定点観測


◆玄武岩時代 

境界線を

星空にできた山と人との境界線を
さあ越えて行こう
石や土が縮こまる声に
これからの行先を聴こう

赤土に赤松が根を下ろし続け
青空に立ち続け夜には黒く
風や岩が延びて行く先に
これからの住みかを見よう

くにづくり

海を離れ山に登る
あとの事は皆にお任せ
新しい国を作りに行く
尾根を雲が這い降り頂上には冷たい風

山のいただき泡の波頭
御影の国も足の下
新しい国を作りに行く
石灰の粉がこれからの国土の空を飛び回る

海の言葉を忘れつつ
山の言葉を学ぶのだ
新しい国を作りに行く
地下水がこれからの国土の誓いを刻み込む

高速道路

高速道路をすり鉢状に古い地層が取り巻いて墓地かと思えば団地じゃないか
ぐらぐら目が回る速く通り抜けよう最高速で
たかが知れてる中古のニイハン
古い霞のたなびく内海にずり落ちていく
トンネルの声は懐かし
速く通り抜けよう最高速で

橙色のヘルメットは古い夏にいつもぎらぎら岩に滲み入り今も聞こえる
トンネルの声は懐かし
速く通り抜けよう最高速で

ありがとうラリーズ

淀の岸辺に服部緑地
浅間の灰をイワンが被り
西部講堂ジャックが豆でもラリーズ
ありがとうラリーズ

ブロンドの紫の箱
春のシオンのように潰れている
橋を渡れば万里小路ラリーズ
ありがとうラリーズ

ヤッホー

嬉しいな天気はいいよヤッホー
春になったみたいに空も山も
ニコニコ手を振り飛んでいくよ

菜の花や梅の花咲く国道を
昔は皆で走ったね春の街に向けて

嬉しいな天気はいいよヤッホー
もう一つの世界があれば
また一緒に走ろうね
トンネル抜けて赤い汽車に手を振って

言葉にするのも

言葉にするのも穢らわしい程腹立たしい
怒鳴り付け罵倒しても
通じていない自惚れるだけ
思うようにはいかない人の心は変えられない
言葉にするのも穢らわしい程腹立たしい
薄ら笑い無視してみても
わかっていない自惚れるだけ
放っておくと増殖するそれが心配で心配で
絶滅させたい
そこまで考えるとつい気の毒になり
取り敢えずは怒鳴り付けておこうか

玄武岩のテーマ

苦しい時や悲しい時は
もうこの辺でいいことにしたい
花崗岩の中へ
黒く厳しい玄武岩から生まれ
寒く険しい玄武岩に励まされ
優しい人や懐かしい事や
もう大変幸せでした
花崗岩の中へ
岩の面を流れる水の音だけ聴こえる

秋のキリンソウ

枯れた川底に今は
秋のキリンソウが風に流れる
冗談ではなく大袈裟でもなく
この世に生まれて来させて頂いてありがとう
まばたきも忘れる程
今は一つの知覚に成り果て

山の梢の一つ一つに
皆さんの幸せが引っ掛かり
悲しい事は数限りなく
同じ順路で廻り続けるが
高い所を渡って行く
今は一つの言葉に成り果て
恥ずかしげもなくなんの遠慮もなく
この世に生まれて来させて頂いてありがとう

世界のイシ

風が来て星の方へ飛ばしていった
何も残らない
雪が来て化石のように固めていった
何も動かない
地面を下から叩く音がする
何があっても容赦なく
必ず芽を出すそれでこそ
世界のイシと呼ばれるべき

プラザの夜明け
プラザの夜明けを横切って
それが今では警備付き
プラザはどこへ行った
ピカピカ輝く消費の殿堂
よってたかって着飾らなくては
不安で街には出られない
プラザはどこへ行った

ぎらぎらテカる業界関係
拝んで頼んで奉られなくては
生きた心地がしないそうだ
プラザはどこへ行った

何事も確かに

何事も確かに未来で承知しました
たとえ誰にも見えなくても
いつの夜空も青ざめるほどの星空
吹雪を約束する鉛の雲に
暗い歓び沸き上がる
何事も確かに未来で承知しました


罰当たり

二十歳の13日金曜日に
私の借金まで載せて海に飛び込んだ友達
御免よあれからこっちはついてない事ばかり13日には走るのが怖かったが
2月13日にチョコを投げに行ったけど
あんな事では駄目だろうね

