03/09の日記

16:42
アイソレーション。
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孤独感と実際に孤独なのは違うんだけど、本人にしてみれば同じなんだよね。
親が健在だろうが、携帯のメモリがいっぱいでも、孤独だと感じてしまった時点で孤独なんだと思う。
主観的な問題でね。

見た目的には誰のまわりにも誰かがいてくれているから、他人の孤独感なんてわからない。
私だってわからない。
隣にいる人間が孤独感に押し潰されそうになっていたって、わからないんだろう。

だからアリーナを超満員にしときながら、なお孤独感に苛まれる人の気持ちなんてわからない。

それを歌にしてくれたから、私にはわかるわけでね。


最近は、誰もが孤独なのかもしれないと思いつつあるんだよね。
多分たまにはどうしようもない孤独感に苛まれる。

それを共有できたら救われるんだろうけど、多分無理だしさ。
人の言葉はそういう意味で不完全だし、私たちにはそういう関係なんてないだろうし。
たいていは馴れ合いで、ただその場だけの付き合い。

だけど、それを歌にできれば……
あるいは、私はそうなりたいと思ってるけど文章にできたら、きっと誰かには届く気がするんだ。

届けばこの孤独は癒される。

ただ、やっぱりレスポンスが欲しいね。
だから拍手なんかされると躍るね。
1日43回とか、嬉しかったな。
誰かに届いているという証だから。
ここに書いているのは妄想に過ぎないけれど、だけど私の孤独に裏打ちされた文章ではあるから届くのは嬉しい。


ところで明日は「EXISTAR」なわけで。
夕方にならないと入荷しないらしい。
首がキリンみたいになってるよ。
待ち遠しい。
どんな音が来るのかな。
まだ「EXISTAR」しか聴けてないけど、いいものが来そうな予感がする。
まあいつだっていいんだけど。

脳が、体が、血が躍るような音が欲しい。
この孤独感を白く染め上げて壊すような。

孤独感はなきゃ困るけどね。
小説書けなくなっちゃうから。

いずれにせよ、明日は耳元で会えるから嬉しいな。

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07:50
コメ返と偏食と哲学
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まずさ。
うまい棒じゃ何も補えないと思うんだ。

はい、そんなわけでコメ返です。

>>りりりさん
最後の一文に笑いましたか(笑)
でも、期待しなければ意外によく見える作品ですよ。
……の、つもりで書いてますが(^-^;
EXISTAR、明日ですね!
ドキドキです!


まあ、そんなわけでね。
うまい棒に何を期待してるんだと。

ちゃんと野菜を食べヤサイ!と思うわけです。

……………………寒っ(笑)


長澤くんって、思考とか音楽性とかは24歳とは思えないくらい大人びてるんだけど、
食事面は完全に全力で少年ですよね。

頼むから誰かバランスのとれた食事を作ってあげて(笑)

それかマルチビタミンとマルチミネラルが配合されたうまい棒を作ってあげて(笑)

ていうか、バランスのとれた食事っていいんですよ。
私この1年風邪ひかなかったしね。
実家のはやっぱり野菜が足りないのかな(^-^;


この前ね、ある意味「零」ってニヒリズムなんだろうか……なんてことを考えてたんだけどね。

皆海底さ、だしね。
全ては無駄だって言ってるようにも聞こえるしね。

哲学は詳しくないんだけど、確かニヒリズムって発展しきった世に出てきたものだから、今はニヒリズムに溢れているのかもしれないなと思う。
たまに誰もが考えるでしょ。
「どうせいずれ死ぬんだしな」って。
ちょっと厭世的なこと。
頻度は違えど、考えたことはあるでしょう。

だからこそ、「零」は私に刺さるんだろうしね。
その厭世的な雰囲気が、何とも言えないくらいに好きだね。
哲学だなって思う。

哲学って突き詰めれば否定から始まるわけだしさ。
普通に生きているかぎりは無意識に肯定しているものを、疑ってかかるんだ。
「肯定だけでは何も成せない」わけだよ。

うん、何かだいぶ前に(「DIVE!!」関係のときかな)穂苅さんが長澤くんを哲学者みたいだと言ってたような気がするんだけど(秦坊はおじいさん(笑))、
それに関しては同意見なんだよね。

多分ニヒリズムなんか知らないんだろうけど、若き日のニーチェとかあんな感じだったんだろうかとか思ったりね。
まあ、ニーチェはうまい棒なんて食ってないけど。

でも哲学者って基本は生きにくいんだろうな、と思う。
私の友人にも哲学を学んでる人がいるんだけど、「そんないつも考えてて疲れないのか」と思うんだよね。
で、それを聞いてみたらね。

「お前と話しているときは何も考えてないよ。お前が書き始めると何も考えてないのと同じ」と言われて。
どうやら話すことはアウトプットの作業らしく、それをやらないとさすがに苦しいらしい。
まわりに哲学者がいっぱいいる今の環境が、奴にとっては一番幸せなんだろうな。

長澤くんにとっては、それはライブなのかなと思ったりする。
究極のアウトプット。
まわりに吐き出して、受け入れてもらう儀式。
私にとっては、それは書くことだけど。


会話だったりライブだったりすると、レスポンスがすぐに来る。
書き物はそうはいかないんだよね。
だけどネットってのは拍手とかコメントとか、アクセス数とかいうレスポンスがあるからね。
認められると嬉しいよ。
私は哲学者じゃないつもりだけど、思考は果てしなくニヒリズム。
恵まれすぎた代償さね。
そんな私はやっぱり書きたいわけでね。

何かに動かされたときは、やっぱ書くしかないんだ。


まあ、今はうまい棒がツボに入ってる状態なんだけど。

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