蛍の光

私が生まれてこのかたほとんどの時間を過ごしてきた「学校」なるものに関する色々です。
◆土足の学校 

たまたま今の職場には広島出身で、しかも同じ高校を出た人がいる。
思い出すのも面倒臭いと思っていた高校時代だったが、時々二人で「閥」を作ってこの辺の「山口高校同窓生にあらずんば人にあらず」的な風潮に対抗したりしていると、おや不思議。愛校心みたいなものが芽生えてきたではないか。

もっとも若い後輩君の行った頃と私が行った頃とでは、学校の名前まで微妙に違うし制服も選抜方法も校舎も違うので、実はとても同じ高校とは思えない。何より違うのは今のF高校は土足ではないということだ。

田舎から出てきた私には靴で教室に入る、ということが衝撃的だった。これは大変都会的な事だと私には感じられた。無理からぬ事だ。中国山地の天辺に取り残されて数百年になる我々には、土足で家の中に入る西洋人にショックを受けた御先祖達の心性が色濃く残っているのだ。

しかし後輩君は事も無げに言った。「え〜っ!もちろんスリッパですよ。土足ですかあ?汚れるじゃないですか」軟弱な!!と私は憤慨したが、奇麗好きの今時の若者だから仕方ない。
しかし、建物なんてものは奇麗にすればするほど汚れが気になりだすものだ。土足だった頃は、どうせ砂が上がるし汚れるから掃除もざっとはいておしまいだ。たまにモップで水拭きして、年に一度くらいワックスをかける、という感じだったと思う。
スリッパなんかで生活していたら、ちょっと砂が上がっても水がこぼれても気になり、硝子が割れたら大騒ぎだろう。

だいたい、ちょっと汚れたくらいで気にするなんて女々しい。吸殻や硝子の破片を踏みつけて談笑するのが都会的というものではないか。

しかしそんな解釈をして土足を擁護していたのは田舎から出てきた私くらいだったと今思う。同級生の都会っ子達が「スリッパになるといいね」と言うのでショックを受けた事が確かにあった。え〜、土足の方が断然格好いいじゃないか、と私は言ったものだが。

かくしてF高校は、今ではスリッパになって生徒達は奇麗に掃除をしているらしい。

今思うと、どうも私が考える「都会的」とは、何かしら西部劇に出てくる酒場じみたものだったようだ。今日に比べて、イメージの源泉が非常に少なかったということもあるが、つまりはチャンバラと西部劇が好きだったのである。

2010/11/01(Mon) 21:47

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