16歳の4月日曜日に
鉄屑になった友達
バス代を貸してあげなくて御免よ
あんたの彼女は大きなバイクに乗っているよ働いていた店は潰れた
白バイを蹴っ飛ばしたりもしたが
今はお巡りさんなんて言葉が平気で出てくる
トンネルの幽霊を怖がっていた友達
御免よ
あいつは早く死にそうだなんて言いふらしてもうお父さんだね
旗を背負った写真飾って
奥さんバイク嫌いだって、よかったね

罰当たりあれからいつも金に困っている

絶望のテーマ

雨が近づいて来るように
黒い雲が沸き上がるように
絶望と希望が背中を合わせ
色々な幸せがあり色々の不幸せがあるが
他人は幸せな方が良い
若さにあぐらをかき心から腐った人間もいるそれを人は綺麗にはできない
それを処分するのは
正義と言ってさしつかえない

あの町に住みたい

あの町に住みたい
とてもいい町を見つけた
ここからそう遠くはない

削りくさした丘に
トタンとベニヤとセメントが塊になって
かけ登り、登りきれば魚臭い海峡に向けて
転げ落ち続けている
真っ直ぐな道は一本もなく
無駄を省く意志もない
どんな車も捻れてとまり
人は皆、裏口にいる
あの町に住みたい
もう10年若ければ
町を呪い丘から丘へ
朝まで夜まで歩くだろう
醜い町のさまになる一部になれる

骨組みだけのアーケードは
土地の起伏に合わせて曲がる
煤けた店も道も黒く
満艦飾の通りは静か
あの町に住みたい
あと30年経ったら
守るものもいなくなり
屑鉄は潮で錆びるだろう
醜い町のさまになる一部になれる
あの町に住みたい
とてもいい町を見つけた
ここからそう遠くはない

玄武岩のテーマ2

あんまりにも呆けて遊んだ
無残な日々が柱状に割け霞んでいる
内海の花崗岩のようだ
潮に焼け焦げ髪も皮膚も目玉も金色だ

ゾレンという字を背中に張り付け揺れている
満開のイソギンチャク
潮に焼け焦げ髪も皮膚も目玉も金色だ
人間に見切りをつけそれでも人間として
深く進行する
玄武岩の時代


セガンティーニの高地で会いましょう

セガンティーニの高地で会いましょう
誰もが同じ方を向きたがる
他人の賞賛を浴びたいがため
いつも集団に帰属し
過去の色分けと徒弟制度にしがみついているそれでも自分は個性的だと
人より変わっていると信じ込まされている

ただ食い物にされているだけだ
ただ食い物にしているだけだ
さらに悪いことにはそれに手を貸し金を出し沢山の犠牲を捧げ続けている

セガンティーニの高地で会いましょう
世界は自分一人のステージだと
すべては自分の脇役観客さもなければ
むかつく邪魔者だと思っている
他人の羨望を浴びたいがため
腑抜けにされ飼育されている
自分の籠だけ飾り立てている
ただ食い物にされているだけだ
ただ食い物にしているだけだ
さらに悪いことにはそれに手を貸し金を出し沢山の犠牲を捧げ続けている

2012/02/25(Sat) 13:20  コメント(0)

◆解散 

私と居ると緊張がとれないので疲れるようだ、とある女の子の母親に言われたことを時々思い出す。父親の方はイヤ我々にたいしても同じですからどうぞ気になさらないで下さいと言った。多分二度と会うこともない人達だ。

確かにそうだろうなあ…とうちのRを見て思う。狭い長屋の中ですれ違う度に抜刀するかもというくらいの緊張感がみなぎる。喧嘩しているわけでもお互い気に入らない事があるわけでもないが、何となくそうなる。(Rはでっかいし)話しかけると普通に和やかになる。しかし、間合いの取り方がどことなく不自然。話し終わるとほっとする感じ。こちらがそうだからRも多分そんな感じなのだろう。

かぐらくんでさえ、フハッと顔色が青黄色く変わる事がある。うちで、というか世の中で一番私がリラックスして付き合えるのはやはりロベスである。ただし、向こうもそう思っているかは大変あやしい。おそらく私がリラックスするほどにはしていないだろう。だって自分勝手な時に難しい事を質問してすぐ答えないといきなり恫喝するし。すぐ難癖をつけて絡んできて脅すし…

