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その日、私は銀八から散らかった部屋を片付けるのを手伝えと申請を受けた。もちろん断った。はあ、何で、自分でやれよ、電話口で凄んでみたけれども、逆効果。真正サディストの銀八は、そうかそうか来ないとどうなるかわかってんだろうな、と私の苦労を楽しんでいた。こんな奴が高校教師をやっているだなんて、世の中(主に教育委員会)間違っている。
丁度仕事終わりであった私は、浮腫んだ足を走らせて、電車に飛び乗った。遅刻厳禁。それが私達のルール。とはいっても、殆どの会合場所が銀八の家なので、実質このルールが適応するのは私だけになる。これを咎めるのも、もちろん逆効果である。
つまるところ、私は銀八に都合よく使われている家政婦のような存在で、よく言えば友達以上恋人未満の間柄だ。セックスはしてない、でもキスはしたことある。だから、友達以上、恋人未満。高校の時からの腐れ縁が、二十歳をすぎた今でも、だらだらと続いているだけだ。それ以上でも以下でもない。
ビルとビルの間に沈む赤い太陽が、もう眩しくない。日中直視できないほどに輝いている黄色い太陽が、こうして役目を終えて沈みかけていく時に、その丸く赤い形がはっきり見えるようになるのを昔の私は不思議に思っていたが、今ならなんとなくわかる気がする。

「デットライン2分前……まずまずだな」

息を切らせて銀八のアパートまで走ったときには、あたりは既に暗くなっていた。でろでろのロンTにチョコレート色のカーディガンを羽織った銀八は、肩で息をする私にそう評価を与えると、私を部屋の中へ入れた。
こんな所生徒に見られていたら、銀八はなんて言い訳するんだろう。
部屋の散らかり様は、見るに耐えないものだった。何処から手をつければいいやら、私が深くため息をついていると、銀八は大きなゴミ袋を両手に持って、私の目の前に立った。

「とりあえず、捨てられそうなモンは……俺が許す、バンバンこの中に入れていけ。俺こっちやるから、お前はそっちな」

作業開始。私と銀八はそれぞれ両端に、背中を向け合ってしゃがみこんで辺りを物色し始めた。バンバン入れていけって、後でアレないコレないって言われても知らないからな。銀八の耳に届かない程度に文句をいいながら、積み重なった雑誌(多分後で処分される)を退かしていくと、一本のきな臭いビデオテープが、まるで半分土に埋まった化石のようにして発見された。ラベルは……剥がされている。

「ねー銀八ー」
「何ー」
「コレなーにー」

本当は、その中身がどういうものか検討がついていた。私の方を振り向いた銀八は、何も言わず静かに立ち上がると、わざとらしく語尾を延ばして、かまととぶった私の手からビデオテープを抜きとった。

「エロビデオ!」
「当たり」

銀八は興味なさそうに言った。もうちょっと面白い反応すると思ってたのに、私はなんだかつまらなかった。問題のビデオテープは私と銀八の丁度中間点にあるテーブルの上に置かれた。私はその中身が気になって気になってしかたがなかったが、銀八があまり乗る気じゃなかったので、そのまま作業に戻ることにした。おかしいなあ、こういう話題は喜んで乗ってくる筈なのに。

男女間の友情は成立すると思う。そうでなければ私と銀八の間柄を、どう説明すればいい。テーブルの上のビデオテープがこの部屋を真っ二つにぶった切っているように、私と銀八の間にも男女という境界線が引かれているのなら、これは、何。もし友情というものが境界線で隔たれた範囲内でしか成立しないのであるなら、私は銀八のいるそちら側に渡っていけないだろうか。そうでもしないかぎり私は……

「なあ」

不意に銀八が声をかけてきた。意識がトリップしていた私は動揺し、お尻をつけずにしゃがみこんでいた(俗に言うウンコ座り)ところを、すとん、と体育座りの格好になってしまった。

「何?」

振り向くと銀八は境界線のすぐ近くに、あのビデオテープを持って立っていた。

「これ」
「うん、エロビ」
「……見る?」

心臓が、どくんと跳ね上がった。予想外だったわけじゃない。ただ何か不意をつかれたような気がして驚いたのだ。銀八が境界線ギリギリに立っている。私は小さく、うん、と答えた。
2人とも作業を中断して、テレビの前に座り込んだ。銀八のテレビはテレビデオになっていて、もちろん今はやりの薄型ではなくブラウン管である。しかしそれでも普通のテレビデオよりは高機能で、ビデオと同時にDVDも見られるようになっていた。いいところを集めるだけ集めたこのテレビは、なんだか少しうらやましかった。両生類みたいだ。

「コレ…銀八の?」
「んーん。生徒の。没収した」
「へえ、」

ラベルの貼られていないエロビは、テレビデオの中へと飲み込まれていった。テレビデオがセックスするみたい、ふっとそんな気持ち悪い妄想が私の中に流れ込んできて、そしてがっかりした。テレビデオは両生類じゃなかった。
再生ボタンを押すと、ブーンという機械音と共に、いきなり本番シーンが映し出された。どうやらそういうシーンだけが流れるよう、編集されているようだ。

「最近の高校生はようやるもんですなあ」
「いや、俺らの時もコレやってる奴いた」

それから暫くお互いに無言になって、テレビ画面を見つめていた。裸になって絡んでいる男女はまさに猿で、おそらくいくつもの照明を当てられた下で繰り広げられるけったいな演技は、まさに猿芝居だった。茶色いフローリングの床と肌色の人間の肌。同じような色をしていて、どっちがどっちだかわからない。

「滑稽ですな」
「滑稽ですね」

本当に滑稽だった。こんな猿芝居に私と銀八の間は引き裂かれているのだろうか。馬鹿な。セックスが猿芝居でないことくらい知っているはずなのに、私は何故か目の前で繰り返されるものに激しい憎悪を覚えた。
男女間の友情は成立すると思う。そうでなければ私と銀八の間柄を、どう説明すればいい。もし、男女のあり方が突っ込むか、突っ込まれるかでしかないなら、境界線を越えることが出来ないのなら、私達は一体何。

「でも……どんなに滑稽で、興ざめするほどくだらなくても、俺は反応しちゃうんだよな、男だから」

銀八の方は見なかった。見たくなかった。

「それで、お前は女だ」
「……わかってるよ」

私は膝を抱えて、小さくまとまった。いろんな疑問が私の頭の中を飛び交っている。夏場、街灯に集まってくる蛾のように、ひらひらと四方に飛び交いながら、しかしそれでも光を目指している。

「まいっちゃうよな、ホント、まいっちゃうよ」

銀八は呆れた風にそういうと、ゆっくり足を伸ばした。いつの間にかビデオは終わりを向かえ、キュルキュル音を立てながら、自動的に巻き戻し機能が働いている。ガッシャンと巻き戻し完了の合図がなると、私達の間はいよいよ静かになって、何も言い出せなくなった。
銀八は少なからず感じていたのかもしれない。終わりに近づくにつれて、形がはっきりわかるもの、背の高い銀八は、私よりも先に見えていたのかもしれない。それが、今私にも見えた。
所詮、私はそちら側に行くことは出来ないのだし、銀八がこちら側来ることもできないのだ。

でもそれを認めてしまったら、私が貴方の隣にいてもいい理由はどうなるの?
ホント、まいっちゃうよ。


性的モラトリアム

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