定点観測


◆コンビナートのある町 

中学校で毎日騒ぎを起こしてくれる女の子がいる。このYちゃんに初めて会ったのは先月の終わり。私の初出勤の日だった。彼女はHちゃんと一緒にかなり遅めの登校をして、なんでかはわからないが図書室に入れられていた。暇な私が話し相手を仰せつかって約一時間彼女らの恋愛遍歴を聞いたのが始めである。

二人とも二股三股は当たり前、最短一週間というサイクルで幅広く付き合って来たという。話すうち、Hちゃんが京都にいたというので私とローカルな話題で盛り上がるとYちゃんはコテッと寝てしまった。

その時予感したとおり二週間後に二人はついに「ロックタウン(ショッピングセンター)の闘い」で決裂するのである。勝ったのはわずかばかり体が大きいHちゃん。しかし、Yちゃんは悔しくて翌日一時間目にHちゃんの教室に殴り込み、Hちゃんの髪を引き摺りおでこを殴りとりあえず溜飲を下げる。

Hちゃんはそれ以上やり返す事はせず余裕の態度。元々Hちゃんの彼氏はこの中学校で悪いほうからNo.1というS君である。ロックタウンの闘いの理由の1つは、S君の子分である男子達がHちゃんと一緒に行動してYちゃんをないがしろにしたという事らしい。

Yちゃんはそれから懸命に周りを取り込んで行く。S君の子分の男子やHちゃんのクラスの女子。そして元々うつ気味でマイペースな登校をしていたHちゃんはどんどん孤立する。それでも彼女にはS君がいるし、実は家ではS君の親友でNo.2であるR君に電話やメールで甘えているのだ。R君は迷惑がりながらもまんざらでもない感じ。Hちゃんは何となく「魔性」ぽいのである。若い女の先生が本気で悔しがるくらい…

どちらかというと痛々しいのはYちゃんの方で、やけくそ気味である。メールで他校の男子を呼び寄せるが、先生に見つかり追い返される。怒ってトイレで私服に着替えて(持って来ていたんだ…)先生方の制止を振り切り逃走。

翌日サンダル履きで登校しようとして複数の体格の良い先生方に囲まれ(皆腹囲が大きいので惑星大集合のようだった)セーラー服が切れ切れになるくらい抵抗して暴れる。興奮して泣き叫ぶ。

そのあとはちょっとスッキリして、放課後校長宛にラブレターを書いていた。「けさはお騒がせしてゴメンネ!!」プリクラを貼ったり何故か私の眼鏡まで描き込んだりしてかわいく仕上げていた。無事渡したらしく夕方校長が手に持って憮然として歩いていた。


最近はYちゃんはSさんと、Sさんちの大きな白い車で社長登校している。つまり毎日遅刻しているが、私が補助で入る数学の時間等、今までのように寝たりせずノートをとっている。先日学校まで来て追い返された他校の男子と付き合っているそうでプリクラをあちこちに貼って歩いて披露している。

というわけで女子の方はロックタウンの闘いを境に勢力図は変化したがそれなりに落ち着く所に落ち着いた感じ。
まずいのはむしろ、男の子の方である。Hちゃんの彼氏S君もその悪友達R君も私立に落ちてしまった。当然と言えば当然なのだが、本人たちはやはりショックなのだ。そんな時、先生が授業中に「君達私立に受かっているからと油断していたら駄目よ!!」等と言うものだからR君は「俺の事なんか誰も考えてないんだ!!」と泣きながら飛び出す始末。

S君も教室で誰かが自分の事を笑ったと思い込み飛び出して下駄箱を殴り血だらけになって保健室にやって来た。

被害妄想になるくらい私立に落ちたくなかった彼らはこれまで一体何をしてきたのか。不思議に思い色々調べてみたら

R君2年の時。
父が「俺のせいで息子が悪くなった。俺さえいなければいいんだろ!!」と海に飛び込むがR君に助けられる。その後も父不安定。
3年になり、彼女ができて勉強する気になる。メールで「君がいるから頑張れる」と伝えたところ「重い」と言って振られる。その後むちゃくちゃ。