しかし、私は思う。当たり前の事かもしれないが、人間は大体緊張するものではないか。あまりカジュアルなのはかえって不自然なのではないか。

親に対して緊張する。当たり前だ。親なんてものは全く何するやらわかりはしない。私はいつ無理心中を図られても、保険金目当てで狙われても良いように心構えしていた。すわ、という時には相手の生死にかかわらず一番確実なやり方で防御する方法をシミュレーションしながら眠るのだった。日頃から自己流少林寺拳法を練習し、弓矢やヌンチャクを自作し、肥後守を研いではポケットに入れていた。

きょうだいは他人だからもう少し気が抜けるが、それでもうっかりした事は言えない。生涯恨まれる事になりかねない。

学校では大した危険はないが、やはり言葉に注意だ。ひがみっぽい奴が多いので、すぐ威張っているとか、偉そうにしやがってとか上目遣いに文句をつけてくるからだ。そういう相手にはまさか馬鹿野郎!!とも言えないし(やっぱりバカにしやがってという事になるからだ)扱いが難しい。

だが、それもこれも当たり前の気遣いである。親を殺人犯等にしては先祖に申し訳がたちません。人に恨ませてはその人の人生が暗くなります。

というわけで、あの子にも、もっと緊張して生きろ!!と言ってあげればよかったわけだが、そんなことを言えるカジュアルさが私には決定的に欠けていたのである。


そうは言っても、歳をとってだいぶん私もカジュアルになってきたと思う。少なくともおやじギャグや駄洒落を平気で言ったりはできるようになった。ただ、寛いだ感じを出すのは難しい。テレビドラマのようにカジュアルな台本でもあれば良いのだが。

自分が育った家では、目に見える所ではあまりみんな寛いでいなかった。よその家に行って一番苦手だったのは、茶の間や炬燵などで皆で寛ぐ事だった。テレビがついていて、炬燵の周りで転がったりぼーっとしていたり…という中に居るのが物凄く苦痛だった。それこそ寛げないで苛々が爆発しそうになるのである。

うちではご飯は台所のテーブルで皆で食べ、さっさと片付けが始まり、散らばって行く。炬燵はあったが我々子供連中が入って宿題やら小説やらトランプや花札の練習やらをしていた。母は台所で学校の仕事に精を出していた。父は大抵車庫や納屋や庭で土木工事か工作をしていた。

みんな働き者というわけでもなくてゴロゴロしていることも多いが、母なら人気のない応接間のソファーとか、父は縁側か、台所の木の床の上にゴロリッと転がっていた。

家の中を歩いていたらオッと思うような所で誰かが横になっている。時には呆けた親戚のおばさんがいつの間にか上がり込んで応接間のソファーで寝ていたりもする。では、別の所を探そう、という感じで自分の寛ぐ場所を探すわけだ。

家庭内遊牧。ほどほどの間隔を保って衝突しないように。私も自分の文房具から趣味の本からカバンに入れて、座布団を持って廊下をあてどなく歩いたものだった。

考えてみれば、誰かと一緒に寛ぐ必要などないのではないか。寛ぐ時は一人で結構ではないか。人と居るときはお互いのためにベストを尽くして緊張して当たり前だ。一緒にやるべき事を済ませれば解散して銘々勝手に寛げば良いのである。
そんな事を反映して現在、学校で働く自分の授業の終わりは一言「解散!」なのである。

2012/02/01(Wed) 14:07  コメント(0)

◆セラピー? 

何が人を癒すのか、人それぞれで全くわからない。他人の癒しなどを画策するのがいかに愚の骨頂かここ数ヶ月の母との付き合いで身にしみた。一般的に癒しになりそうなものは色々言われているが個別にどうかは全く怪しい。
母をどうかな、と思った市内の老人施設にはセラピー犬というのがいる。猫を飼う事が癒しになると信じて奔走していた私は犬でもいないよりはいいか!!などと大雑把に考えていたが、犬どころか母は今パンダを可愛がっている。しかもぬいぐるみだ。

