蛍の光

私が生まれてこのかたほとんどの時間を過ごしてきた「学校」なるものに関する色々です。
◆立派な先生 

これまで自分が生徒として出会った先生を思い出し、好きだったと思えるのはごく僅か一人二人である。好きとは言えないが、感謝している人も僅か一人二人である。好きとは言えないが立派だったと思う人は皆無である。

さて、好きな一人二人、感謝する一人二人の中に女の先生はいない。女の先生に習わなかったわけではないが、今に比べると女の先生は少なかった。私が習ったのは家庭科と体育の先生だけだった。小学校では1年間だけ女の担任だった。それも病気になられたので半年も学校に来られなかった。

女の先生を私はどちらかというとバカにしていた。それはたまたま出会った数少ない彼女らが、たまたまつまらん事を言ったり、ものを知らなかったり、たまたまカッコ悪かったりしたからかもしれない。
だが、一番の理由は家の中にカリスマ的な女の先生がいたからだ。それは自分の母なのだが、私は母をすごく立派なカッコ良い先生だと思っていたから、母と比べたらどの人もみんな駄目に見えてしまうのだ。
なぜ私は母をすごい先生だと思ったのか。一つには父がいつも絶讚していたからである。「お母さんはすごい。なにしろ、心臓に錐を突き立ててキリキリキリともみこんでしまいにトンカチでカーン!と叩き上げるようだと校長連中は言っている。」と、よく語っていた。だが思えばかなり両義的なほめかたではあった。
また、母は地域の家をいつも廻っていた。子供の世話が不十分な家ではお父さんを叱ったり、お母さんに料理や洗濯機の使い方まで教えたりもした。だから地域の人達は家に子供がいる人もいない人も、母の事を先生、先生と尊重してくださった。だが思えばかなり両義的な尊重の仕方ではあった。

そんなこんなで私は母はすごい先生だと思い込んだのである。ただ、子供心にも母は立派な先生だが、親としてはまずいんじゃないかと思ってはいた。こんなに自分の子供の事を解らない、ものすごい自己チューな人がなんで他人の子供の事を解るんだろう、なんで立派な先生なんだろうと疑問に思っていた。
多分家と学校とでは人が違うんだ。また、自分の子供に関しては目が曇るものなんだ。と、納得しようとしてきた。私は数少ない「立派な女の先生」を失いたくはなかったのである。

しかし私がこの人の子供でなく教え子だったとしたら、この人の事をまあまあ好きだったかもしれない。
そして確かに「立派な先生」だと思っただろう。
母は確かに厳しいが、小さな事はぐちゃぐちゃ言わないし、どんな子供でもけっしてバカにしない。叱る時には大変恐いけれど、喜ぶときには自分の事のように喜ぶ。
山火事や、迷子、事故など咄嗟の出来事にも冷静に対処する。悪い事をした子もなじりはしない。でもけっして見捨てはしない。

家で子供に関して悪口やバカにしたような言い方や、好き嫌いを口にしたことはない。自分の子供の前では当たり前だが、父と二人で話している時もそうだった。(大人についてはものすごい辛辣だったが)

確かに、母は子供たちに希望を持っていた。子供たちを信じていた。同業者になって話をするうちに、それは戦前の師範学校の良いところだったのだと思うようになった。随分イメージと違っていたが、母の話を聞くかぎり、戦前の師範学校というところは、意外と子供を支配しようとか支配できるものだとは考えていなかったようだ。

では、手のひらの上で駒を転がすような教師はどこで育てられたのだろう。
私がもっとも嫌いだったのはそういう先生だ。自分の思うような姿に生徒を作り上げようとする、あるいはそれが可能だと思っている。思い上がりもはなはだしい連中だ。
昔、こういうのはだいたい男の先生だった。(今は良くも悪くも男女関係ない)
昔の女の先生はといえば、そんな思い上がりもはなはだしい男の先生に支配される「女子」の延長でしかなかった。だからバカにするしかなかったのである。

母は、そのような思い上がりもはなはだしき男の先生をきつく懲らしめていたし、だらしない女の子先生をきつく叱咤していた。だから父が言うように「キリキリキリ、カーン!」と傷つけられた同僚や上司は多かったろう。

自分が学校に勤めて改めて思うと、昔の自分は確かに狭い目で学校と先生達をみていた。自分の両親とは違うタイプの先生達の苦労は全く評価していなかったが、色々な先生達には色々な良さがあったのだ。今のように同じ職員室で働く相手としてみたら、たいていの先生が「良い人」か「できる人」か「困るけど面白い人」だったのだろうと思える。

それでも、今になってもなお、私は先生には「立派な先生」を求めてしまうのである。好きになれなくても具体的に感謝する事が少なくてもよい。立派な先生とはつまり、立派な大人になるための指針になる人だと思うから。

かつて「立派」だと思い込んだ母の人間としての実態は問題だらけだが、先生としては紛れもなく立派だったと今でも思っている。

2011/04/10(Sun) 12:23

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