定点観測


◆ある過剰 

近所のプールバーでロベスと神楽君と卓球する。ここには他にダーツやダンススタジオ等もある。私はプールバーの静かな感じが大変好きなのでこの店は気に入っている。神楽君はビリヤードも好きなので一緒にやってみたいが、長い事していないのでやり方を忘れてしまった。それにしてもなぜ、卓球にはビリヤードが大抵くっついているのだろう。そういえば、ビリヤード好きの父が買った家庭用ビリヤード台は裏返すと卓球台になるのだ。

酒と卓球も何故かよくくっついている。温泉地や繁華街にも卓球場はよくある。広島の流川には飲み屋街の真ん中に卓球場があった。汗をかいてアルコールを抜きましょう、という事なのだろうか。私は酒は飲まないがそこの雰囲気が好きなのでよく行っていた。(一階の質屋にはもっと良く行っていた)薄暗く妖艶な店から、カーっと明るい電球に照らされてカンカンピン球が行き交う場所に行くのは一種の宗教体験みたいで面白い。

昨日、母も一緒に大朝の温泉で行われた神楽大会を見に行った。渓流の向こうに杉林を背にした舞台が作られなかなか良い雰囲気だった。しかし、私はむしろ集まる人々の容貌に圧倒されていた。何というか、儒教的雰囲気の強い山口ではあまり目にしない個性の強さなのだ。何処から来た人達かは分からないが、何かが過剰なのである。柄、髪形、体型、顔の作り…


容貌とは不思議なものだ。


私はミリンダ王ではないので、何故人は同じではないのか!?などとは問わない。むしろ同じ物が沢山在るなら、そっちの方が不思議だと思う。しかしなぜ「私」に限って人並みな容貌に生まれなかったのだろうと思う事は昔からあった。

誤解を防ぐために言うと、別に人並みでないと思う人が私以外にいないとか、私が一番人並みでないとか(何じゃそれ)言っているのではない。過剰を防ぎたいだけなのだ。

これはもっぱら実用的な見地から言うわけでつまり「そこそこ異性に好感を持たれやすい容貌」という事なのだ。

その点について、なぜ私が稔りの少ない人生を送ってきたのか、嫌がるロベスと無理やり座談会をした事がある。

君はどういう異性を好ましく思うか?
ロベス「強いて言えば、興味を持たせてくれる人」
興味を持つのはそっちの問題だろう。どういう異性に興味を持つのか。
ロベス「あー、うー、」

そこでぶっちゃけ容貌だろうという結論に無理矢理誘導する。

では、なぜ私の容貌は異性に興味を持たれにくいのだろう。
ロベス「それはね、関わるとなんか面倒な事になりそうな感じがするからだよ」
どこを見たらそういう感じがするのか!?
ロベス「全体的に、としか言いようがないね」


なるほど。さすが付き合いが長く煮え湯を飲まされただけの事はある。そう逃げたか。
面倒な事に巻き込まれそうな容貌。
具体的に鼻がどうとか言わなくても、何となく納得させられしかも壊滅的な結果を伴わない答である。もう一声「魔性」てやつ?と言おうかと思ったが「フハッ」と軽蔑的に無視されるのは分かっているので止めておいた。

ロベスのアドバイス。需要と供給のミスマッチだ、つまり狙いが悪いのである。君もある種の異性を狙えばモテる事ができたのだ。
ある種の…という所が問題なのだが、確かに世の中には面倒に巻き込まれてみたいという物好きもいるはずだ。では、そういう物好きは容貌にどう表れるのだろう?「全体的に、としか言いようがないね」では意味無いんじゃないか…


さて、昨日の神楽大会で少し考えた。この過剰な人達はいかにも異性にもてそうではない(とても失礼だが)。つまりもてそうではない私にもまた、何らかの過剰があるわけだ。関わると面倒くさい予感とはつまり「こいつは俺の世話よりも自分の好きな事を優先させるに違いないし、しかもそれは俺には全く不愉快な事に違いない」
という感じではなかろうか。逆の立場なら私だってそんな奴は嫌だ。

だが、ロベスが前言ったようにそんな過剰な私をも受け入れる人がいるとしたら…それは私をも上回る過剰な人か、もしくは極端に過少!?な人か、ではなかろうか。

2012/09/02(Sun) 19:39

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