去年勤めていた中学校の保健室にはいつもエンヤの曲がかかっていた。結局、養護教諭の趣味だったのだが、そこで一人勉強する摂食障害の子の癒しになるからとも言われていた。その子は気に入っていたのかもしれない。しかし私は癒されなかった。エンヤが嫌いなわけではない。たまに耳にすると刺激があって良い。そう、あれは私には刺激であって癒しではないのだ。大体静かな繊細な曲は私には刺激なのだ。ずっと聴いていたら多分おかしくなる。
雑に生きてきた私にはもう少し雑な音楽がよい。絶望をちょっと変じてくれる音楽は店の有線等からもたらされる。古くは「恋は水色」とか「明日にかける橋」とか「白い恋人たち」とか。デヴィッドボウイの「ドライブインサタデー」とかマークアーモンドの色々とか。もう少し新しくはオアシスの「ドントルックバックインアンガー」等は単純に良い。
自分で選んで聴くなら近頃はIndedicateという人たちの「ご先祖ロック」としか言い様のない曲に助けられている。カウボーイジャンキースのようなのは静かだけれど大丈夫。砂漠っぽいから大丈夫。おおむね、砂漠や砂山や砂浜、須浜。そういうのを連想できれば大丈夫。

室内しか(私に)想像できない音楽はやがて辛くなる。不安になる。

以前、知り合いから聞いた話だが、付き合いだして間もない女の子と車で下関から油谷、長門辺りを走っていた。海と山ばかり続き女の子はだんだん不安になった。もういやだ!!という手前で山口市のサビエル聖堂が見えてホッとした。人工物が大変恋しかったというのだ。道路は人工物だと思うがまあそれはよしとして…
私が建物の間から山や海が見えてホッとしたり、山中に訳もなく入り込んでしまうのと嗜好は反対だが似たような事なのだろう。

だから癒されますねえ、などとコメントするときは大抵大嘘をついているわけで、いかにも意味のない行為である。他人の癒しを考えろといわれたら、さっさと逃げた方が良い。

2012/01/11(Wed) 12:25  コメント(0)

◆姐様 

プラスチックの蛙の置物が壊れていたので、今Rが部屋で修理してくれている。この蛙は温井のホテルが倒産する直前にレストランの従業員がくれたものである。

父母はダム湖の見晴らせるそのレストランが気に入ってよくコーヒーを飲みに行っていた。父が亡くなって間もなく母と一緒に行った。父の思い出話などして帰り際、レジに立っていると蛙の置物が目に入り「かわいいね」と話していた。すると年配の女性従業員が後ろからやって来て私の手に蛙の置物をそっと握らせた。いいのかなと訊くと、この人は黙って何回も頷いた。そのあと、このホテルが倒産したと聞き、蛙は餞別(?)だったのだろう思った。


私は昔から年配の男性には全く親切にされないが、年配の女性に親切にしてもらう事は多い。あの姐様たちがいなかったら酷い事になっていただろうと思う。些細な事でもその時の自分には大変有難いというような事を姐様たちはしてくれるのだ。

警備員を始めた頃先輩のおばさんがどういうわけか気に入ってくれて色々助けられた。まだ女の警備員が他にいない頃で大変助かった。
夏のフランスで、準備が悪く薄着でガチガチ震えていたら、出会ったおばさんが自分の上着を脱いでかけてくれ、抱き締めて温もるようにこすってくれた。実の親にもされた記憶のないことで感激した。

バイトしていた新聞社を無断で辞めて沖縄に行く時、事務員さんが大金を貸してくれた。返せる時に返せるだけ返してくれればいいよと言われた。

働いていたスーパーを遺跡発掘作業をするために辞めるとき、話したこともない別フロアのおばさんが餞別に立派な水筒をくれた。

面倒臭いおばさんもいたが、意地悪はついぞされた事がない。(男性にはかなり意地悪をされたものだが)
今の職場には年配の男性にふしぎなくらい親切にされる女性がいる。頭もきれて肉感的な美人と思うが、何しろ喧しくてせわしなくて私は親切にする気にはなれない。でも大丈夫。私が無視していてもきっと年配の男性の誰かが相手してくれる。彼らからすれば親切にせずにはおれない何かがあるのだろう。


それで私も考えた。年配の女性に親切にされる容貌というのもあるのかもしれないと。うーむ。そういえば人生で一度だけ出会った痴漢は年配の女性であった。ちょっと考えさせられるのであった。

損得でいえば、権力を持っていそうな年配の男性に親切にされる方が良いのだろうな、などと考えていたらはたと思い至った。そう言えば、権力を持っている年配の女性に親切にされた事はないのである。

