宝絵巻
□罠
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樹里は慌てて、口をつぐんだ。
独り言など、いくら喋っていても構わないようなものだが、今の樹里はそれを警戒している。
なぜかと問われれば――。
−罠−
数日前に出会った四人の男が、原因だ。
否、よくよく振り返ってみれば、三人。
その男達と出会ってからというもの、樹里が独り言を呟く度に、大騒ぎになるのだ。
なんとなく、そう、本当になんとなく。
「お腹空いちゃった。」
などと言ってしまえば、一人の男幻殃斉が、銘菓だという普通の三倍もの値が付いているような、高価な菓子を彼女に差し出し、別の男、兵衛は彼女の手を引き外食に連れ出そうとし、もう一人の小田島は、彼女の好きな物を尋ね買いに走る。
またある時は、青空の下、洗濯物を干していて――。
「腕痛くなっちゃった…。」
こう呟けば。
「樹里さん!無理して体を壊したりしたら、大変だ!」
「お前は座っていろ。」
「あとは私に任せて下され。」
駆けつけて来た幻殃斉に、洗濯物を取り上げられ、兵衛に抱きかかえられたと思ったら、そのまま腰掛に座らされ、残りの仕事は小田島が買って出る。
気遣われている筈なのに、妙に疲れる、そんな感覚に困った樹里は、たとえ独り言であろうと、迂闊な発言は控えよう、と気をつけるようになったのだ。
そんな騒がしい日々を過ごしていた、ある日のこと。
樹里はなんとなく気になって、一人の男を見つめていた。
彼女の視界にいたのは、幻殃斉でも、兵衛でも、小田島でもなく――色白の肌に鮮やかな赤の隈取を施している、薬売り。
彼は樹里に見向きもせずに黙々と、商売道具である薬をいじっていた。
男三人が樹里を追い掛け回していようが、口説いていようが、何をしていようが無関心。
ろくに話した記憶がない事に気付く樹里。
話しかけてみようか、と思っても、何を話せば良いのかが分からない。
「どうか、しましたか。」
薬をいじっている手元から、目を離すこともなくただ静かに、それでいて唐突に尋ねてきた薬売り。
話のたねに困り考え込んでいた樹里は、不意を突かれた驚きに、鼓動が早くなるのを感じた。
「さっきから…俺のこと、見ていますよね。」
ここでやっと、薬売りの目線が樹里に向けられ、見つめられた樹里の体温は上がってゆく。
「いえ…あの。ね、眠くなってつい、ぼーっと…。」
その言葉に返ってきたのは、薬売りの声、ではなく。
「樹里殿!」
その声と三人分の騒がしい足音に、しまった、と苦い顔をした樹里だったが、後悔してももう遅かった。
「寝不足は肌に悪い!寝床を用意しよう。」
引きずられるように寝室に連れて行かれた樹里は、布団の中に押し込まれ、眠くもないのに寝るはめになってしまった。
――はた迷惑な親切により、おかしな時間に眠ってしまった樹里は、深夜に目覚め、あの三人がいないことを確認しながら、寝室を出た。
「もう…。眠れなくなっちゃったじゃない。」
どこかの寝室からは、豪快ないびきが聞こえてくる。
人の気も知らないで、と樹里は一人で膨れっ面。
まだ始まったばかりの夜を、どう過ごせば良いかと考えながら、行く当てもなく歩き回っていると、淡い光が障子の向こうにあるのが見え、誰か起きていることが分かった。
そこは、薬売りの部屋。
なぜだか、気になる人。
「せっかくだし、なにかお話ししてみよう…かな。」
障子戸に手を伸ばし近づくにつれて、不思議なことに、胸が騒がしく音を立てる。
「やっぱり、やめておこう…かな。」
こんなに胸が高鳴っている状態で、まともに話など出来るはずがない、と樹里は障子から手を引っ込めた。
「部屋帰ろ…。」
「それは、残念だ。」
「きゃ…っ!?」
突然開いた障子と、その声に驚いた樹里は、思わず叫び声を上げそうになったが、薬売りの手に口を塞がれた。
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