10/24の日記

16:15
ぬら孫 馬頭×ささ美
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月が綺麗な晩だった。
しかも今日は少しも欠けていないまんまるお月様で。すると奴良組本家の妖怪達も今宵は月見じゃ酒を持ってこいとはしゃぎ出す始末。
そしてその様子を今となっては定位置となった木の上から馬頭丸は見つめていた。正直に言うと彼はこういう意気揚々とした空気は嫌いではない。
まあ、それを言ったらきっと彼の相棒は馬鹿にしたように笑うのだろうが。だからお前は餓鬼なんだよ、なんて憎たらしい台詞付きで。
…しかし現在、そんな口煩い彼はいない。
つい先刻、この組の若頭の側近にあたる雪女がここにやってきたかと思うと、満月の夜は色々と忙しいのだから炊事くらい少しは手伝えと言って、彼を引きずって行ってしまった。
そして不幸中の幸いと言おうか…馬頭丸は致命的に手先が不器用なため、始めから台所に立てる見込みなどあるはずがなかった。
それに比べ牛頭丸はとても手先が器用だから、包丁捌きから味付けまでなら信用しても構わないのだろう。
…それ以外の理由もまあ、何かあるのだろうが。

牛頭丸を引きずって行く際、雪女が青白い頬をほんのり赤く色付かせていたことを馬頭丸は思い出し、牛頭にもようやく春が来たんだなあとしみじみに思った。
まあ…僕も人のこと言えないんだけどね、と馬頭丸は小さく独り言を言うと座っていた桜の木の太い枝の上にすっくと立ち上がったかと思えば、今度は奴良家の大きな屋敷の屋根へと軽やかに跳び移ったのだった。



満月の夜は血の気の多い妖怪達が人間へ影響を及ぼす可能性も自然と高くなる。
妖怪にとって悪行を為すことは自身の存在証明ともいえる大事な行為だが、人間に危害を加えるとなったら話は別だ。
なので当然、警戒度は上がるしそうなった場合、鴉天狗の実子である三羽鴉の仕事も多くなることは分かりきっている。
でも一つだけ、どうしても理解できないことがこの聡明な末妹にもあった。


「…どうして私はいつも本家の警備なのだ?」

そう啖呵を切ると、必ず兄達はこう言うのだ。
「お前は女の子なんだから、酔っ払った変態妖怪共に絡まれたら大変だろう?」と。
…何が大変だ。普段のパトロールのほうがよほど危険ではないのか。
そう反論してもこれとそれとは別なのだと言い切られてしまう始末。
それ以上取り付く隙も与えてはくれない。

こうして今日も、三羽鴉の末妹であるささ美は屋敷の警備に当たることになったのだ。

ささ美は大きな屋敷の屋根の上から辺りをざっと見渡す。
町のパトロールからは外されてしまったが、これも大事な仕事であることには変わりない。だからいつまでもいじけていないで真面目に取り組もうと思う。
…満月の夜だけ兄達から仲間外れにされてしまうのは毎回のことながら、少し悲しいのだが。
しかも、


「あ、やっぱり今日もいた」

満月の日だけは必ずやってくるこのおかしな妖怪の心理もまた、聡明な彼女であってしても分からなかった。
理解できない物事ほど、彼女に混乱を与えるものはないのだ。



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屋根の上を軽やかに駆けていく。
そして屋敷周りを見渡せる中心へ辿り着くと、そこには目的の人が真剣な顔をして辺りに不審な人物がいないかを見張っていた。
さら、と短く切り揃えられた艶のある黒髪が、時折風に揺れる。
男物の着物を身に纏った華奢な身体は姿勢よく凛としていて、高い身長を綺麗に見せていた。
そして何よりも背中から生えている墨をひいたような漆黒の大きな翼が、激しく自己主張をしている。それは彼女がかの鴉天狗一族であるという、誇り高くも美しい証だ。
その時向こうもこちらに気付いたのか、自然と目があった。まああそこまで熱い目線を向けられていたら流石に気づくのかもしれないが。


「あ、やっぱり今日もいた」


だからごまかす為おどけたように笑って、そう言った。
それに対し彼女は無意識で威嚇するように羽を広げ、こちらを不審がる目つきで見遣っている。
相変わらず警戒心の高い。これでは鴉というよりも気位の高い黒猫ではないのか。


「…何をしに来た」
「何もしないよ。ただ月を見に来ただけ」
「……そう」

すうっと細められる切れ長の瞳。
もしかしなくても…嫌われていたりするのだろうか?
…別にそれは最初から分かっていたけれど、こちらは好意を持っているだけあって少し切なくなってきた。
まあ、初対面の場所が場所だったし…あんまり良い印象ではないのだろう。でも僕だって好きで女湯を襲ったわけじゃないんだけどなあ。
だから僕にも最初は少なからず苦手意識があった。痛い目に合わされていたせいなのかどうかは分からないがなんて恐ろしい男なんだ、と正しい性別すらを認識できていなかった。
けれど、彼女が女の子だって分かった時苦手だなあっていう気持ちが消えて、すると代わりにとてもあったかくって、熱い何かが芽生えたんだ。
僕が伝えたいのはそんな気持ち。そんな些細な、ことなんだけれど。
口下手な上に頭の出来の悪い僕はそれをどう伝えたら良いのか分からない。
そうして分からないままにいつも満月の夜は明けてしまう。
…どうしたらいいのだろうか。
ちょっぴり途方に暮れはじめた僕の脳内に昨日牛鬼様が雑学として教えてくれたお話がぱっとひらめいた。
目の前に立っている彼女もとても博学らしいから、もしかすると分かってもらえるかもしれない。


「…今夜は月が綺麗ですね」

すると驚いたようにレンズの奥で見開いた漆黒の、美しい瞳。
少し赤く色付いた頬で「夏目漱石…」と呟いた彼女の言葉を聞いて、自身の想いは間違いなく伝わったのだと馬頭丸は理解することができた。



(I love you)






そのあとしどろもどろに「わたし、死んでもいいわ」と言った彼女の言葉の真意を馬頭丸が知るのは、博識な主に問うて教えてもらってからだった。



end






夏目漱石は「I love you」を「今夜は月が綺麗ですね」と訳し、
二葉亭四迷は「(わたし、)死んでもいいわ」と訳したと伝えられています。
どちらにしろ昔の方はとてもロマンチックですよね。素敵!

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