優しいのは名もない姐様か、裏道の姐様たちばかりであった。

2011/12/07(Wed) 16:05  コメント(0)

◆旅に出よう 

白猫の空ちゃんが出ていってまだ帰らない。他の猫は出ていっても家の周りをうろうろしているので捕まえられるのだが、空ちゃんはまるで姿を見せない。子供らは悲しんでいるが、帰れない理由があるか、帰らないつもりなのかのどちらかだろうから、諦めるしかない。

空ちゃんは最近つまらなさそうだったから、いわゆる生の息吹を求めて行ったのかもしれない。旅に出るとともかく清新なものが息吹いて来る気がするものだから。

私の常套句は「旅に出よう」であった。男でも女でも、ちょっと気に入ると取り敢えず誘ってみるのだ。「どこか行こう」では遊園地になってしまうし、「旅行に行こう」では婚前旅行みたいで変だ。だから軽い感じで「ちょっと旅しよう」とか言うのである。


実際にどこに行くかというと、お金がないのでそう遠くは考えていない。広島の高校生だったから、電車で尾道とか徳山とか、フェリーで松山とか別府とかである。距離はあまり問題ではなかった。大事なのはもう帰らないかも、という出発時の高揚感である。だからできれば夜に紛れて出発というのが理想だ。


だが、現実的には出発は早朝ということが多い。誘って誰もが「いいね!」と軽くのって来るわけではない。私のように一人暮らしというわけでもない。しかし、私が求めているのは正に軽くのってくれる相手であった。「旅に出よう」と冗談めかして言ったら「うん、じゃあ8時にね」というノリの人物をこそ求めていた。

これで相手がどんな人物かがある程度判るのだ。何時に帰れる?とか、呉くらいまでならいいよ、とか限定する人はもうそれまでの人だ。やっぱり止めとこうね、という事になる。大体帰りの事を出掛ける前から考えるような人間は何処にも行かずにいれば良いのである。


つまり、初対面に近い相手に命まで預けられるような人物かどうかを知りたいのだ。意外といるものだ。ただ一時的に捨て鉢になっているようなのは困る。よし、行こう!と一番盛り上がった時に「ごめん、やっぱりそろそろ帰らないと」となると興醒めである。そういう人は万事依存的だからはじめから何となく判るものだが。


相手が私の事をどう思っているかによるのではないかと思われそうだが、それはあまり関係ない。広島から単車で宇部の友達を訊ね、二人で下関まで走った。夕方、火の山から対岸を見ているうちに行きたくなったので行こう!と言ったら家族に言わないで来たから無理だという。そこで別れて一晩九州を走ったが、侘しくなったので広島の友達に「今九州だ。来ないか?」と電話したら夜通し走って来た。翌日の昼過ぎ熊本で出会った。
この友達が宇部の友達より私の事を大事に思っていたかどうかは甚だ怪しい。出会った翌日には喧嘩別れしたくらいだから多分私などどうでもよく、来るか?と言われて行かないのは恥だと思って飛んで来たのだろう。私はそういう鉄砲玉みたいな人物が好きなのである。



旅に出よう、と他人に言われて困った事もある。勿論「うん、じゃあ8時にね」と答えた。断るのは恥と思ったからである。ただ相手がかなりまずい。そこで「晴れたらね」と付け加えた。これは限定ではなく、運命であるというちょっと卑怯な手ではある。その晩必死に雨乞いしたのは言うまでもない。果たして翌日は大雨であった。これで鳥羽の海に浮かばずに済んだと胸を撫で下ろしたのであった。


歳をとると迂闊に人を旅に誘えない。似たような歳の者はある程度出世してお金のかかる旅に慣れているからとても付き合いきれないし、年下になると世代的に贅沢で横着な人が多いからとても付き合いきれない。

せいぜい呆けた母を誘うくらいだ。母も師範学校時代、本屋で意気投合した学生と「旅に出よう!」と電車に飛び乗ったらしいから、ノリは良いのだ。

2011/10/15(Sat) 22:47  コメント(0)

◆ミソジニー 

小学校の学級便りに「楽しいこと」で始まる短歌をみんな考えました、という記事があり、幾つかの作が載っていた。

「庭の花を見ること」が楽しいという枯れた子もいれば、「サッカーして遊んだあとの一人でするゲーム」というややこしい子もいた。


それにしても女子に「友達と話をすること」というのが多い。何が楽しいのだろう、どうせたいした内容ではなかろうに、などと偏見にみちみちて腹を立てる。
子供の時からこういうことだから、女は機知のない話を大声でいつまでもする間抜けな生き物だと言われ続けるのだ(誰に?)。