S君とにかく勉強わからなくてずっとむちゃくちゃ。しかしR君ともう二人の悪友達が「一緒に高校に行こう!!」と言ってくれたので頑張ろうと思う。父親に高校に行かせてくれるよう頼むが、その話し合いも危険なので近所に住む親戚が立会人になる。話し合いを前に、父親が「どうせ俺が悪いんだろ!!俺さえいなければいいんだろ!!」と二階から飛び降りようとするのを娘(S君の姉。S君は日頃祖母の家に住んでいる)に止められる。父親はそのあと財布を持って家を飛び出し行方不明。

S君の彼女であるHちゃんは彼がいかに勉強が苦手であるかよく知っているので「無理に高校行かなくてもいいよ」と言っている。それは「高校に行かないS君でも私は好きだよ」という意味なのだが、「純粋」なR君には信じられない。「彼女だったら頑張れっていうのが普通だろ!!」とカンカンに怒っている。「あいつのせいで俺達はバラバラになりそうだ」

ようするにビートルズに対するヨーコさんのような立場にHちゃんはいるのである。しかも以前はR君を目の敵にしていたS君の母親は今度はHちゃんの悪口をメールでR君に送っているらしい。敵の敵は味方という事か。しかし息子の友達に息子の彼女の悪口をメールするって、なんか奇怪な話だ。


Hちゃんの母親は、父親の暴力からHちゃんを連れて逃げて来たのである。心の病が重いようである。Yちゃんの母親は離婚後働いて家を支えてきたが、最近妻子ある彼氏ができてしまいあまり家に帰ってこない。職場には相手の奥さんから罵倒の電話がかかって来るらしい。家には仕事を辞め女に逃げられた兄とその幼い子供、中学校3年の姉Nちゃん、そしてYちゃんが住んでいるが、Nちゃん以外は滅多に家にいないようだ。

このNちゃんはアニメ好きでボーイッシュ。妹と違って家事もよくする責任感の強い子だ。自分がもっとしっかりしないから両親が離婚して今のような状態になったと思っているらしい。しかしどこかのお父さん達のように「俺さえいなければいいんだろ!!」とか叫んで飛び込んだり飛び出したりはしない。自分しか家の面倒をみるものがいないと分かっているからだ。


最近Nちゃんには彼氏ができた。ちょっと奇行の人ではあるが、Nちゃんの毎日を彩ってくれる事を願う。


ざらっと見ると、老いも若きも男のほうがどちらかというと情けない感じがする。一般的に女の子はねちねちしてややこしい、とよく聞くが、ここで見る限り男はだいたい女々しくて情けない。例えば、Hちゃんのような懐の深さを認めず、むしろ不快に思って憎むR君は「純粋」と皆さん評しているが、私には単なる我が儘、人間の小ささとしか思えないのである。

女の「なるようになるさ」的な懐の深さは往々にして「だらしない」と受けとめられがちだ。何故か男は、どんな状況にもかかわらずやみくもに「ファイト!!」と励ます女に安心感を持つらしい。冷静に状況を判断する女は頼もしいどころか「信用ならない」と思われるのである。



しかし、時々職員同士で話すが「なんで私達はこんなに生徒の男女関係に詳しくならなければならないのだろう!!」そう。別に知りたくもないのに向こうからどんどん言って来るのである。自分なら絶対そんな話先生にせんわ、とロベスもあきれるが私だって絶対にしないだろう。家の事も友達同士の関係も、きかれてもまともには答えないだろう。

昔、悩みを誰にも言わないでいきなり農薬を飲んで死んだ先輩がいた。話してくれていたら…と思った人は沢山いただろう。しかし、話したからといってあの人が農薬を飲まなかったかどうかはわからない。

その家は床屋だった。学校帰りにこっそり私は窓から中を覗いてみた。夕日がさす誰もいない店の中にお父さんが一人で立っていた。私は始めしばらく「人殺し!!」というちょっとした「純粋」な感傷で見つめていたが、なんだかよくわからなくなり、とぼとぼと家路についたのだった。

2013/02/24(Sun) 22:17  コメント(0)

◆屠る 

魚をさばくという事をまだ二回くらいしかした事がない。調理実習とか人の手伝いにちょっと触った程度だ。内蔵を食べるのも嫌いだが、出すのはもっと苦手だ。見るのも好きではない。帝王切開の時、ライトに何かしら映っていたがあまりいい気分ではない。

