きら星

どこかで会った人びと
◆匂いの無い人 

私は視力も弱いし聞き間違えもするが、嗅覚には自信がある。例えば、自分の留守中に誰かが出入りしていた時、ドアを開けた瞬間の匂いで解る。子供の頃はよく寝込んでいたが、そういう時は身体の内部でおこる、熱がでる匂いというので解ったのだ。この世にいない人の匂いがふとする時もある。そんなこんなは、匂いが記憶を喚起するからなのかもしれない。
かつて、「匂いの無い人間になりたい」と言っていた先輩がいた。大層かっこいい人がジャズのサークルにいるよ、と友達に誘われてジャズに全く興味ないにも関わらずサークルに入った。本当にミーハーな私であった。
中性的なルックスもなかなかだったが、博識でフットワークが軽いところが格好良い。田舎者の私は、なんでそんなにいろいろ知っているんですか?とズバリ訊いたことがある。雑誌をいろいろ見てたらこのくらいの知ったかぶりは簡単だよ、等とクールに答えるところもまた格好良く思えた。
この先輩の下宿は私のアパートの近所だったから、時々行き来していた。雨の夜コンコンとドアが鳴って、「雨の訪問者です」等と現れる。レコードを持ってきて聞かせてくれたり、とりとめのない洒落た話を聞かせてくれたり深夜まで、時には朝まで話し込んで行く。うちに来るのは大抵どこかからの帰りだったり、どこかからどこかへの中休みだったりするらしく、その神出鬼没ぶりが大変スマートに思えたものだ。
ある朝帰る時、一緒に階段を降りていると踊り場で私を「よいしょ」と持ち上げて外を見せてくれた。結構ドキドキしたのだが、平静を装おった。何しろクールな先輩は私の目標だったのだから。
私は素敵な異性と出合ってもゲットすべき獲物ではなく、自分がなりたい理想像として見てしまう。これでは恋愛モードには到底なれない。男同士と変わらないのだから。
というわけで、無駄にドキドキしているうちに先輩は卒業してさっさとトレンディな広告会社に就職して東京に行ってしまった。
数年後、出張でやってきて広島城で待ち合わせしたことがある。素朴に憧れていた頃なら天にも昇る心地だっただろうが、感激は全く無かった。さらに数年後、東京に住んでいた頃偶然何かのライブで出会った。結婚してちょっとオジサンになっていたのだが、がっかりすらしなかった。
この人の表象のうち一番魅力的だった神出鬼没性は既に私自身のものとなり、その意味で私はこの人を自分の内にしまい込んだ。したがってリアルなこの人がどうであろうともう関係無かったのだ。
確かにこの人の匂いというものは私の嗅覚を持ってしてもつかめなかった。記憶においても無味無臭のまま。その辺はあっぱれスマートな人であった。

2010/03/03(Wed) 21:49

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