私が小学生の頃「三度の飯より楽しい」と慣用句入りで思ったのはピアノの練習をしている時だった。いや、本当に飯を食べる時間も惜しいと思うもんなんだ、と感心した記憶がある。それならもう少し上達するはずだが、長続きはしなかったのだ。
もう1つは物語を書く事で、こっちは小学生になる前から始めて大人になるまで続いた。これも寝る間ももったいない気がして蒲団の中で書いていた。
学校ではわずかの休憩時間も惜しんでラグビー風バスケットか、ラグビー風サッカーか、とにかく肉弾戦的遊びに文字通り命をかけていて、そのために学校に行っているようなものだった。
帰り道では川をはさんで部落間抗争石合戦がしばしばおこったが、肉弾戦「決闘」に持ち込み勝つために日々「回し蹴り」など鍛練していた。自作ヌンチャクの練習をしていてよく自分の頭をパイプで叩いたものだ。

これだけバカな事をしていたら「話が楽しい」など思う暇は全くない。


だから見よ!私の少ない同級生の女子はみなスパルタの女のようであった。今やめったに会いはしないが、よく働き貫禄の備わった人々だ。

これは、皮肉にも皆が嫌っていた担任の先生のおかげなのだ。この先生は我々に髪は邪魔になるから伸ばすな、自分より弱い者や年下の者と遊ぶな、少女小説は読むな、と喧しかった。私が小説を書くので「少女小説」ではないかと気にしていた。いや、歴史冒険小説(適当)ですと言ったら納得してくれた。

私達の学年は、その上とも下とも全く違っていた。多分誰もそれをありがたく思ってはいないのだろうが。これまた皮肉にも一番出世していない私が一番ありがたく思っているわけだ。


友達(ほんとに友達かよ)と話すのが一番楽しいなどという女子は、自分の才能をぶつけあって遊ぶ事を知らないのだ。才能をぶつけあって遊ぶと本当にバカに見えるものだから、それは男子には良いけど女子にはふさわしくないと二の足を踏むのだろうか。

女子よ、どんなくだらないことでも、バカに見えても男にもてなくてもいいから寝食を忘れるくらい自分の才能をぶつける遊びに没頭しよう。無駄話はやめよう。

そうでないと、成績だけ良い間抜けとか、骨の髄から阿呆な野獣とか、歩く物欲マシーンとか、綺麗だけど何に役立つのかわからん変形したのとか、もう見るのが厭になったような女が増え続けるだろう。

2011/09/16(Fri) 01:37  コメント(0)

◆心象風景 

いわゆる男の漫画を見ていると、男とは嫌なものだと思うことが多い。

某宮崎さんによれば、少年漫画や青年漫画は、心象風景中心の少女漫画と違ってモノゴトを描いているんだそうだが、そのモノゴトを風景として眺めていたら切なくもえげつないものだ。

またそう思わせるような漫画に限っていかにもよくできていてリアルなかんじがするわけだ。ということは、実際の男の姿をよく伝えているということか。

それにしても私は道を歩いていて不細工な兄ちゃん、オッサン、じいさんなどを見て「てめえら生きてる価値無し、一刻も早く死ね!」などと思ったことはない。日夜そんな呪詛ばかりしていたら大変だろうな。だから誰にも相手されないし何やってもうまくいかないんだよ、とかココロの声に言われないのかな。男であるとはなんとも大変なことだ。


漫画だからね、と昔は思っていたがどうもそうではなく私の思いも及ばぬ泥沼が私が見ている風景の中にぬちゃぬちゃと見え隠れしながら広がっているらしい。同じ風景を似たような構造の眼で見ていても結ぶ像が違う。それが互いに無関係でいられれば問題はないが、不幸な接触がちょこちょこあるのだ。

そのとき、男は何とも嫌な視線を私に向ける。私が何も考えていなくとも「ババアのくせに俺様をバカにしやがってぶちころしたろうかヒヒヒ」とか思ってるんだろうな、と馬鹿面を見ただけで腹を立てる私も大いに問題だと思う。

2011/08/30(Tue) 14:45  コメント(0)