自分が苦手な事だからだろうか、昔から魚を釣って自分で内蔵を出して料理するような男の子に凄く魅力を感じる。単に「立派だな」と感心するのではなく寧ろセクシー!!という気がするのだ。変だろうか…

では自給自足的ワイルドなのが良いかというとそうとも言いきれない。例えばうちの母に「魚を釣るのは良いが、内蔵を出すのはちょっと」と言ったら「なに、出さんでそのまま焼けばよいのだ」と言われた。母は若い頃瀬戸内海の島の学校に勤めていたのだった。「とりたてをその場で焼いたら旨いで」
確かにその場で焼いたなら苦手な内蔵は残せばよいのだ。まあ、私にはそっちが向いているだろう。


だが、私が魅力を感じるのはそういうワイルドさとは違い、もうちょっと隠微なものだ。生き物を切り刻み、内蔵を選り分けて棄てる。釣りが好きな男の子は大抵その作業が好きなようである。「今度は鶏をさばきたい」等と言っている。鶏から猪、それから…

学生の頃、後輩に海辺の旅館の娘さんがいて、刺身だってきれいに造る事ができた。当時の助手だった飲んべえの先輩は「今時そういう女の子少ないんだよなあ」とたいそう感心して「お嫁さんにほしい、酒の肴をささっと作って」だのと戯れ言を言っていたが、私は「けっ、!!」と思っただけで、彼女をあまり素敵だとは思わなかった。立派だなとは思うが、魚をさばく女の子には小賢しさくらいしか感じないのである。
(正にダブルスタンダードですみません。が、言うまでも無いが、解剖が趣味の男の子や女の子がいたとしても不気味なだけで素敵とは思わない。)

2012/11/08(Thu) 22:00  コメント(0)

◆乗りんさい 

夜、ふらふら散歩をする。ウォーキング等というような体育会系な散歩ではなく、日によってはよろよろだらだらしていたり、立ち止まって感慨にふけるような散歩だ。月の頃は毎晩の有り様を見て面白かったが、今はどうも夜明けにならないと出てこないらしい。そのかわり空の色が濃く、星やら飛行機やらがよく見える。

今はまわりに造成中の広場が増えて、空も広々と見渡す事ができる。広々とした空の星を子供のころのように、中学生のころのようにただ口を開けて見上げて立っていると、ふと「早く来ないかなあ」と思う。来そうな方角に少しふらふら歩いて行ってみたりする。

誰に来てほしいのかは色々だ。「先生!」とか言って自転車で追いかけて来る中学生でも良いし、「お、〇〇じゃあや!!」とやたら大きい声を出すハイテンションな教え子のあんちゃんでも良い。「えー、〇〇先生!」とバカみたいに驚いてみせる若いK先生でも良い。

または無言で白い車を止めてニッコリ微笑む顎のしゃくれた大学生でも良い。ミラーがついていないボーボー喧しい単車に乗った髪の長いおねえちゃんでも良い。

つまり「乗りんさい」と言ってくれれば最高である。

自転車でもバイクでも良いが、車ならいにしえの白いローレル、ルーチェ、青いコスモクーペ。


ちなみに母がグループホームの庭に出ては迎えに来ていないか確かめるのも似たような車種だろうと思う。(勿論自転車もサイドカーも。テリオスキッド、黄金色の軽ワゴン、パンダジムニー等色々)

2012/10/15(Mon) 00:15  コメント(0)

◆ある過剰 

近所のプールバーでロベスと神楽君と卓球する。ここには他にダーツやダンススタジオ等もある。私はプールバーの静かな感じが大変好きなのでこの店は気に入っている。神楽君はビリヤードも好きなので一緒にやってみたいが、長い事していないのでやり方を忘れてしまった。それにしてもなぜ、卓球にはビリヤードが大抵くっついているのだろう。そういえば、ビリヤード好きの父が買った家庭用ビリヤード台は裏返すと卓球台になるのだ。

酒と卓球も何故かよくくっついている。温泉地や繁華街にも卓球場はよくある。広島の流川には飲み屋街の真ん中に卓球場があった。汗をかいてアルコールを抜きましょう、という事なのだろうか。私は酒は飲まないがそこの雰囲気が好きなのでよく行っていた。(一階の質屋にはもっと良く行っていた)薄暗く妖艶な店から、カーっと明るい電球に照らされてカンカンピン球が行き交う場所に行くのは一種の宗教体験みたいで面白い。

