蛍の光

私が生まれてこのかたほとんどの時間を過ごしてきた「学校」なるものに関する色々です。
◆仰げば尊し 

10年近く厄介になった山口市の学校とついにお別れする。それ以前に10年厄介になった短大をくびになり、とにかく生活の立て直しをしなくてはと申し込んだ山口市の補助教員だったが、たまたまある校長の気まぐれのおかげで採用された。その後親しくなった臨時採用の先生の紹介で非常勤に採用してもらいこれまでやってこれたのである。年々少なくなる求人だったが、昨年は組合のエフ先生のおかげでつなぎ止めていただいた。今回は常勤という長年希望し続けた話をいただいたにも関わらず、自分のわがままで断り、遂に仕事を失う。

母の介護で毎週帰郷しなくてはならない上に突然呼び出される事も多いので、今年ばかりは常勤は無理と思った。さらに論文も今年がラストチャンスとなり決着をつけなくてはならない。私には、介護と常勤と論文を全部やってのける力はとてもないと判断した。できるんじゃないの?と言う人もいたが、私は今でもかなりぼろぼろなので無理だと思う。

やらねばならない事もすべてできるとは限らない。できない、と言う事は意気地無しで情けない感じがするから本当は嫌なのだが、やります!!と言って結局駄目になり迷惑をかけるのも意気地無しで情けない事には違いない。

学校では大変勉強になった。いつも外来種のような余計な存在だったのだが、上司も同僚も親切にしてくださった。特に最後の二年間は毎日が楽しいと初めて思えるような学校で過ごさせてもらった。だから最近、これにて学校はお仕舞いにしよう、と思ってもいたのだ。ただ、介護や論文があるといっても経済的な問題は否応なしに残るので、出来たら非常勤をしたいとも思っていた。しかしそんな都合よく行かなくてよかったのだろう。覚悟を決める時が来たという事だ。

学校関係の物は整理して、これから仕事場となる自分の机を整えた。この仕事は苦しいばかりで少しも楽しくはないだろうが、机に向かえば母の事を頭から追い払えることだけが救いだ。

2012/03/23(Fri) 18:38

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