小説

□第3部〈二人の空〉part2
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1.飛ぶ喜び/二人の空(2)


「おい、おせーよ。何やってたんだぁ?」

鶫とのやり取りの後、シャワーを浴び、汗だらけの服を取り替えて格納庫に向かった。
俺が着いた頃にはすでにXF−3の整備は始まっており、出迎えに稼利男がいかにも暑そうな顔で俺に嫌味を贈ってきた。
差し詰め、いつまでも涼んできやがってこの野郎、と言っているのだろう。
こちとら結局、暑いままなんだがな。

「あれ、なんでパイロットスーツなんか着てんの? 暑くね?」
「ズボンの代えが無かったみたいでな。仕方なくパイロットスーツ。意外と暑くないんだぞ、これ」

 俺の使用しているパイロットスーツは試作品であり、素材や構造の見直しで既存のものよりも遥かに快適に出来ている。
 しかし、それでもシャツに軍用ズボンの組み合わせの方がまだ涼しい。普段のローテーションから推測すればあと一着はあるはずのズボンが、何の手違いか無かった。
 きっとまだ乾燥室にでも干してあるのだろうと憶測で結論付け、わざわざ乾燥室へ探しに行くのも面倒に思い、近くにあったパイロットスーツに袖を通すことにした。 どうせ試作品なのだから、戦闘機に搭乗する時以外の、通常生活における着心地テストだって参考になることだろう。こじつけだけど。

「ふぅん、まぁいいや。取り敢えず一成向けの仕事がまだ残ってるぞ」

そう言って稼利男は唇を吊り上げながら、俺にスポンジとワックス缶を手渡した。
 缶とスポンジにはワックス特有の刺激臭が染み付いていて、未だこの臭いに慣れない俺は思わず顔をしかめる。
 俺のしかめっつらには意を返さず、稼利男は油汚れだらけのタラップを俺に手渡した。

「もしかして、もう殆どこいつの整備終わってたりするのか?」

 渡されたタラップをコクピットの脇に架け、コクピット周りのワックス掛けを開始する。
 下にいる稼利男の顔を見下ろすと、束ねた髪を揺らしながら意地悪そうに笑っていた。

「もうワックス掛けだけで終わり。一人だけ涼んでやがった対価だ。ま、手伝ってやるから頑張りな」

ああ、と短く答えワックス掛けに集中する。
白一色の特殊複合素材ボディは、磨かれるとまるで白銀の様に眩しく光る。
その輝きは、白雪の長いシルバーブロンドを思い起こさせた。

 あいつも……、白雪も、今ここにいるのだろうか。

「なぁ、戦闘機に魂って宿ると思うか?」

 稼利男が鼻で笑った気がしたが、俺はワックス掛けの手を止めず、意識して何の気も無さそうに振る舞いながら言った。

「いや何だ、唐突だな」
「少し気になっただけさ」

稼利男も手を休めず、やり取りを行う。
彼は今、機首の下に潜ってワックス掛けをしているため、俺のいるタラップからではその表情は拝めない。
 けれど、間違いなく可笑しそうに笑っていることだろう。

「ま、いてもおかしくないと思う。自論だがね。”艦魂”の話を知ってるか?」

 と言って、ワニ叩きゲームのワニよろしく稼利男が顔を出し、真下から俺を見上げる。
 予想通り稼利男は可笑しそうに笑っていて、ハンマーの代わりにワックスたっぷりのスポンジで叩いてやりたい衝動に駆られなくもない。

「なんだそれ?」

スポンジノックは我慢して、代わりに真下にある稼利男の顔に向かって疑問を投下する。
 すぐに解説が返される。

「船に憑いてる精霊だ。その全てが女でな。女を船に乗せると嫉妬するんだそうだ」

その後の稼利男の追加説明によると、この類の、つまり船に女の精霊がいるという話は世界各地にあるそうだ。
その他にも、モノに魂が宿る話は沢山あるらしい。

「しかし、この機体に精霊が宿ってるとしたら一成、きっとお前に文句垂れまくりだろうな」

そう言われたとき、俺は誰かが息を呑んで見ているような気がした。
 でもそれ以上に、稼利男の言った事が事実である事に俺は驚いた。
 俺はその驚きを身の内に押し止める。

「何だよ、俺の飛び方ってそんなに下手クソか?」

コクピット周りのワックス掛けを終え、タラップを降りる。
稼利男は真剣な、でもどこか期待に満ちた様な表情で言った。

「決してお前はヘタじゃない。むしろ、俺が見てきた中で最高の腕前だ」

 苦笑を浮かべてから、稼利男は表情を真剣なものに改めた。

「お前はタイフーンとか、イーグルとか、従来の空自機を操らせたら、間違いなくトップクラスだろうな。それは保証できる。しかしそれだけ、従来機の限界が身体に染み付いてる。扱い方も教科書通りだしな。まぁつまりだ、お前はこの機体の限界は引き出してはいないってことだ」

お前だって本当は分かってるんだろう、と稼利男は続ける。

「この機体、〈シラユキ〉はもっと高く、もっと速く、そしてもっと激しく飛べる。俺はそう思う」
「つまり、俺は下手くそじゃぁないが、まだ〈シラユキ〉を操るには俺の実力は不足だって言いたいのか?」
「違うな」

 勿体振ったような稼利男を言葉に、苛立ちが募る。
 自分は下手くそではないが、〈シラユキ〉の限界は引き出せていない。
 機体に問題が無いのに限界が引き出せないのが、パイロット以外の誰の実力不足だというのだろうか。
 俺が苛立ちに任せ稼利男に詰問しようと口を開くと、稼利男がそれを制すように言葉を放った。
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