きら星

どこかで会った人びと
◆仏壇の蛇 

実家の集落では毎年7月第一日曜に道の草刈りがある。雨天決行ということでカッパを着て首にタオルを巻き、カッパのフードをかぶった上に日除け帽子をかぶるという重装備で鎌と手箕を抱えて集合した。今年は女の人の参加が少ないのは女性会の旅行と重なったからだ。集ったのは男性的だったり歳をとりすぎていたりで女性会に入っていない三人であった。

雨も上がり、昼前にほぼ作業を終えて三人で集会所の裏に座って休憩していた。水田の向こうに緑の段丘があり、黒い牛が三頭草を食べているのが見える。山との境の森はこんもり暗い。
三人のうちで一番歳の多いSさんは、集落では一目置かれる人である。昔からのしきたりや炊事に通じているので葬式や祭りなどの賄いの指揮をとる。無口でにこりともしないが私などには親切に教えてくれるような人である。Sさんがこんな話をした。

仏壇の中に蛇がいつの間にか住み着いていた。長さは五十センチくらいだが太さが直径八センチはあり、背中は黒く腹は白い。「それ本当に蛇っすか」「おうよ、ツチノコみたいなんでよ」
そのものは太いだけに不器用でよく仏壇の道具をガラガラ落として自分も落ちて来たりする。お供え物をカリカリッと音をたててかじったりもする。

ある日近所の人が来た時、その蛇が玄関にとぐろを巻いているのを見つけて鍬で外に押し出した。それから蛇は現れなかった。
一月くらい経ってSさんが畦道を歩いていると、あの太い蛇が道端で烏にやられて生きているのか死んでいるのか、動かなくなっているのを見つけた。あれあれ、と思いながら通り過ぎ、暫くして戻ってみたら蛇はすでに白骨だけになっていた。

烏が食べてしまったのだろうが、「あれが仏壇に住んどったが、と思うとなんとのう可哀いことよ」

私は農民はだいたい酷いもんだと思っていた。かれらは作物のためには動物を殺し、猫の子供も川に流す。しかし母の子供の頃の話には、牛や馬とひとつ屋根の下で暮らす柔しい農民がでてくる。多分母の村の昔の農民と、今のこの辺の農民とでは事情も気質も違うのだろうと思ってきた。

Sさんに昔の優しい農民の名残を見た気がした。

2011/07/05(Tue) 21:50

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