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□反革命集団「四人組」
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 「四人組」とは、文化大革命中毛主席の権威を借り、1971年林彪墜死以降党指導部で勢力をつけた極左派閥。江青(毛沢東夫人)、張春橋(副首相、政治局常務委員)、姚文元(政治局委員)、王洪文(党副主席)の四人。

 四人組は文革の極左路線を進め、修正主義的な政策を激しく批判して政敵を迫害した。周恩来を暗に批判する「批林批孔運動」や、Deng小平の打倒を主導。毛沢東は当初四人組を支持したが、派閥傾向が強まると「小さな派閥をつくってはならない」と江青、張春橋らを批判したこともある。
 1976年1月の周恩来総理の死を悼んで民衆が天安門広場に献花するも、四人組の指示で翌朝献花は撤去された。折しも四人組による極左路線への不満が高まっており、これを散会させようと四人組が天安門広場に人民解放軍を送り、第一次天安門事件に至った。

 1976年9月9日の毛沢東の死去で、華国鋒が主席に就く。華国鋒は葉剣英らの支持をとりつけ、四人組の逮捕を決断、同年10月6日に四人組は逮捕された。

 1981年の裁判で江青と張春橋は死刑(後に無期懲役に、張春橋は更に懲役18年に減刑)、姚文元は懲役20年、王洪文は無期懲役を言いわたされた。
 

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