きら星

どこかで会った人びと
◆フ・サナトリウム 

父が死んでから何か父に文句があるたび母が引き合いに出すのはミノルちゃん のことである。ミノルちゃんは父と違って背が高く細身で伊達男だった。ミノルちゃんはいつも片方の肩が上がっていた。肺が悪かったから。ミノルちゃんと母は同じサナトリウムで知り合ったのだ。
瀬戸内海に近い斜面のサナトリウムで、ミノルちゃんは母の病室の前を通るたび「誰もおらんのか?いやいやおった!少しも布団が膨らんどらんから誰もおらんのかと思った」とからかって通るのだった。飄々とした人であった
サナトリウムでは夜中、誰かの断末魔の悲鳴が長いこと響いた。かと思ったらすぐ近くの鉄道ではしょっちゅう飛び込み自殺があった。
生きてそこを出たら結婚しようと言っていた二人は無事に退院をしたのち、広島市内のミノルちゃんの家にしばらく一緒に住んだ。そこにはミノルちゃんの母親と妹がいた。ミノルちゃんの母親は結婚にはっきり反対したわけではない。ある日二人に、一緒に健診を受けて来なさい、二人とも完治していたら結婚しても良いと言ったという。

しかし、結果的に二人は結婚しなかった。なぜかは知らない。ただ、結核病み上がりの二人よりも、ミノルちゃんの妹さんが先に病気で亡くなったようである。
ミノルちゃんは私が後に通う高校の理科の教員だった。家もその高校の塀の南側で、母がいた頃には休憩になると塀を乗り越えて帰ってきてくれたのだという。「優しい人だった」だが結婚しなくて良かった、とも言う。
彼は比較的早く亡くなったから、彼と結婚していたら母は父と一緒になった場合よりさらに数十年早く一人になっていただろうから。(何事も自分中心で悪びれない母である)

母が最後にミノルちゃんを見かけたのは、父と結婚して大家族を抱えていた頃、繁華街の横断歩道でだった。視線を感じてそちらを見るとガードレールに腰掛けた男がいた。随分やせて具合が悪そうだがミノルちゃんだと母は思った。同時に余程健康状態が悪いに違いない、あの格好付けなひとが人通りの多い所でガードレールにとまっているなんて、と思ったという。

その後、「ミノルちゃん、死んだで」と母に告げたのは父である。同じ理科教員だったから(父は理科も社会も英語も柔道も家庭科すら受け持っていて、多分柔道以外どれも怪しかった)情報が早かったわけだ。

母は、やはり妻の昔の恋人のことを気にしていたんだろう、あの人は結構細かいから、とちょっと得意な感じ。

ミノルちゃんと結婚していたら私は生まれていないわけだが、何となくうっすらとした縁を感じる。

私がミノルちゃんが勤めていた高校に行ったのは、偶然私の憧れの先輩がそこに入ったからである。もちろん当時の私はミノルちゃんの事など全く知らない。
テニス部だった私は、グラウンドの南端にあるテニスコートで毎日球拾いに明け暮れていた。夏の暑い午後、球が塀を越えて飛んで行ってしまった。ダッシュで追いかけた私は住宅が並ぶ狭い道で立ち止まった。しんとした道は白く眩しく、喉が渇いてくらくらした。塀を廻らした低い軒のどれかから「カラカラカラ」とコップの氷をかき混ぜる音が聞こえてきた。薄暗い涼しげな屋内でかき混ぜられて氷がくるくるまわるカルピスのコップが蜃気楼のように浮かび、御免ください!!と駆け込みたいのをようよう押さえてボールを拾い、学校の塀の中に駆け戻っていった。

2010/11/23(Tue) 22:52

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