昨日、母も一緒に大朝の温泉で行われた神楽大会を見に行った。渓流の向こうに杉林を背にした舞台が作られなかなか良い雰囲気だった。しかし、私はむしろ集まる人々の容貌に圧倒されていた。何というか、儒教的雰囲気の強い山口ではあまり目にしない個性の強さなのだ。何処から来た人達かは分からないが、何かが過剰なのである。柄、髪形、体型、顔の作り…


容貌とは不思議なものだ。


私はミリンダ王ではないので、何故人は同じではないのか!?などとは問わない。むしろ同じ物が沢山在るなら、そっちの方が不思議だと思う。しかしなぜ「私」に限って人並みな容貌に生まれなかったのだろうと思う事は昔からあった。

誤解を防ぐために言うと、別に人並みでないと思う人が私以外にいないとか、私が一番人並みでないとか(何じゃそれ)言っているのではない。過剰を防ぎたいだけなのだ。

これはもっぱら実用的な見地から言うわけでつまり「そこそこ異性に好感を持たれやすい容貌」という事なのだ。

その点について、なぜ私が稔りの少ない人生を送ってきたのか、嫌がるロベスと無理やり座談会をした事がある。

君はどういう異性を好ましく思うか?
ロベス「強いて言えば、興味を持たせてくれる人」
興味を持つのはそっちの問題だろう。どういう異性に興味を持つのか。
ロベス「あー、うー、」

そこでぶっちゃけ容貌だろうという結論に無理矢理誘導する。

では、なぜ私の容貌は異性に興味を持たれにくいのだろう。
ロベス「それはね、関わるとなんか面倒な事になりそうな感じがするからだよ」
どこを見たらそういう感じがするのか!?
ロベス「全体的に、としか言いようがないね」


なるほど。さすが付き合いが長く煮え湯を飲まされただけの事はある。そう逃げたか。
面倒な事に巻き込まれそうな容貌。
具体的に鼻がどうとか言わなくても、何となく納得させられしかも壊滅的な結果を伴わない答である。もう一声「魔性」てやつ?と言おうかと思ったが「フハッ」と軽蔑的に無視されるのは分かっているので止めておいた。

ロベスのアドバイス。需要と供給のミスマッチだ、つまり狙いが悪いのである。君もある種の異性を狙えばモテる事ができたのだ。
ある種の…という所が問題なのだが、確かに世の中には面倒に巻き込まれてみたいという物好きもいるはずだ。では、そういう物好きは容貌にどう表れるのだろう?「全体的に、としか言いようがないね」では意味無いんじゃないか…


さて、昨日の神楽大会で少し考えた。この過剰な人達はいかにも異性にもてそうではない(とても失礼だが)。つまりもてそうではない私にもまた、何らかの過剰があるわけだ。関わると面倒くさい予感とはつまり「こいつは俺の世話よりも自分の好きな事を優先させるに違いないし、しかもそれは俺には全く不愉快な事に違いない」
という感じではなかろうか。逆の立場なら私だってそんな奴は嫌だ。

だが、ロベスが前言ったようにそんな過剰な私をも受け入れる人がいるとしたら…それは私をも上回る過剰な人か、もしくは極端に過少!?な人か、ではなかろうか。

2012/09/02(Sun) 19:39  コメント(0)

◆好きな顔 

美人の顔は皆似通っていて、所謂個性的な顔になるほど不美人なのだと、K大学の先生が昔、もっともらしく書いていた。
まあそうとも言えるだろう。
しかし、それほど美人でない人の顔も結構似通っている。結局、人の顔は幾つかのパターンに分けられると思う。美人と言われているパターンがもっとも標準的なパターンなのかは、さあ知らない。

私にも好きな顔のパターンがある。私の趣味が規準になるならああいう顔が美男子という事になるはずだ。ポイントは目から唇までの距離感。これが詰まっていると他がいくら良くても私には美しく思えない。マーク・アーモンドの昔のジャケット写真を見て「おお、理想的なバランス!!」と呟くが、最高はやはりジョン・ライドンだ。唇は薄い方が良いので。

