09/05の日記

11:55
夢のまた夢
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ヒルスコーヒーの、簡易ドリップ式「ブルーマウンテン」にちょっと感動した。ヒルスのこのシリーズは薄い薄いと、それまで文句をつけていたのだが。香りが良い。何だか昔の喫茶店に居るような、そのような香りだった。『失われた時を求めて』のマドレーヌ的現象にしばし眩惑された。

面倒くさいのでしばらくパックコーヒーばかりだったのだが、また悪い癖でヒルスのブルマン粉の缶やらドリップ用具一式を買ってきて自分でドリップすることにした。

果たしてマドレーヌ現象は起きなかった。湯温が悪いのか、湯量が悪いのか、同じヒルスのブルマンなのに、何故!

あの時は、母が昔使っていたノリタケの薄いカップだった。これは吸い口が更に薄くなって外側に僅かに反っている。カップの問題かもしれない…というわけでそのカップを使ってみる。確かに香りが拡がりやすい形状で、鼻にちゃんと届くのではある。

しかしマドレーヌ現象はまだ起きない。早い話、もう一度パックのヒルスのブルマンを買って来ればよいのだが、何処にでもは無いらしい。どこで買ったか忘れてしまった。

同じ匂いを嗅いでも同じ現象がいつも起こるとは限らない。嗅覚はダイレクトに脳に作用すると言うが、どんな作用がおこるかはまた色々な要因が絡むのだろう。

幸せな記憶に結び付く香りが、必ず幸せの時と私とを繋げてくれるなら、マッチ売りの少女的に香りをかぎつづけるだろうか。鼻が麻痺して作用しなくなるだろうか。


たまたま、偶然、というのが幸せの時と今との繋がりかたなのだろう。人為的に作り出しても意味がないかもしれない。しかし、マッチをすりつづける気持ちは解らなくもない。

私の好きなものも、心惹かれるものも、全て今の私から去って行く。そういう記憶をもつ私がそれらのものから去って行くのでもある。では、我々は二度と遇うことはないのかというと、ヒルスのパックコーヒーみたいなものを介して紙一重でニアミスする。

だから、去って行った(私のいる世界から)人とも多分何かを介してニアミスしているのではないか。私も君達のいる世界からやがて姿を消しますが、何かを介してすれ違ったりできるといいね、と若い人間や猫などを見ると思うのである。

「なにわのことは夢のまた夢」

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