に顔を近づけ――
「伊作……っやめろ!!」
貪っていた。
食満の顔を、身体を、――食べていたのだ、伊作は。

「邪魔しないでね、文次郎」
ずるずるっと濁った血液を吸い込みながら、伊作が笑った。
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