★毛主席語録

□愚公山を移す
2ページ/2ページ

中国には、むかし、「愚公、山を移す」という寓話があった。その話というのは、むかし、華北に住んでいた北山の愚公という老人の物語である。かれの家の南側には、その家に出入りする道をふさぐ大行山と王屋山という2つの大きな山があった。愚公は、息子たちをひきつれ、くわでこの2つの大きな山をほりくずそうと決心した。智叟という老人がこれをみて笑いだし、こういった。お前さんたち、そんなことをするなんて、あまりにもばかげているじゃないか、お前さんたち親子数人で、こんな大きな山を2つもほってしまうことはとてもできゃあしないよ、と。愚公はこう答えた。わたしが死んでも息子がいるし、息子が死んでも孫がいる、このように子々孫々つきはてることがない。この2つの山は高いとはいえ「これ以上高くなりはしない。ほればほっただけ小さくなるのだから、どうしてほりくずせないととがあろうか、と。愚公は智叟のあやまった考えを反駁し、少しも動揺しないで、毎日、山をほりつづけた。これに感動した上帝は、ふたりの神を下界におくって、2つの山を背負いきらせたというのである。いま、中国人民の頭上には、やはり帝国主義と封建主義という2つの大きな山がのしかかっている。中国共産党は
、はやくからこの2つの山をほってしまおうと決意している。われわれは、かならずやりとおし、絶え間なく働くものであって、われわれも上帝を感動させるはずである。この上帝とはほかならぬ全中国の人民大衆である。全国の人民大衆が、いっせいに立ちあがって、われわれといっしょにこの2つの山をほるなら、どうしてほりくずせないことがあろうか。
 
「愚公、山を移す」(1945年6月11日)『毛沢東選集』第3
 
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