最近の人でいうとThe Brunettesのジョナサン君だが…YouTubeでチラッと見る位で、昔ほどミュージシャンの顔を知ることはなくなった。

今日ロベスに付き合って見た映画バットマンのバットマン役の人はちょっとマッチョすぎるがまあまあ良い。ベニスに死すのタッジォ役ビヨルン君は理想的。

要は長い頬と小さめの顎が好きという事だ。日本人でいうと二ノ宮なんとかさんとか亀梨なんとかさん、そして我が家のアイドル中井喜一さんも忘れてはならない。なんだ普通に誰もが美男子と認める人々ではないかと言われそうだが有名人を例にとるしかないから仕方ない。

無理して芸能界以外の有名人でいうと…晩年のヘーゲルはかなり理想的。若い頃の松平容保公。処刑されたチャールズ一世も。だが写真がない時代になるとなかなか難しい。

結局、いくら有名人でもいくら人気があっても、そのパターン以外は私には美しく見えないというのは確かにある。もっとも、基本的には「美しく見える」のと「好き」かどうかは別問題のはずだが、「面食い」だからどうしても引きずられる。

思い起こせば、子供の頃から好きになった子は殆どこのパターンの顔だった。いくらすらっとスタイルが良くても、くしゃっと詰まったような顔だったら、「対象外の人」という気がするのだった。いや、もちろんこちらがいくら好きでも相手には私が対象外である事の方が多いのだが…

2012/07/03(Tue) 23:09  コメント(0)

◆正に余計な腹立ち 

他人の恋など知った事ではないと言いたいのだが腹が立ってどうにもならないという事もある。実はそこに恋があるかどうかすら知らないが、長年二人組でバンドをしているという事だけでも腹が立ってくる。

最近非常に気に入ったニュージーランドのユニットがあるのだが、一番好きな曲をデュエットしているJ君は別のバンドを持っている。そのバンドは女の子と二人で始めたらしい。知らなかったが結構アメリカ等でも知られ、日本でもアルバムがリリースされていたりするようだ。ただ、これはいちいち言うまでもなく私の個人的偏見にすぎないのだが、そして大変失礼とは承知の上敢えて言わずにはいられないのだが(かようにくどくど言い訳するのは余程やましい所があるからだろう…)、このバンドはヘドが出るほど退屈極まりない。

好きでは無い曲は好きな曲よりはるかに多いわけだからいちいち腹をたてたりしないものだ。嫌なら聴かなければ良いだけなのだから。しかし、このバンドの曲の凡庸さ女の子のボーカルのいやらしさ(ファンの人本当にすみません)がこんなにも許せないのは、私がJ君の声が大変好きで、したがってJ君のバンドの曲となると聴かざるをえないからである。そして聴くたびに腹が立つにもかかわらず、あれでもましになっているかもしれないと期待してまたガッカリするからである。なぜこんなにも自分の魅力を台無しにする曲ばかり唄うのか!!と勿体無さで涙が出るのである。

このバンド、ナンシーシナトラとリーさん(これは素晴らしい)のイメージなのだろうか。だが全然違う。甘だるいしつこい女ボーカルを聴いていると、本当にファンには悪いが性格も嫌いな気すらしてくる。会った事もないのに。どこぞの中学校の英語の先生のような気がしてくる。ドロドロした情念を感じる。

何とかして一日も早く解散して、とは言わないが折角のJ君の美声、近ごろ珍しい低く深い美声が活かされる事を祈る。天はなかなか二物を与えないものだ。

2012/06/06(Wed) 13:53  コメント(0)

◆ガはガイストのガ 

ロベスにケッサクなものがあると、見せられたニュージーランドのバンド、Princess Chelsea のThe Cigarette Duetという曲を大変気に入った。ビデオがまたケッサクである。ピンクのかつらをかぶった健康的な女の子がタバコを吸ってむせたり、何となく戸川純みたいだとロベスは言っている。

他の曲もYouTubeに色々あるが私には三次元ロリータのようにも見える。ロベスはこの子が気に入っているようだが、私はCigarette Duetで一緒に露天風呂みたいなプールに浸かってデュエットしていた男の子が気に入った。このバンドで彼が唄う事はあまりないそうだが残念だ。声と歌い方が私のツボにはまるのである。語尾で口角が苦々しげにちょっと上がるあたり、いいなあ…