◆美人とは 

先日神楽を見ていた時、我々の前には夫婦と数人の娘が陣取っていた。会場内には屋台が色々出ており、好きな物を買って食べながら神楽を見られる。神楽は昔から夜明かしの祭りで舞われていた事を思えば、飲み食いしながら見るのが全く正しい。
近頃の競演大会など撮影は勿論、飲み食いも許さない、さらには火薬の使用もできないなどと小うるさいが、そんな学校の部活の大会みたいな神楽はどうでもよい。そんなのは審査員になって威張りたい人がいる限り栄えるんだろうが。

そんな事を考えながら飲み食いする民を微笑ましく見ていたが、前の奥さんは美人である。これがまたよく食べる。まず枝豆ザルに一杯とビール、次にラーメン、娘が買ってきた綿菓子、さらにトウモロコシにかぶりついている。もう他には無いだろうと思っていたら焼き鳥ときたか!

この人は大造りな美人ででかい目を丸くしたり長くしたり身振り手振りも賑やかによく喋りよく食べる。なるほど、美人の条件は「よく食べる」事かもしれない。

そういえば最近身の回りで美人と言われていた人を思い浮かべると大抵この奥さんのように表情豊かに「おいしーい!」「うわ、あまーい!」「すごーい!」とか連発しながらどんどん食べるタイプである。

美味しいことをアピールしながらバクバク食べてくれるときっと男は嬉しいのだろう。かわいいなあ、とか思うかもしれない。

実は私はこういう喧しく食べる女は鬱陶しいのである。無関係な所で食べてくれる分には「賑やかによう食うなあ」くらいで済むが、一緒の席にこういう人がいると面倒臭い。「美味しいわね〜!◯◯よね〜」といちいち同意を求められるとせめて頷くくらいはしなくてはならない。本当に美味しいと思っていればまだ良いが、何も感じていない時には愛想笑いするのも大義らしい。

大体ものの味などたいした問題ではないのだ。私は昔の不摂生がたたって歯が悪い。神経など残っていない。最近はついに部分入れ歯への道を踏み出した。そんなんだから、噛むことで一所懸命なのである。味より飲み込みやすさの方が大事というわけだ。

私が美人とほど遠いのがよくわかるわけだが、それにしてもなぜ彼女らはあんなに賑やかに派手にオーバーアクションに食べられるのだろうか。

私にとって食べる事は子供の頃から排便同様に恥ずかしいことだった。食欲を満たすわけだから恥ずかしいのは当たり前というわけだ。美味しい物を貰えるという時にもなかなか行かず、最後に余り物を貰うのだ。
しかし真っ先に走って行ける子が羨ましくもあった。欲望を剥き出しにできたらいいだろうなと思わなくもなかったが、恥ずかしい事はしたくないという気持ちが勝ったのである。

そんな葛藤など知らぬ気な美人が、コマーシャル等で派手に美しく飲み食いしている。商品イメージを高めるためだから、勿論「食うはこの世の恥」みたいに苦い顔をされたのではいくら美形でもスポンサーは困るだろう。

現実の世界でも、美人が派手に飲み食いしてくれたらその食べ物が美味しそうに見えるという効果があるかもしれない。または美人が派手に飲み食いしているんだから私も、と思って食べる人もいるかもしれない。というふうに、美人の派手な飲み食いは世の中に「食べる事はうつくしい!食べる事はすばらしい!」というメッセージを送っているのかもしれない。そこから、食べて生命を維持することはうつくしい!生命万歳!という思想に繋がり、人々を現世肯定的なよい気分にするから、そういうものを喚起してくれる派手によく食べる美人が「美人」として認定され好まれるのかもしれない。

美人とは最も標準的な顔のこと、と京大の何とかが言っていたっけ。(美人学なんて阿呆!と思っていたが…)

現在、賑やかによく食べる美人が美人と認定されているところをみると、あまり生命万歳!ではない私のような者は今は少数派なのだろう。

2011/08/16(Tue) 22:28  コメント(0)

◆天井桟敷の人々 

私が小学校の頃、学校には体育館等は無く、戦前からある村の講堂を体育や式典に使っていた。以前は議会もそこで開かれていたので二階は傍聴できるような階段席になっていた。

