蛍の光

私が生まれてこのかたほとんどの時間を過ごしてきた「学校」なるものに関する色々です。
◆脱学校 

夏休みも終わりだから、ちょっと散歩がてらに近所の「しまむら」に。入口付近に茶色い小山ができている。キャーキャーとうるさい。若い女の子達だ。今日私は非番であるから無視して通り抜け店内に入る。しばらくして喧しい連中が雪崩れ込んできた。「ギャー!先生!!ギャハハハハ!!」
昨年度までいた学校の三年生が二人、金髪にそりあげた眉という山姥のような顔でつかみかかってくるのである。残りの五人は一年生らしいから顔は知らない。

しまむらに行くと知っている子によく会う。なぜか大抵派手で喧しい連中である。おそらく、この人達は見かけると声を掛けずにはいられないのだろう。私は決して「学校の先生」とか元「学校の先生」などに声などかけない生徒だったことを思えば有り難いことではある。
去年、卒業生に会って「高校辞めた、バイト決まった」と言われてついつい安い靴下を買ってあげたこともある。「ねえ何か買って〜買って〜!」と喧しいから、「仕方ない。お祝いに靴下を買ってやるから選びな」と言ったらころっと遠慮深くなって百円くらいのを持ってきたっけ。

今日の二人と会った後は、今までになく気分が悪かった。なぜかな、と考えてみたら、彼女達は子分を連れていた手前もあるだろうが、何だか「学校の先生」に対するようなとげのある接し方だった。
たしかに私は彼女達を一昨年担当した元「学校の先生」だが、今は学校も変わっている。こういう場合大抵の子は「昔の先生」か「知ってるおばさん」に話すように寛大になって話してくれるんだが、今日の二人は違う。彼女達は今年になってあまり学校に行かないらしい。そのためか、過去の私も現在の先生達も味噌も糞も彼女達からすると現在進行形の「先生」なんだろう。

彼女達は、別にひどくののしるわけでもないし笑いこけているのだが、眼は笑っていない。私なぞも学校関係者として、彼女達の「学校なるもの」への敵意をぶんぶん押し付けてこられる感じ。
だが、悪いけれどどうしようもない。私が代表して謝っても白々しいし、共感したふりをするのも馬鹿にした話だろう。ましてやわざと悪態ついて興奮させて物を壊させて警察沙汰…というのも余りに意地悪だろう。

かつて私は「警察なるもの」への敵意を一人の警察官に対しぶんぶん押し付けたものだが、それはその警官がたまたま制服を着てたまたま私の前に立ちはだかっているというだけのことからであった。別に「御前は警察の一部だからそうされて当たり前だ」と思ったわけではない。だが、目の前に具体的に一人の警察官しかいないのだった。

では警察なるものへの不満はどうすれば良いか?
冷静に考えれば、警察官に八つ当たりするよりは効果的な事が幾つか出て来たはずだ。考えない私は愚かだった。

学校なるものへの不満はどうすれば良いか、少なくとも非番の下っぱに八つ当たりするよりは効果的な事が考えれば幾つかあるはずだ。
それが解れば子供じゃないとか、解らないから彼女達は苦しんでいるのだ、なんて事は私は思わない。
たしかに子供と大人の解り方は違うかもしれないが、子供だって冷静に考えられるのである。

彼女達のために前の学校で私がやるべきだったがやらなかったこと、またはやるべきではなかったがやってしまったことについてはこの仕事をする限りほぼ毎日考えざるを得ない。そしてものすごく後悔するし申し訳なく思うが、もう滅多に会わない「知ってる子」である彼女達に私ができることは「挨拶」ぐらいである。

2010/08/31(Tue) 23:03

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