きら星

どこかで会った人びと
◆スカイライン 

温井ダムの丘の上に結構繁盛している店がある。母が気に入っているのでよく昼飯を食べに行く。

うちから温井までの国道は通行量はさほど多くない。荒涼とした寂しい道である。子供の頃はかなりの区間が砂利道で、それでタイヤをとられて花嫁花婿を乗せた車が転落したような事故もあった。何かと事故の多い路線だ。だがそれも含めて思い出多い路線でもある。だからいつも母は同じような場所で同じような思い出話をする。

まずは、父の最後の車を買ってくれた人のご主人が事故で亡くなったガソリンスタンドの前。「ここは昔から車がパアッと出て危ないんじゃ。田舎者は自分の道路だと思っておる」

その先の曲がり角にある家には私の一つ下の子が嫁いでいたが、つい最近自殺した。「購買の計算をきちっとするいい子じゃった」

王泊ダムには新婚さんをはじめ、沢山の車が転落した。父の友達は谷底の事故車に降りて行って金目の物を採っていた。「まこと嫌らしい奴よ。まだ生きとるわ」

王泊ダムの湖を見下ろすカーブには以前は王泊茶屋というドライブインがあって家族でよく行った。母は特にここからの眺めを気に入っていたのだが今は廃業してしまっている。「もったいないね。湖を見ながらコーヒーを飲むのをお父さんも気に入っとった」

このあたりを王泊というのはその昔、平家の誰やらが隠れていたからだと伝えられている。鴨が越冬に来るのを見て毎年母は喜んでいた。父の最後の車が車高の高い軽自動車だったのは、助手席から湖面がよく見えるからだ。「ああ見えて細かいことに気のきく人じゃった」

王泊ダムには赤い橋が架かっている。そこから湖を見ると、水量の少ないときは砂丘のような島が現れて「ナイル河のようじゃ」行った事もないのに母は言う。「ナイル河クルーズにいっぺん乗ってみたかった。だが物騒になったからの」


この辺りでは何回か、吹雪の夜、進めなくなった車を棄てて一列縦隊で歩いたものだ。「スカートの裏に雪が玉になって幾つもくっついた」

道路は滝山峡のほとりをうねりながら続く。この辺りには時々死体を遺棄しにくる連中がいた。「この上にはもう人里が無いとでも思っとるんだろうか。馬鹿が」そして上流から流れ来る箸を見て人家があると知ったスサノオの命の話になる。

風光明媚な所ではある。先日はトンネルとトンネルの間の渓谷がよく見える所で三脚をたてているカメラマンがいた。通りすぎたあと、「あそこら辺で車を止めようとは、ましてや写真を撮ろうとは思わんね。何が写るかわかりゃせん」

カーブする路面を眠気覚ましだか何だか、わざと凸凹にしてある所がある。そこを通るとき母は必ずバイクで転落して死んだ若い高校教師の話をする。

彼は母親と二人暮らしだった。母親は教員を目指す息子のために知り合いから借金をした。晴れて教員に採用された息子は初めての給料が出るとすぐ母親の借金を返しに行った。金を貸したのは飲食店の人だった。バイクで来て借金を返し、帰ろうとする息子はゆで玉子とビールをすすめられた。強くすすめられて少しだけ飲んだ彼は、バイクで帰途についたが、滝山峡の凸凹のカーブで運転を誤り、ガードレールを飛び越えて転落し亡くなった。

今ほど飲むな飲ませるなと厳しい時代ではなかったとはいえ、「あの婆さん意地悪でわざと飲ませたんよ。あそこの家に教員なんかなれる者は一人もおりゃせんけ」と母はいつも締めくくる。勿論、認知症で正しい認知能力を失った母の申す事であります。

2011/08/09(Tue) 22:39

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