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□かけがえのないもの
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「ご機嫌は如何かな?麗しき菫の姫君」
「……ご機嫌よう、賢者様。貴方が来たことによってわたくしの機嫌は低空飛行を開始しましたわ」
「おやおや、それは申し訳ないことをした。ところで紫陽花の姫君は今日留守なのかね?姿を見かけないが」
「オルタンスでしたらまだ物語を探しに出ていますわ。彼女に何か用が?」
「いいや、だったら今日はいつもより心持ちが軽くていいだろうと思ってね。どうも彼女は私と相性が悪いらしい」
「…まあ、そうでしたの。でしたらあの子にもそのように伝えておきますわね。きっと喜ぶでしょう」
「……君も相当食えない女性だね。そんなところもまた魅力の一つだけれども」
「あら、褒めたところで何も出ませんわよ?まあ礼儀としてお茶とそれに見合ったお茶菓子くらいはお出ししますが。…さあ、立ち話もなんですし中へどうぞ。わたくし達のイヴェールがお待ちですわ」
「それではお言葉に甘えてお邪魔しよう。……あとくれぐれも手が滑ってお茶に毒を盛らないようにしてくれ。どうせ私には効かないからね」
「うふふ。粗相のないよう気をつけますわね」



++++



「…と、まあざっとこんな感じだ。私は君の姫君達から相当嫌われているようだね」

今日ここに来るまでの経緯を目の前のソファーにゆったりと座っている青年に話す。勿論始終微笑みを絶やさずに、だ。
ここで誤解を解く為に言っておくと、賢者は別にこのことを本気で怒っているわけではない。ただ目の前でころころと表情を変えるこの冬の子の反応が面白く、飽きないためわざとやっていることだ。
見た目だけなら立派な大人だというのに、中身はまだ赤子同然の無知な子供というアンバランス。汚れを知らない彼の赤と青のオッドアイはきっと、どのような宝石よりも美しい輝きを放っているのだろう。
そしてその宝石の感情をころころと変えるのがこんなに愉しいことだとは…知らなんだ。
新しい玩具を手に入れた子供のような心境で賢者は久方ぶりに揺れ動く心を胡散臭いと定評のある微笑みで抑え、カモフラージュしつつもとりあえず今のところはこの冬の子供の次の手を待つことにした。


「あー、うー…ごめんねサヴァン。ヴィオレットもオルタンスも何故か僕に対してだけすっごくすっごく心配性なんだ」
「…なに、君が謝る必要はない。それに今日は紫陽花の姫君がいないだけ楽だよ。彼女はどうも何を考えているか分からないから末恐ろしい」

彼女に比べればまだあからさまに顔を顰め、青筋をたてている菫の姫君のほうが可愛げがあるというものだよ。
賢者はにっこりと清々しいくらいの爽やかな笑顔でそう言った。
そして賢者のその意見にはイヴェールも同意する。


「ヴィオレットは感情がすぐ顔に出ちゃうんだよね……あとサヴァン、オルタンスはいつもにこにこしてるから分かりにくいけれど…いつだって僕とヴィオレットのことを第一に考えてくれているすごく優しい子なんだよ。それだけは分かってあげて?」

ね?と首を傾げながら同意を求める姿は本当にまだあどけなく、愛らしい。そしてらしくないとは重々承知だがそれに対し思わず反射的にこくりと頷いてしまう。
…今ならば幼子に喃語で話しかけている母親の心境が分かるような気がした。


この子供に出会ってからというもの、異常な速度で賢者は変わりつつある。
もし彼がそれを知った時、きっと嘆くだろう。まるで牙を折られた獣だと、弱くなってしまったと自身を嘲るだろう。

でも実際はそんなに悪い変化ではないのではないか、と死を司る紫の姫君は思う。

…初めて会った時、この男は愛しいあの子供を必ず傷付ける"存在"だと確信した。
だからいつだってあからさまに警戒したし、ヴィオレットの半身であるオルタンスだってこの男が来た時だけは今まで見たことがないくらいの殺気を常に放っていた。
……でも、今は。

『彼の関心は、殺戮の舞台女優からわたくし達のイヴェールへと移りつつあります』

以前半身が言っていた言葉が頭に響く。そう、正しく彼女の言う通りだ。
賢者は今いい方向に変わりつつある。それこそ言い方がおかしいが、"人間"らしくなっているような気がする。

『……それに、気に入りませんがイヴェールは彼に対して好意を抱いていますわ』

それもまた、彼女の言う通りだ。本当に本当に、気に食わないことだけれど。

『ヴィオレット。これから少しだけ、わたくしは賢者様から距離をとります。そしてその間はわたくしに代わって貴女に彼を見定めてもらいたいの』

ええ。分かっているわ、オルタンス。
これも全て、かわいいかわいいイヴェールのため。
あの子を"幸せ"にするのが、わたくし達の役目ですものね。
…あの子を幸せにするためならばわたくし達はどんな手段も選ばないし、あの子を傷付ける者が現れるのならばこちらも容赦なく牙を剥きましょう。

だってそれが、わたくし達を作った"彼女"の願いだから。



( かけがえのないもの )



「お茶が入りましたわよ。イヴェール、賢者様」
「わあっヴィオレットありがとう!」
「……ほう、中々良い香りだ。相変わらずいい茶葉を使っているようだね」
「ええ。他の地平線の方が色々とお土産を持ってきてくださるのでそういう物にぬかりはありませんわ。この茶葉は確か…ノア様がお持ちになったものだと思います」
「この前アメティがくれたギリシャワインとかすごく高級だよね。なんせ神話の時代のものだし」
「その折ではアメティストス様にはお礼としてフランスワインをプレゼントしました」
「本当にぬかりがないのだね…菫の姫君」
「ふふ、当然のことでしてよ?」



end


タイトルはAコース様からお借りしました。

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