歌い手の発音というのは(少なくとも私にとっては)曲の好き嫌い、快/不快にかなり影響する。メロディーは好きなのに、テの発音が妙に英語チックなために聴いていると腹が立って来る曲がある。日本語を英語風に発音しているのだろう。タイという発音は確かに英語的にはまっているが、テがトェみたいになるのは耳障りだ。

私は高岡早紀の歌い方が好きで「悲しみの女スパイ」とか「太陽はひとりぼっち」等の古い歌を運転中涙を流さんばかりに感動しながら聴いている。この人のカ行の発音が良いのである。カハキヒクフケヘコホという感じに息が漏れる感じ。

私はNHKが何と言おうと鼻濁音というものが嫌いである。何であんな間抜けな発音をするのだろう。ガ音はたとえばGeistというドイツ語の発音のようなはっきりしたガ!!がよい。

日本のポップスは近年早口言葉みたいで発音の美しさ(あくまでも私の基準で)を楽しめるものがめったにない。しかし早口でもピストルズ時代のジョンの発音には美しさを感じたのだから日本語というものが早口に向かないのかもしれない。

2012/06/01(Fri) 18:00  コメント(0)

◆神楽君の好物は忍者めし 

神楽君が中学校に入り、再び保護者として中学校を見るようになった。Rの時はご迷惑おかけしてすみませんすみませんばかり言っていたので冷静に観察力するどころではなかった。今のところ少なくともご迷惑はまだそれほどおかけしていないようなので、毎日神楽君が持って帰る印刷物などをじっくり見ることができる。

担任の先生はスポーツマンで熱い方。家庭訪問で「こいつの周りには体育会系の男性がいませんでしたので先生のような方が担任で良かったですわ、ホホホ」等と言ったが本当にそう思っている。世の主流はどんなものかを体験しておくのは必要なことだ。染まるかどうかは本人次第だが、自分というものを客観的に(主流から見た客観)見るのが戦略的に重要といえよう。

熱い先生だから毎日かなり口うるさい学級便りを書いて下さる。自学のやり方から食事まで。これは有難い事である。具体的に何が良くて何がまずいか言って下さるのは生徒にとっても親にとっても助かる。

先日の学級便りで、「ご飯をしっかり食べよう」というのがあった。運動部の子は特に「食べただけ動ける。一杯でもいや半杯でも多く米飯が食べられるおかずというものを持ちましょう。」というのである。つまり、これがあったら食欲が無いときでも無理してでも米が食べられるようなおかずだそうだ。別に学校に持ってこいというわけではないらしいかから、家での話だろう。

私はこの記事にカルチャーショックを受けた。無理してでも食べるという発想、いや食べただけ動けるという発想からして私にはとんと縁の無いものだったからである。


私は子供の頃、祭の晩に調子にのって巻き寿司を食べ過ぎて大変苦しい思いをした。それからというもの「食べ過ぎる」という事に対して恐怖に近いものを抱き続けている。腹八分というが腹五分くらいで非常時に備える構えでつねにいる。身内が食べ過ぎて苦しい思いをしたらいけないので、実は毎日はらはらしている。以前神楽君が回転寿司で調子にのって食べ過ぎて苦しんでいたときは「それ見たことか!腹八分を家訓と心得、これからは決して忘れるでない!」と訓戒を垂れたものだ。

私の母は割とよく食べる。姉二人は毎食三杯以上おかわりをしていた。餅なら二十個食べたという。太っているわけではないから余程代謝が良かったのだろう。

体格から言って一番食べそうな父は意外にそれほど食べなかった。若い頃は巻き寿司三巻は軽かったとかいう自慢はしていたが、私が物心ついた頃には五十を過ぎていたので食べようにも食べられないらしかった。それに、トマトと鶏肉は食べないだの、変なタブーが色々あったので決まったものしか食べなかった。宴会でも殆ど箸をつけず全部持って帰って来た。

確かに良く食べる母や姉たちは元気が良かった。人生前向きであった。父はそれほどお仕舞いではない頃から「ワシは食べられんようになったのう。もうお仕舞いよ」と言っていた。なるほど、父はお仕舞いになるにつれ食欲も無いようで次第に痩せていって死んだ。

活動のためには食べることが確かに必要だろう。ただ、無理してでも食べた方が動けるというのは何とも言えない。母も姉も良く食べたが決して無理して食べたのではなく、あれはまだ腹八分だったと言うのである。恐ろしい事である。

