04/09の日記

13:01
睡蓮
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知らなかったが、私の誕生日は花冷えの特異日だという。なるほど、冷え冷えとした誕生日であることが多かった。子供の頃はこの頃雪が戻って来る事もしばしばだった。今でこそ4月始めには桜が散りかける町に暮らしているが、故郷では山には残雪、野原には雪に押し潰された枯草が露出、花等どこにも咲いてはいない。せいぜい庭の残雪の陰で福寿草が開いているくらいだ。福寿草は一月の花ではないか!

故郷の春は、里(大体標高300b以下の村や町を我々は里と呼ぶ。じゃ、我らの住むのは?それは「原」である)より2ヶ月は遅れて進行する。

今年の誕生日は、母と広島の植物園に行った。昔から何回か一緒に訪れた所だが、前に来たのは随分前になる。大温室も錆びて、熱帯植物もいまいち元気がないように見えた。真ん中に滝があったはずだがもう止めてあった。温室で感じるわくわく感があまり得られないまま、だらだら食虫植物のコーナーをぬけると…

睡蓮のドームがあった。淀んだ池の中に昼間咲くタイプがいくつか咲いていた。すぐに疲れる母と池の前のベンチに座り込み長いこと座っていた。ドームの柱は下の方から赤く錆び、ガラスは曇ってうらぶれたヴェルサイユ宮殿のようだった。
あとから来た若いカップルが「ア!これお釈迦さんじゃん」とはしゃいでいた。まあそうよの、かわいいことよの、と私はすっかり婆さんの気分である。婆さん二人が蓮の池のほとりに座っている。


先日、神楽君が自分のオリジナル神楽脚本について語っていたが、「お前のテーマは何か?」ときくと「諸行無常」だそうである。たしか何年か前の書き初めは「行雲流水」だったし、流れ去るイメージがお好きなようだ。中学校卒業の寄せ書きに「サヨナラだけが人生さ」と書いた私の子供、そして最期までホームレスになる計画をたてていた「不忍のトシ」の孫だけの事はある。

しかし神楽君、流れ流れの人生はそれなりに楽しくはあったが、私は何も成し遂げぬままである。基本的な能力がある人は流れ流れても業績を残す。やはり「研かずば玉の光はそわざらん」という事で、学ぶ時に学び研鑽しなくては石ころのまま、下方へ転がり続けるだけである。

私の石ころはついに光ることなく、蓮の泥沼に音もなく落ちるのだろうか。いや、悪いことを沢山してきたので蓮の咲くような良い所には落ちないであろう。

しかし私の母はよく頑張った。貧乏な家の労働力となり、師範学校では首席となって親を喜ばせ、人生の大半を学校教育にささげた。辛抱強く子供らを育て、親や親族、夫に奉仕した。母の事は、できればきれいな蓮の花の上に、オオオニバスの葉っぱの上でもよいからのせてやっていただきたい。

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