休日の講堂では結婚式や名士の告別式も行われた。我々子供は二階席の暗がりに潜り込んで上からその様子を眺めたものだ。

青年団主催の映画鑑賞会も開かれた。これにも我々は暗闇に乗じて潜り込み、二階席で観ていた。憶えているのは「あんパン一等兵(二等兵?)」うちの父のようなあんパン好きのいい加減な兵隊の話だ。そして「野良犬」。何だかストーリーは解らなかったが最後にお骨を落として骨や灰が床に散乱するシーンが、いかにも「野良犬」な人々の最期にふさわしくカッコいいなあ!と思ったものである。

こんな事を思い出したのはさる芸能レポーターなる故人の骨が遺族の手で故人所有のクルーザーからお台場の海に散骨されました、という芸能ニュースを目にしたからだ。

何しろ、あの世でも他人を楽しませるのが己の使命、という凄い覚悟をする人がいるらしい芸能界だ。なるほど傍目には狭い世界の中で苦労を作り出しながら苦労して生きて苦労して死んで本当にご苦労様な人々だ。傍目には、小さな、何が投げ込まれているか判らないような汚なげな海こそが、故人にとってはまさに「海」だったのだろう。カッコいいとは少しも思わないが徹底しているなと感心した。

散骨を不衛生だと嫌がる人もいるそうだが、土葬の墓地の臭さが身に染みたうちの母等はそれよりはマシだと考えるだろう。

母が師範学校の生徒だった頃、帰省した先輩が未明の停車場で降り口を間違え、線路に転落して亡くなった。葬儀に間に合わなかった母はせめて悔やみを述べようと、夏休みに先輩の実家を訪れた。その地域では土葬が主流だった。学友の訪れを喜んだ先輩の両親は、娘を葬った墓地に母を案内してくれた。それがまた、山全体が土葬の墓だらけで「山全体が臭い」のだという。火葬が主流の地域から来た母にとってはそれは恐ろしい体験だったようだ。墓の前には箸を差した飯が供えられ、それらが暑気で腐るし地面からは死臭が立ちのぼる。一刻も早く山を下りたいのだが、先輩の両親は喜んで話が尽きそうにない。そのうち辺りには夕闇が迫りくる。

「私は元々山があんまり好きじゃないのに、余計に嫌いになった」と母は言うが、あんな谷底で山に囲まれて育って師範学校の先生にも「山県の猿、答えてみよ!」と言われていたくせにと思うとちょっと可笑しい。

やっと山を下り、先輩の家で夕飯を勧められた。そこで出されたのが何だかぬるい「刺身」であった。食べない訳にもいかず涙ながらにいただいた、ということである。

父の友達の神主は、お母さんが亡くなった時何を思ったのか(神道の古式にのっとった?)遺体を土葬にした。牛馬を埋めるには川から何メートル離せ等の決まりがあるが人間の場合はどうなのだろう。その家の墓地は川のすぐ側だった。さらに道路に面していて、夏に通ると悪いけれど臭う。

その路線のバスの常客達は、その曲がり角に来ると黙って窓を閉め、充分通りすぎるとまた黙って窓を開けるのであった。

2011/08/08(Mon) 15:00  コメント(0)

◆信長さんの正体 

先日映画を観て歩いて帰っきたら、長屋の端の黄色いカンナの前に信長さんが立っていた。挨拶するとワシントンがどうこうと言っている。何となく話を綜合したところによると、信長さんは◯◯という宗教団体に入っていて、そのワシントン教区長に就任したらしい。なるほど。「お気をつけて」と切り上げとりあえず別れる。

信長さんは一日のうちに何度か大声で題目を唱える。ただときどきアーメン!も混じっている。ありがとうございません!で締めくくる時もある。そのあとは大声の一連の呪詛。「甘ったれてんじゃない!うつけが!」「わかってんのか××!お前だよお前」 あとは滑舌が悪いんで聞き取り不能。たまに「人生の意味は」とか「犯罪なんだよ」とかの演説バージョンもある。

私は信長さんが宗教団体に入っているとは知らなかった。確かに近くに◯◯の建物がある。そして信長さんが名指しで怒鳴っているのは同じ題目を唱える別の団体●●の偉い人の名字だ。つまり、信長さんが毎日怒鳴っているのは◯◯ワシントン教区長としての務めを果たしているのだ。

だとしたらご苦労様であります。私は◯◯でも●●でもない異教徒だが、宗教的情熱を解さないわけではないですからな。

2011/07/23(Sat) 13:26  コメント(0)

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