ごちゃまぜ

□藤原基央
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例えばアイツのプリンを買ってくると喜ぶところとか、困ると目を擦る癖だとか、俺はものすごい可愛いと思うし、俺はアイツのことものすごい好きなんだと思う。じゃあそれをアイツに伝えようとしよう。方法はいろいろあるれども、口で言うのが一番手っ取り早く、その上効果的だ。じゃあなんて。そりゃストレートに好きだと言おう。ちょっとくさい言葉をチョイスするなら愛してるでもいい。とりあえず何事も行動をしなくては始まらない。さあ言おう。しかしここで問題発生だ。俺が好きだというのが、アイツにどれだけ伝わっているのだろうか。きっとほとんど伝わっていない。5%だって伝わっていない。その不足した約95%を補う為にあと19回、全部で好きと20回言おうとしよう。これでやっと好きだと伝えることが出来る。一件落着。いや、違う。残り19回分の不足はどうする。補えば補う分だけ不足も増えていく。例えば一回分の好きを伝える為に、残り19回分の不足、約1805%の不足が追加される。これじゃあ何時まで経ってもアイツに好きだと伝えられないじゃないか。どうしよう。
なあんて俺は考えてみるけれど、実のところそんな数字はどうでもいい。要はその俺の100%はアイツにとっての5%かもしれないし、またその逆もあるかもしれない。だからこの場合数字は当てにならない。しかしそれでも、自分の言いたいことがほとんど相手には伝わっていないことは事実なんだ。なんだそれじゃあ言葉も意味がなくなるのだけれども(日本語でも中国語でも、英語でもスワヒリ語でもいいじゃないかと思うけど)、そうではないと俺は思いたい。俺達は何時だって好きな相手に好きだと伝えることに自分の持っている技術(言葉だとか行為だとか)をつかって試行錯誤を繰り返し、そして結局まだ近道なんて見つかっていない。だからこそ、文学や絵画やそして俺達がやっているみたいな音楽が発展するんじゃないかと思う。みんな行き先は少し違うけれども、みんな最初は誰かに何かを伝えたいっていう気持ちから始まっているんだ。俺もきっと例外ではない。

でもまあ、いつか全部伝え切れたらいいななんて無謀なことを考えている。だって好きなのだもの。愛しているのだもの。いつか本当に俺の思っている気持ちが全部アイツに伝わったら、そうだな、2人きりでお祝いでもしようか。





『すき』

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