01/18の日記

16:55
親不孝ぶらぶら
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先日ひさしぶりにS市に行って、以前同僚だった二人と会った。若いYさんは一般企業に就職したが子供の病気で辞めて現在は無職。2月から知り合いに誘われて発達障害のための塾を手伝うらしい。

もう一人のアラフォーAさんは市内の中学校で非常勤だが、六人いる非常勤にあてがう机がなく長机を使用中。自分の荷物も置けず、生徒に提出物を置かせるスペースも無いそうだ。そのくせ、夜間に本務者達が長机を作業台にしてそのまま散らかしてあったり、物置にされたりしているという。ガッコの先生なんて所詮そんなものだ。他人の立場を、気持ちをかんがえろと生徒には言うが、自分は考える暇が無いのだ。

そういえばうちのガッコのN先生は「あそこの歯医者は看護婦がババアばかりだ、話しかけるなっつうの。クソババア」と笑い話のつもりで自分より年輩の女の先生たちに話していた。命知らずだな。というより中学生レベルだ。


S市のコンビナートはやはり圧倒的でピカピカして、常緑の街路樹の緑色は深く、やはりたまには山陽に出て来ないといけないと思う。山陽は何故だか私には景色の色が濃く見える。光も強いが影も濃いのだ。お二人と別れて、コンビナートを背に山道を上る。高い峠から見下ろすと豆粒ほどの煙突が時々光っていた。

山陽から山陰への道は広島市から村に帰る子供の頃のドライブをいつも思い出させる。頭上がくっきりした青空からいつの間にか灰色の空に変わり、フロントガラスにガチガチと霙が当たり始める。全く別世界に帰って行く事を実感する。だが嫌ではない。空がいよいよどんよりしていけばいくほど落ち着くと言えなくもない。

明るさとどんよりを行ったり来たりしてバランスをとるのが良い気がする。我々山の住人というのはどことなく暗ーい山の中のような部分を人格の中に持っている。(海辺の人は磯のような、あるいは海の底のような?暗い部分を持っているかもしれない)

ウロウロと暗がりをさまよい、ずんずん奥に入り込み…というあんばいに。我々の村は人口数のわりに昔から自殺者(他殺もね)が多いのである。とはいえ暗がりは悪くない。考える余裕をくれるし包まれると意外と暖かいものだ。そういう意味ではトンネルみたいだ。

私は人格のなかの暗い山を、トンネルを拠り所にして生きている。これなしでは精神がすっかりまいるだろう。それでも最近恐れている事がある。今、私は母に会いに行くのを面倒だと思う時もあるのだが、その必要がなくなったらどうだろう。母亡き後、私ははたして生きていけるのだろうか。

依存しているのは私の方で、母は今や全てを忘れようとしている。忘れられても母が生きているかぎり、私には母に会いに行くという仕事がある。父が亡くなった時にはまだ私には守るべき母がいてくれた。

父の死は私には複雑だった。私を戸籍上無き者にしようとすらした父が死んだあとは、むしろ全てが私の物になり、家が初めて我が家になった気がしたものだ。それでも最愛の男性には違いなかったからいつまでも引きずっている。

母の場合はやはり違う。自分勝手な親だったとは思うが、母は私を徹頭徹尾守ってくれた。私の罪は自分が背負って地獄に行くと言ってくれた。刀を持ち出した父から身体を張って私を庇ってくれた。だらしない私が困らないように財テクをしておいてくれた。おかげで今も母のグループホーム代は母自身の蓄えでまかなえている。私のすることは、会いに行って軽薄な事を言って車を走らせるだけなのである。それでも嬉しいと言ってくれる。

母には昔から何かしら強い力があって、私を敵や災難から守ってくれていた気がする。その守りがなくなったら私など木っ端微塵ではないか。そんな気がして恐いのである。だからどうか私より長生きしてねと自分勝手な事を考えたりする。

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