定点観測


◆神楽君の好物は忍者めし 

神楽君が中学校に入り、再び保護者として中学校を見るようになった。Rの時はご迷惑おかけしてすみませんすみませんばかり言っていたので冷静に観察力するどころではなかった。今のところ少なくともご迷惑はまだそれほどおかけしていないようなので、毎日神楽君が持って帰る印刷物などをじっくり見ることができる。

担任の先生はスポーツマンで熱い方。家庭訪問で「こいつの周りには体育会系の男性がいませんでしたので先生のような方が担任で良かったですわ、ホホホ」等と言ったが本当にそう思っている。世の主流はどんなものかを体験しておくのは必要なことだ。染まるかどうかは本人次第だが、自分というものを客観的に(主流から見た客観)見るのが戦略的に重要といえよう。

熱い先生だから毎日かなり口うるさい学級便りを書いて下さる。自学のやり方から食事まで。これは有難い事である。具体的に何が良くて何がまずいか言って下さるのは生徒にとっても親にとっても助かる。

先日の学級便りで、「ご飯をしっかり食べよう」というのがあった。運動部の子は特に「食べただけ動ける。一杯でもいや半杯でも多く米飯が食べられるおかずというものを持ちましょう。」というのである。つまり、これがあったら食欲が無いときでも無理してでも米が食べられるようなおかずだそうだ。別に学校に持ってこいというわけではないらしいかから、家での話だろう。

私はこの記事にカルチャーショックを受けた。無理してでも食べるという発想、いや食べただけ動けるという発想からして私にはとんと縁の無いものだったからである。


私は子供の頃、祭の晩に調子にのって巻き寿司を食べ過ぎて大変苦しい思いをした。それからというもの「食べ過ぎる」という事に対して恐怖に近いものを抱き続けている。腹八分というが腹五分くらいで非常時に備える構えでつねにいる。身内が食べ過ぎて苦しい思いをしたらいけないので、実は毎日はらはらしている。以前神楽君が回転寿司で調子にのって食べ過ぎて苦しんでいたときは「それ見たことか!腹八分を家訓と心得、これからは決して忘れるでない!」と訓戒を垂れたものだ。

私の母は割とよく食べる。姉二人は毎食三杯以上おかわりをしていた。餅なら二十個食べたという。太っているわけではないから余程代謝が良かったのだろう。

体格から言って一番食べそうな父は意外にそれほど食べなかった。若い頃は巻き寿司三巻は軽かったとかいう自慢はしていたが、私が物心ついた頃には五十を過ぎていたので食べようにも食べられないらしかった。それに、トマトと鶏肉は食べないだの、変なタブーが色々あったので決まったものしか食べなかった。宴会でも殆ど箸をつけず全部持って帰って来た。

確かに良く食べる母や姉たちは元気が良かった。人生前向きであった。父はそれほどお仕舞いではない頃から「ワシは食べられんようになったのう。もうお仕舞いよ」と言っていた。なるほど、父はお仕舞いになるにつれ食欲も無いようで次第に痩せていって死んだ。

活動のためには食べることが確かに必要だろう。ただ、無理してでも食べた方が動けるというのは何とも言えない。母も姉も良く食べたが決して無理して食べたのではなく、あれはまだ腹八分だったと言うのである。恐ろしい事である。

私が腹五分くらいにするのは食べ過ぎて苦しむのが嫌だからというだけではない。車に酔いやすい質だったので胃は軽い方が負担が少ないし、どうせ吐くならあまり食べまいと思ったのである。
また、出産の時も普通に産む人はおにぎり等食べて元気をつけるよう言われたが、私は帝王切開になる可能性があったので麻酔時に吐瀉物が詰まるといけないから食べるなと言われた。確かに、酔っぱらいや気を失った人も吐瀉物が詰まるといけないから顔を横に向けさせる。なるほど、人間いつどうなるかわからないが、あまり大量の吐瀉物にまみれて死ぬのはいかにもまずいと思った。

漫画「イニシャルD」の中で、中年の凄腕その名も「ゴッドハンド」が、もうちょっとで主人公に勝つ所で突然バトルをリタイアした。理由は、自分で運転中に酔って吐きそうになったから。吐いてでもゴールすれば良かったのに!!と仲間に言われて「それで勝ったとして祝福にかけつけたみんなの前にゲロまみれで現れるのはちょっと大人としてまずいんじゃないか」と思ったと語るのだが、私はその気持ち分かる分かる。

ともかく何があるかわからないから腹五分くらいでおく、というのが身に着いてしまっている。食べたら動けないかもしれない、食べたらいざというときまずいかもしれない、という認識が基本の私が、「食べた分だけ動ける。無理してでも少しでも沢山食べよう」という今回の学級便りに目を回さない訳がないのである。

私はこれまで食べなくても動かなくてはならない場面では動いてきた。母は戦中戦後食べるものがなくても動かなくては生きていけないから動いていた。父は軍隊にいたから普通には食べるに困らなかったが、状況によっては食べなくても動かなくてはならなかった。
行者たちは飲まず食わずで激しい修行をする。

そんなこんな考えると、食べなくても動かなくてはならないなら動けるわけだが、世の中には食べた分だけ動けるような動き方があるのかもしれない。担任の先生はラグビー系の人だからああいうスポーツはそうなのだろうか。

私だって人並みに反則なしサッカーや反則なしバスケットボールを毎日やり、放課後には入った事を後悔しながらも軟式庭球で駆け回った普通の運動部系生徒であった。だが、やはり腹は五分でいつも腹を減らしているのが気持ち良かった。


偏見ではあろうが、食べただけ動けるという習慣が身に着くと、あまり動かなくなってからも食べる癖が出て肥満につながりはしないだろうか。と、余計な心配をする。まあ、食べた分動き続ければ大変エネルギッシュな人生を送れるのではあろうが…

2012/05/12(Sat) 15:03

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