03/30の日記

14:42
私に欠けているもの
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いつの間にか桜がほぼ満開だ。昨日も今日も雨模様で花見の人々はあまり見ないが、桜は淡々と豪華に咲いている。

明日はO中学校の離任式。9月から僅か7ヶ月だったが色々考えさせられる日々だった。私は情緒学級の補助の突然の穴埋めという立場だった。前任者はなぜやめたのか、子供たちは「僕達が苛めたから」と言っていたが、他の筋からは担任との軋轢があった事が解った。

私もそこで暮らすうちに問題は子供らではないと思い始めた。確かに「クソババア死ね」「うるせえクソブタ」等々、まだこちらが何にもしたり言ったりしないうちにどんどん浴びせられたり、殴りかかられたりという理不尽な世界だった。呆れはしたが、辞めるほどではない。

私がイライラしていたたまれなくなるのは担任の何を言いたいか解らない長い話、コロコロ変わる指示、意味不明の特別扱い…等々だった。実際、私よりあとに入った自衛官あがりの方は「やっとれん!」と担任に憤慨してさっさと辞めてしまった。

私もやっとれん!気持ちは日に日に強まるのであったが、担任と毎日雑談しているうちに、この人の辛さも多少分かる気がしたので結局辞めはしなかった。しかし予想しなかった事態が起こった。何と担任が急病で学校に来なくなったのである。

はじめは、もしかして私が苛めたからか?!と身に覚えが無くはないので震撼したが、本当に急病だったらしい。とはいえ、ストレスに誘発されたという事は十分考えられるのである。私がストレスを作っていたのは多分間違い無い。

この人が休んでから生徒のA君は「これでやっと学校に慣れてきた気がする」と言い、A君のお母さんは「早い快復をお祈りしますが、もう担任には戻ってほしくない」と言いきった。職員室でも本人を心配する声は聞かれず「困ったねえ、あの学級どうなるんかね」というところで盛り上がるのであった。

それも確かに致し方ない。実際、来年度の方針について親と話し合う人がいないのだから、子供も親も不安な状態で4月を迎えるしかないのだ。病気は仕方ない。療養していただかなくてはならない。しかし子供の来年度については上の人間が親と面談するなりして、担任に代わって進めるべきではないのか。でないと全体の編成が決まったあと情緒学級の事をはめ込むしかなくなってしまう。

情緒学級など無くて良い、皆普通のクラスに戻れば良い、という考え方もある。しかし、現在の「通常」学級は「普通」だろうか。私には先生が先頭きって余計ものを排除する異様な場所に見えなくもない。「病的な子」は、実はわりと普通の子で、普通の反応をしているに過ぎないのではないか。それを「…してはいけません。…できないなんて信じられない」と決めつけるのは学校の先生ではないか。

情緒学級の子供は、一番楽しいのは他人を苛める事だ、と言って憚らない。なぜそうなるのか、それは彼らが「普通」ではないからなのか、よく考えないといけない。

自分は昔から楽しいから苛めようとか、嫌いだから苛めようと思った事はない。それにもかかわらず私に「苛められた」と言う人が時々いて驚く。今回の急病になった先生は私に「苛められた」とは多分思っていないだろうが何となく嫌な奴、気が重い相手、会いたくない、学校行きたくない…と思ったかもしれない。

子供の暴言暴力が私に大したダメージを与えないのは、弱い者の遠吠えだと思っているからだ。むしろ、思いやりから出たような穏やかな一言がグサッと突き刺さる事がある。此方の方がきついのだ。

だが、そのきついソフトな攻撃にはヒントがつまっているのも事実だ。だから私はそれを糧に換え、それによってしぶとく蘇りながら生きてきた。そういう変換ができなかったら心身共に病気になっていただろう。

おそらく私に苛められた、傷つけられた、と思って(私の前からコソコソ姿をくらまして陰で仕返しをするやつが最近もいたようだが)いる人は私を「弱い」と思えないのだろう。私の言う事を負け犬の遠吠えさ、とは思えないのだろう。

当たり前だ。私は自分を弱いと思った事はない。誰にバカにされようと罵られようと殴られようとも、反対に柔らかいナイフでグサリと諭されても、自分が弱いという考えだけは浮かばない。恐らく情緒に何らかの欠陥があるのだろう。

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