きら星

どこかで会った人びと
◆鬼火のような人 

北九州の舞踏家、Yさんは私にとってカナメのような人だった。実際に話したことは二度くらいしかないのだが。

大学の頃、照れくさいので付き合っているとかカレシ彼女だとか決してお互いに認めなかったA君は、自分でも言う通り、浅はかで女々しい男だった。彼は弟をほとんど溺愛していて、ファンといってもよいくらいだった。弟君はYさんという北九州の舞踏家の所に厄介になっていた。私は結局Yさんが撮ったという写真でしか彼を見た事がない。暗い室内で、また眩しげな屋上で。巻き毛の線の細い色白の、ミソッ歯の美少年だった。私はA君を介していつも『ベニスに死す』のタッジォのような弟君に思いを馳せるようになった。

弟君は咳止め薬を常用していて、それから派生するあらゆる問題にまみれていた。弟君と同じように、Yさんのうちに住んでいたらしいK君も、そういう意味であらゆる問題にまみれていた。K君の話はA君からも聞いていたが、A君とはまるで面識の無いロベスからも聞いた。ロベスの友達が親しかったらしい。K君にも私は一度も会うことはなかった。やがて東京でK君は亡くなった。

K君の追悼ライブが福岡であるというので、私はYさんの舞踏を見るために、ロベスは多分K君の仲間の演奏を見るために一緒に行こうという事になった。追悼だというのに、我々はウキウキと電車の中で1つのウォークマンを方耳ずつで聴いて、曲の当てっこなどしながら向かった。福岡といっても広い。やっと会場の幼稚園を探しあてたとき、高い塀の中から音合わせするギターの音が聞こえて来た。アンプで増幅された単音が三月の空に漂っては消えて行った。このようなものがあるのか、といたく感銘を受けた。それまで聴いた軽音等の世俗的なギターとは全然違って聴こえた。それが私にとって暫く続くギターの音への執着の始まりだった。

その後、東京のK君がいた町に行き、ロベスの友達でK君を知る人のうちに厄介になった。夜、銭湯の帰りにふらふら歩いているとあるアパートの前に出た。「イワンのばか」という飲み屋の近くで、なんとなく趣が気に入ったのだと帰ってからロベスの友達に言うと、どうもK君が住んでいたアパートらしかった。会った事もないまともに顔も知らない既にこの世に無いK君だが、それからもしばらく執着していた。あちこちにK君の痕跡を探しまわっていたがしまいに、ロベスの友達に「お前ら辛気くさい!!」と追い出されてしまった。

10年くらい後に山口に住み始め、友達になった女の人がいた。山口では結構知られた金持ちの一族だったが、大変フワフワした素敵なお嬢さんである。夜行バスで知り合ったフーリガンについてイギリスに渡り、色々酷い目にもあっていたが、微塵も苦労を感じさせない(多分あまり苦にしていないのだろう)ところが気に入った。しばらく付き合っていてわかったが、彼女の昔の恋人はK君のバンドの人だったという。K君は山口県出身だから不思議は無いといえるが。彼女が名門女子高生だった頃フラフラしていて知り合ったらしい。福岡の追悼ライブでギターを弾いていたのが多分彼女の元恋人なのだろう。

こんな感じで、Yさんをカナメにして緩やかな繋がりが広がっているように私には見える。浅はかなA君は顎の無いのが気に入らないがスタイルが好きという女の人と結婚した。この人はロベスの友達のバンド仲間だった。Yさんを見に行こうと思わなければロベスと今一緒にいるかどうか疑わしいし、自分もギターを弾こうとは思わなかっただろう。K君の痕跡のある町に住むこともなかっただろう。

とはいえ、この繋がりの中にある人びとは私にとって謂わば裏の世界なのだ。不思議なくらい、仕事を中心に出来上がっている私の表の世界とは断絶している。ギターの音が漂って来た福岡の幼稚園のような高い塀に囲まれた、ほの暗い世界である。これこそは、私が塀の外で生きていくために必要不可欠な暗がりなのだと思う。

2012/02/09(Thu) 21:57

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