私が腹五分くらいにするのは食べ過ぎて苦しむのが嫌だからというだけではない。車に酔いやすい質だったので胃は軽い方が負担が少ないし、どうせ吐くならあまり食べまいと思ったのである。
また、出産の時も普通に産む人はおにぎり等食べて元気をつけるよう言われたが、私は帝王切開になる可能性があったので麻酔時に吐瀉物が詰まるといけないから食べるなと言われた。確かに、酔っぱらいや気を失った人も吐瀉物が詰まるといけないから顔を横に向けさせる。なるほど、人間いつどうなるかわからないが、あまり大量の吐瀉物にまみれて死ぬのはいかにもまずいと思った。

漫画「イニシャルD」の中で、中年の凄腕その名も「ゴッドハンド」が、もうちょっとで主人公に勝つ所で突然バトルをリタイアした。理由は、自分で運転中に酔って吐きそうになったから。吐いてでもゴールすれば良かったのに!!と仲間に言われて「それで勝ったとして祝福にかけつけたみんなの前にゲロまみれで現れるのはちょっと大人としてまずいんじゃないか」と思ったと語るのだが、私はその気持ち分かる分かる。

ともかく何があるかわからないから腹五分くらいでおく、というのが身に着いてしまっている。食べたら動けないかもしれない、食べたらいざというときまずいかもしれない、という認識が基本の私が、「食べた分だけ動ける。無理してでも少しでも沢山食べよう」という今回の学級便りに目を回さない訳がないのである。

私はこれまで食べなくても動かなくてはならない場面では動いてきた。母は戦中戦後食べるものがなくても動かなくては生きていけないから動いていた。父は軍隊にいたから普通には食べるに困らなかったが、状況によっては食べなくても動かなくてはならなかった。
行者たちは飲まず食わずで激しい修行をする。

そんなこんな考えると、食べなくても動かなくてはならないなら動けるわけだが、世の中には食べた分だけ動けるような動き方があるのかもしれない。担任の先生はラグビー系の人だからああいうスポーツはそうなのだろうか。

私だって人並みに反則なしサッカーや反則なしバスケットボールを毎日やり、放課後には入った事を後悔しながらも軟式庭球で駆け回った普通の運動部系生徒であった。だが、やはり腹は五分でいつも腹を減らしているのが気持ち良かった。


偏見ではあろうが、食べただけ動けるという習慣が身に着くと、あまり動かなくなってからも食べる癖が出て肥満につながりはしないだろうか。と、余計な心配をする。まあ、食べた分動き続ければ大変エネルギッシュな人生を送れるのではあろうが…

2012/05/12(Sat) 15:03  コメント(0)

◆玄武岩時代その3 

明けない朝

明けない夜はないというけれど
朝を無くすのは結構に簡単
自分抜きの朝はもうどうでもいいかな
その朝にさえ、今もつながる

自分抜きの朝はもうどうでもいいのかな
世界はいつも、あそこでもきれい

生きていくのに理由はないというけれど
わけもなく生きるのは結構につらい
カンカン日照りの山道を登り
振動する空気の向こうに
遠くなる夏を今も歩く
いつも歩く

明けない夜はないというけれど
朝を無くすのは結構に簡単


出水

岩も土も押し流し流れる
沸き上がる盛り上がる
堰堤を超える

雨も上がり水蒸気に満ち
磨りガラスの上に帆掛け船
四隅はしだいに白くなる
世界で最後の写真のように

嬉しい悲しいそれももう意味は無い
200年前の記憶のように
いつも誰か足りない記念撮影
四隅はしだいに白くなる
世界で最初の写真のように
世界で最後の写真のように



