蛍の光

私が生まれてこのかたほとんどの時間を過ごしてきた「学校」なるものに関する色々です。
◆笑われ千本ノック!! 

先日、勤務先のS中の職員室で何気なく周りの会話を聞いていた。一人の先生が、ある男子生徒の事を評して「あいつ可哀想よの。あれじゃあ高校に行っても先生らに可愛くいじってもらえんで」と言って、周りの先生達も、「そう、うまーくコロコロっといじって貰えないタイプよね」等と相槌を打っている。私は愕然とした。

いじって貰わんでえーわ!!何でいじられにゃあ可哀想なんかい!!と心で叫びながら平静を装おってワープロを打つのでもう心は汗だくであった。

この先生達が善意で言っているのがわかるから尚更恐ろしいのである。私はテレビのバラエティーがあまり好きではないが、それは出てくる芸人!?と呼ばれる人たちがいじられる事を笑わなくては成り立たないような作りになっているからだ。

いじられるとそれを自虐的なパフォーマンスで受け入れたり、わざととぼけたり、とにかく見ている人たちに笑われなくてはならない。でないと場が白けて、お呼びがかからなくなるぞ、とか終わったな、とか脅されてそれがまた見ている人たちの笑いを誘う仕組み。

私はそんな面倒くさい事は嫌いだ。されるのも面倒くさいし、するのも面倒くさいし、見るのも気持ち悪い。職員室に入る時、生徒は教えられた通りに「〇〇先生に御用があります。」と言う。すると〇〇先生はどういうつもりだか知らないが「私は用はありません!!」等と言う。笑いが起こる。私が生徒なら「この無礼者!!教師のブンザイで何言いやがる!!」とドアを蹴りやぶるだろう。

そんな訳だから自分が 学校の生徒だった時、私を「いじる」ような先生はまずいなかった。 試みると悲惨な結果に終わった。家庭科の先生が、あまりにも私が裁縫が下手なので「△△さんは誇り高いからねえ、裁縫なんかできないのかな」等と要らぬ事を言う。私が「ああ棚の上に埃がたまっとります」と憮然として言うと教室がものすごく寒くなった。先生はヒヒ、ヒヒ…と収集のつかない笑いを残して去って行った。

教師のブンザイで何を言うか!というのが正直な気持ちであった。自分の両親も教員なのだが、幸い人にそんな卑屈さを求めるタイプではない。

教師にいじられて、一生懸命反応しようとする生徒は気の毒だ。それは同級生にしつこくいじられて、うまく反応しないと嘲笑われたり非難されたりというのを繰り返すのとかわりない。そういうのイジメと言うんじゃないのか。イジメは無くならないと先生達はしたり顔で言っているが…

いじられるという事は可愛がられるという事だと先生達は言うんだろう。社会で可愛がられる新人になる練習だと言うんだろう。そうだろうが、つまり場の空気を読んで無駄な時間と労力と精神力を磨り減らすのが社会人だと先生達は教えていることになる。身に付くのは卑屈な笑いだけである。

いわゆる頭の良い子の中には、敢えて教師にいじられてあげる、というのもいるが、これもまた大人びたようで結局は卑屈な態度である。いじられキャラだとか言えば聞こえは良いが、この風潮は要するに運動部のシゴキが姿を変えたようなもんだ。合理的ではない。だから嫌いである。

2012/01/15(Sun) 01:43

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