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それはまるで桜の花びらが開くように、とても自然なことなのだと思う。でもそれはオオイヌフグリのように小さくて、そしてそこらじゅうに転がっているから、見落としがちで、見つけにくいものなんだ。
思わず思い出し笑いをしてしまいそうな幸せな気分で、春のうららかな陽気の中を散歩しているようだったり、もしかしたら雨で散ってしまうのではないかと不安な気持ちで、窓の外をそっと見つめているようだったり、さまざまな色に変化して、水を混ぜて、白いキャンパスに描かれる水彩画が、今私の座っている椅子の目の前で描かれていく。

「何を書いてるんだ?」
「春を書いてるの」
「春?」
「そう、春」

バケツに入った水は少し強くなった太陽の光を反射してキラキラしている。私はその中に筆を入れて、くちゃくちゃとかき混ぜた。さっきまで使っていた黄緑色が透明な水の中に溶け込んで、そこにも春が訪れた。土方はまだ描き途中で、白い所の方が多い絵を覗き込んで、怪訝そうな顔をした。

「俺、お前が美術部ってのが今だに信じられないんだけど」
「そう?前から絵描くの好きだったけど」
「どっちかっていうと、グラウンドでバット振り回してそうな感じ」
「あははははは」

ぼんやりとした、間の抜けた、土方にしては珍しい表情をしているのを見て、私は大きな声で笑ってしまった。そうやって少しずつ慎重に、でも手早く豪快に色をつけていくことで、キャンパスの絵は活気付いて、バケツの水はいろんな色に染まっていく。このまま続けたら、淀んだ汚い色になってしまうかもしれないけれども、画用紙を撫で、バケツで表れる私の筆はなかなかペースを落とさない。

「ねえ土方」

気持ちがまりのように跳ね上がって、ドキドキしてワクワクする。どこかで息がピッタリと止まってしまいそうなくらい。ああ、とても嬉しい。それは焦って走っていた通学路に、小さな可愛い花がたくさん咲いていると気がついたときのように。それは河川敷一体が緑色になるように。
私は今、春の訪れを表現している。

「私が、付き合おうって言ったらどうする?」

土方はまた少し間の抜けた顔をして、私の目を見た。冗談なのか、本気なのか、探っているようだ。私の目をみてどちらに取ったかはわからないが、土方は窓の方へを目線を移して、
「笑うだろうな」
と言った。

「うん、私もきっと、笑うよ」

茶色い美術室の中に、白いワイシャツを着た土方と、筆を動かし続ける私がいて、窓にかかった薄いカーテンからは光が漏れている。私がクスクスやっていると、土方も口元を押さえて、肩を揺らした。なんで笑ってしまうのかは、私も多分土方もわからないけれども、きっとそれも自然なことなのだと思う。小さくて、見落としがちで、とても幸せなことだ。
ほら、もうすぐ絵が形になってくる。風で揺れるバケツの水は、綺麗な虹色になっていた。




芽生え

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