君の葬式

夏の酷さにくたびれた者は
秋の様子に安堵しつつ
もう一足飛びに冬に雪に心は埋まる
鉛の兵隊のごとく

季節も色々あるが
この国では夏が一番
床の下では朝に沢山生まれる者も
一夜で死んでいく者も

君の葬式をしよう
次は違う風にやろう

あらゆる記憶をやり返せない記憶を
切羽詰まるものにして
青のまま壁に張りつけた空になる



冬眠失敗

父の願い母の願い一身に受け生まれ来て
種をつなぐ使命受け生まれ来て
心ははやれど体はきかず
ポロポロ皮が剥がれゆく弱虫の心
冬眠失敗
春に屍さらす者よ

父がこいし母がこいしひたすらに恋しく
自慢の息子になりたかった
秋の朝白い空の下
また一枚悲しい皮が剥がれていく
冬眠失敗
春に屍さらす者よ

父の願い母の願い一身に受け生まれ来て
種をつなぐ使命受け生まれ来て
心ははやれど体はきかず
ポロポロ皮が剥がれていく弱虫の心
冬眠失敗
春に屍さらす者よ


1月の緑

1月の緑2月の花壇
一日ごとに日を伸ばし
かじかみながら待つ春は
希望というにふさわしい

3月の風重たい雲も
隠しきれなくなった時
見知らぬ頭上に満開の
ついていけずに立ち止まる

4月は人も笑いながら
しかし誰かのお墓のよう
親しい昔の墓のよう
天蓋の桜川面にも花びら

寒い嵐の細い音
黒く潰していく空も
今はかえって心安く
希望というにふさわしい


憧れの君

憧れの君は緑の目
山の中の白い岩に生えた苔

憧れの君はあくびをする
谷底の岩の上朝日を浴びる猿の子供

憧れの君は長い指
暑い草むらひっくり返るカマキリ

2012/03/07(Wed) 11:12  コメント(1)

◆玄武岩時代その2 

生きにくさが始まる

10年遅れて生きて
10年早く考える
一度始めるとずっとそのまま
星も霜もすっ飛ばして行く
生きにくさが始まる

サリーの学校は筆箱の中
森と湖、ヒナギクの花も
谷底の黄色いクーペもずっとそのまま
この世の果てまですっ飛ばして行く
生きにくさが始まる
そして生きにくさが始まる



月桂樹

月桂樹の下に白く長い車体が止まり
低いハンドル越しにドアを開けて
明るい色の服で微笑み
たとえ鉄屑になるとしても
白い車体を待つだろう
長い車体を待つだろう

紫の霧に滲む外灯の尽きる音を最後に
真珠のようにドアを閉めて
明るい色の服で微笑み
たとえ地獄の使いとしても
白い車体を待つだろう
長い車体を待つだろう


朝も早ようから

朝も早ようからビール腹で
バケツをかぶる入道頭
見世物小屋を出ていくように
笑って過ぎる夜明
ジーゼル汚れたテールの上に
描いた言葉もきれいに消して
行く手の森は産業廃棄物最終処理場

朝も早ようからスパンコール
帰り道だね俯き白々
夢が終わればまた始まり
夜明の街には帰れない

ジーゼル汚れたテールの上に
描いた言葉もきれいに消して
行く手の森は産業廃棄物最終処理場


友達

空と屋根の間で、雲と海の間で
止まない風の音
夏は今始まるけど
今、もう終わったようでも

空と枝の、雲と丘の間で
駆け回る友達の足音
誰も友達なんか欲しくないような人生

見下ろす海に散らばる島に
上手く渡り継ぎ
隠れて今もそこにいる
偉くなった人も、家に隠る人も
役にたつ相手だけを友達と呼ぶ
誰も友達なんか欲しくないような人生


たまに世界も

たまに世界も帰って来るよ
緑の草地の最高速度
土手のカマキリ蝮の行列
暗い話が大好きなのさ
悲しい歌が大好きなのさ
そうするとこの世も愉しげに見える

たまに世界も帰って来るよ
丘の上には暗い薔薇園
白檀の扇子はフェリーの上
暗い話が大好きなのさ
悲しい歌が大好きなのさ
そうするとこの世も愉しげに見える



吹雪の金銀

吹雪の金銀降り積もる
皆帰った宴会場
やっとたどり着いたよ
舞台の後ろのドアを開けて
ここで安心して生きたらいい

床を柴で打つ音がする
誰もいない宴会場
やっとたどり着いたよ

二度と会えない人々か
必ず会える人々か
やっと分かる所さ
舞台の後ろのドアを閉めて
ここで好きなだけ生きたらいい


青山

山は青く花は紅く
深い淵の底で石は白い

道は長く軒は低く
深い皺の底で人の目は黒い

空も山も遠く
排気ガスとともにどんどん遠く
若人の成れの果て信号を待ち
トラックに吹かれ煤けていく

2012/03/04(Sun) 08:34  コメント(0)

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