きら星
どこかで会った人びと
◆縁の無い人々
明らかに縁がない人だがどういうわけか気になり、近付くためなら自分を根本的に変容させてみようかとすら思うが、結局縁のないままであった、という人達がいる。
そもそも自分に縁のある人の方が珍しいのだ。だから、ごく普通の好感度の高い人達はほぼ間違いなく縁の無い人だと思ってよい。
思い出せば、さまざまな意味で自分とかけはなれた人達だったとあらためて思う。
共産党員の息子だった中学校の同級生とその兄。認めてもらうためなら、一生ノーメイクの農婦になってもよいと本気で思った。束の間。
布団屋の息子だった高校の同級生とその兄(兄弟はセットになる傾向大)。商人は一番苦手だが頑張ろう、かわいい看板嫁になろうと思った。束の間。
演劇部で一緒だった真剣演劇少年。私はまるでやる気のない部員だったが、心を入れ替えて女優を目指そうと思った。束の間。
本当はあまり好みではない感じに中性的なルックスの大学の先輩。見ているうちにこれもいいかもと思い出した。同じジャズ喫茶のバイトを続けるため、まるで興味のないジャズをとりあえず聴いた。束の間。
鈴屋の関西出身の店長候補。デスメタル好きというので私も頑張って聴いた。束の間。
シェパードを愛するルナシー好きなフリーター。犬の散歩をする何となくアメリカンなライフスタイルにとりあえず付いて行こうとした。束の間。
公民館活動に情熱をそそぐ医者の卵。ハングルや点字をまなぶ。束の間。
高卒から公務員になった県庁職員。そのハングリーな安定指向が新鮮だったが接点はついに見出だせず。
天から降りて来たかと思う神々しい神楽を舞う少年。神楽をしていないときのだらしなさバカさとのギャップが新鮮だった。一家をあげて支援するが、束の間。
よもや、と思った若いバカな学校の先生。優男だが体育会系の兄貴なところが新鮮だった。かなり執心するが、束の間。
自分を根本的に変えるというのは魅力的な幻想である。多分幻想にしておいたほうが魅力的な幻想。
2011/11/10(Thu) 22:15
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