蛍の光

私が生まれてこのかたほとんどの時間を過ごしてきた「学校」なるものに関する色々です。
◆くたばれ先公! 

大変久しぶりに、そして奇跡的に再会したとしても一片たりとも懐かしい気持ちなどせず、状況によっては少なくとも殴り倒したいものだと思えるような相手は滅多にいない。(当たり前かもしれない)

自分にはそういう相手が少なくとも2人はいるのだが、名前も顔もはっきり憶えていないのがご愛嬌だ。暴力沙汰を起こす危険は無い。

私は大学院終了後、仏教大通信で教員免許を取った。在学中に一度は取ろうとしたのだが教育原理と行動心理学の講義が嫌で嫌でやめた。その後上洛し、京都大学でもぐり修行するも失敗。道を見失った挙げ句、やはり教員免許を取り採用試験を受けようなどという愚挙に出たのである。

このように動機が後ろ向きな上、いたずらに歳を取っており、しかも長年の尋常でない生活のおかげで人間界に紛れこんだ妖怪のようなぎこちない挙動が災いした私は、教育実習先で憎しみにも似た扱いを受けるのである。

弁明させてもらえるなら、私は全く真面目だったし、礼儀を損なわぬよう気をつけた。仏教大学で散々「君達実習生は邪魔者以外の何物でもないのだから」と言い含められたから、学校の先生方には本当に感謝していた。そう、今だって感謝している。

初日、社会科の先生方に挨拶をした時、一堂しらーっとしたのち長髪の先生が言った。「今年は歓迎会はいらんな」まだ私が目の前にいるうちにである。
その後の色々は思い出すのが面倒なのでもうよすが、実習で私が学んだのは「生徒は優しい。少なくとも先生よりは」という事だった。夜中バイクでバリバリ走り抜けて行った中学生が「先生、頑張れよ!」と言ってくれたのがどんなに嬉しかったことか。

実習中は歯を食いしばって先生方の罵詈雑言を「有り難うございます!」と素直に受け止め頑張った。罵られるのは自分が愚かだからだ。
実習終了後もちろん送別会じみたものはなかった。他の教科の人たちはそれぞれしてもらったらしいのだが。

実習終了後すぐは、まだ洗脳が残っているみたいに自虐的な反省をしては爽やかな思い出と感謝にぼーっと浸っていた。
何年も経って、しらふになるように、あるいは活力が甦るように、私の中に長年忘れていた感情が沸き上がった。生ける屍のような数年間、私の中で怠けていた人間的な熱い怒りの感情である。

くたばれ先公!

そう、今なら間違いなく言えるぞ。おそらくもう定年間近であろう京都市の社会科トライアスロンマッチョ教師野郎と長髪左翼崩れやさマッチョ教師野郎に、見た目穏当な普通の社会人である私が出会うなり怒鳴り付けたらさぞ珍奇だろう。

くたばれ先公!

付言すると、このように怒れる私であったなら、おそらく彼らはあそこまで罵詈雑言並べ陰湿にいじめたりはしなかっただろう。私が人間界に弱味を見せたがために彼らは付け入ったのだ。

2010/10/20(Wed) 22:10

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