10/12の日記

18:07
「生は担うには重すぎる」「蹴って転がすがよい」
---------------
神楽君卓球の試合。初めてロベスの両親、つまりじいちゃんばあちゃんが見に行く。初戦から負けたらあんまりだが、と心配していたが、相手が一年生だったので三回戦までは勝つ。そこでじいちゃんばあちゃんをロベスが連れて帰る。それで良かった。次の試合であっさり負ける。


負けても良いがO中学校の子に負けたので腹が立った。けっしてO中学校の子供がキライなわけでは無い。しかし、これまで普通に職業的に持てた「可愛い」という気持ちがO中学校ではなかなか持てないのである。

これは職業柄困った事だ。これまでずっと、生徒が可愛いと思えなくなったら辞めようと思ってきたので。皆がみな可愛くないわけではない。大部分普通に可愛い連中だと思う。確かに悪い事も我が儘も意地悪もするが、まあ、普通でしょう。しかし、自分が担当する情緒障害児学級はちょっと複雑だ。

彼らが悪いとは少しも思わない。むしろ一般学級の子よりも正直で純粋なのだろう。確かに障害がある。これは彼らのせいでも親のせいでも無いのだろう。人間関係がうまく作れない、他人を不快のどん底に突き落とす、というのは人間界では大変な障害だ。これまでもこれからも彼らは大変だろう。でも可愛そうと思ったらいけないのだろう。

毎日不快のどん底に突き落とされながら思う。私が彼らのことばで不快になるのは私が差別的だからだろうか、或いは人間が出来ていないからだろうか。たとえば「くそブタ死ね!コロスぞ」等々を笑って受け流すのが良いのか。嫌な顔をした方が良いのか。もっともらしく軽く注意した方が良いのか…

また、「先生の顔を見ると腹が立って来るんですよ。結局先生も口先だけの人なんですよね」等と言われて「クソガキコロスぞ」と言ってはいけないのはわかるが、ではどうすれば良いのか。あらそう、悪かったねと口先だけであしらうのが良いのか、まあ、そんな風に感じさせてごめんなさい先生失格ね!と白々く騒いだ方が良いのか…

思い知ったのはこういう事である。特別支援学級を担当するにしては、私には障害が多すぎる。もっと普通の人ならちゃんと職業的愛情でもって天使のように彼らを受け入れる事ができるのではないだろうか。

前へ|次へ

コメントを書く
日記を書き直す
この日記を削除

[戻る]



©フォレストページ