蛍の光

私が生まれてこのかたほとんどの時間を過ごしてきた「学校」なるものに関する色々です。
◆我慢しない練習 

卓球部に入って毎日毎日朝から晩まで卓球をするようになった神楽君。そろそろ卓球君と呼ぶべきかと思ったが、土日の午後だけは少し時間がある。そこで「ふう、やれやれ」と一心不乱に面作りに励んでいるのを見ると、これはやはり神楽君は神楽君だと思うのだった。

風呂上がりに「素振りしてみろよ」と言ったら「23番くらいあるらしいけど、まだ八番までしかやってない」と言いながらランニングと半ズボンという姿でやって見せてくれた。ああ!これはまるで伝統芸能ではないか!!

何でだろう。普通の卓球の素振りを教えてもらった通り「一番、二番、三番…」とやっているのだが、私にはどこぞの伝統芸能に見えるぞ。腰のすわり具合だろうか、腕の返しかただろうか、とてもスポーツという感じではない。かといって下手なわけではないと思う。神楽君は、型を覚え身に付けるのは得意なのである。玉が当たるかどうかは全く別の問題だが…

というわけでゲラゲラ笑いながら神楽君の卓球節を見せてもらうのも新鮮で面白い。


それにしても今時の中学生はご苦労である。我々の中学時代には日曜日の練習などなかった。(土曜日は学校があるから部活もあった)長期休暇も練習は前半二週間くらいで、盆から先は休みだった。朝練など試合前くらいしかなかった。試合も年に数回だった。

今はテスト前と正月休み以外、一年中部活のない日はないくらいではないか。テスト前は勉強しなければならないし、部活と勉強以外の事をやる時間と体力は中学生には許されていないかのようだ。余計な事にエネルギーを発散されては困るからこういうシステムになっているのだろうか。

空き時間はちょこちょこあるだろうが、まとまって何かを為すほどではない。これで塾にでも行っていたら、確かにゲームするくらいしか余暇の使い道はなくなるだろう。ゲーム脳だとか嘆く前にゲーム以上の事を計画して実行できる視野と時間と自由を確保してみたらどうだろう。まあそんな視野も、時間と自由を享受する教養も無い大人だらけの世の中だとしたら無駄だろうが。

神楽君は、もう十年近い職人生活が身に付いているのでちょこちょこの空き時間も無駄にはしない。まあ、ゲームでも何でも職人気質や研究者魂でやっていればいいと思う。

一心不乱に遊ぶには知力も体力も使うものだ。部活も塾も無い日曜日を過ごしていた私は、神楽君のように一つの事に打ち込む職人ではなかったが、友達と徒歩や自転車で山越えしたり山小屋や弓矢を作ったり、時にはバスに乗って広島に楽譜やレコードを買いに行ったりもした。

楽器店も書店も近くにあり、美術館や博物館、古い祭りや町並み、名所旧跡もある町に住みながら中学時代に一度も行った事が無いのではもったいない話だ。(それでは社会科が好きになるわけないね)


時間と自由を与えれば確かに代償として悪さをしたり危険な目にあったりの可能性は増えるだろう。だがそれが冒険というものだ。部活と勉強とボランティア活動で清く正しい中学、高校、大学生活を送れば本人も親も先生も満足してすばらしい思い出が出来たと思うかもしれないが、実は退屈なばかりではなく有害ですらある社会のメンバーを一人増やしただけかもしれない。なぜなら彼/彼女は世界の清濁を合わせて楽しむ事に免疫がないからである。

清すぎる川には魚も住めないというではないか。
等と言ったら濁りきったお前こそが有害だと言われるだろうな。

「中学校は我慢をするところだ」と、神楽君の担任の先生は昔自分の担任に言われたそうだ。確かに今の中学校はそういう所だろう。しかし私は中学校で我慢した記憶はあまり無い。むしろ反対で、いかに無謀なチャレンジを我慢せず踏み出すかという胆試しのような日々だった。やろうと思った事を一つも我慢しなかった。

どうか若い皆さんが、つまらぬ事で我慢の練習などせず、無謀な事を我慢しない練習でもすると良いと思う。バカにされるかもしれないが楽しい事は請け合いだ。もっとも、色々覚悟はしておかねばならないが…

2012/06/05(Tue) 22:50

by 朝比奈
ぶんぶんさんありがとうございます!!子供は本当にどうなるか予測も出来ないので楽しみでもあり、心配でもありますね。いなくて心配がないよりは、身もちぎれんばかり心配でも居てくれた方が良いというのがまた業なものであります…


[コメント編集]

by bunbun
ご無沙汰してます。
神楽君も中学生なんですね。
うちの神楽もどき君は、この春から大学生になりました。
ではでは。


[コメント編集]

[コメント書込]

[戻る]
[TOPへ]
[カスタマイズ]



©フォレストページ