小説

□第2部〈もっと自由に飛べばいいのに〉
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1.飛ぶ喜び/もっと自由に飛べばいいのに

《オメガ1へ。これより機動力試験に入ります。方位280に標的機、数10》
「了解。準備良し」
レーダー照射警告がヘルメットのバイザーに表示されたHUDに表れる。
機体後方に顔を向けると、遠く離れた米粒ほどの小さな機影に、緑色の線で構成された四角いマーカーが重なっている。
《状況開始》

 ミサイルアラート

 コクピット内にやかましい警報が鳴る。
標的機から放たれたミサイルが見える限りで約6本、白い煙を吐き出しながらこちらへと迫ってくる。
機体を180度ロールさせ、急降下。
途中でアフターバーナーに点火し、重力と高圧ガスで二重の加速を得る。
ローGヨーヨーと呼ばれる、おおよそ教科書通りの回避機動。
何本かのミサイルが俺を追い切れなくなり、虚空を漂う。
必死に食らいついて来た残りのミサイルを、XF−3ならではの急激な旋回能力で回避する。
残りモノの内、数本が苦し紛れに近接信管で炸裂し、訓練弾頭に詰まった赤や緑といった色とりどりのペンキを空に蒔き散らした。
ミサイルアラートが鳴り止む。
 俺は標的機の群を確認し、その中に突っ込む。もうこれで殆ど終いだ。無能な無人標的機に何かが出来るわけじゃない。

《ドローン全機撃墜を確認。状況終了。オメガ1、今日のフライトメニューは終了です。帰還してください》
 いつもの退屈な空のルーティンワークが終わった。


俺は、俺の愛機と同じ名前の真っ白な少女、白雪に出会った夜、消灯時刻寸前まで彼女と色々と話していた。
話していたとはいっても、ほとんどは他愛もない無駄話。
白雪について分かった事は少ない。名前で呼ばれるのが好きな事と、人ではない存在であり、俺以外には彼女は見えないという事。あとは、初めて会った日にお互いの使った”見えている”という言葉の示す目的語がお互いに違かった事。それくらい。
あぁ、そういえば何で俺は白雪に触れられなかったのに、彼女はXF−3には触れられたのだろうか?
 俺が白雪に触ると手がすり抜けるのに、白雪がこの機体に触ろうとするとすり抜けない。なんか不条理だ。

さて、話題も出来たことだし、今日も夜な夜な格納庫へ散歩に行こう。


 辺り一帯が静まり返る、人の営みから隔離された此処独自の夜の世界。
 昼間に見ると、ただ山に囲まれた何も無い荒野に見えるこの土地も、降り注ぐのが月の冷たく淡い光のみとなれば、此処は昼間とは反対に、一面平淡な海のように見える。
 その波立たぬ海に、僅かに光を内から漏らすものが一つ。
「ねぇ、何でいつも同じなの?」
「何が? 白雪の服がか?」
 やっぱり夜の格納庫は人気が無い。もうかれこれ一週間ほど通っているが、初日以外誰にも遭遇しない。お陰で照明を勝手に点けていても文句を言われない。
「ミサイルの避け方。いっつも同じ」
 話す内容は、大概こんな感じ。
話題は、俺の飛び方について。昨日は確か離陸について色々と話した。
「確実に避けてるだけさ。基本に忠実なんだよ、基本に」
高度があるなら急降下。低空でも速度があるなら急上昇。速度が無いなら、加速すればいい。
他にもミサイルの回避方法は如何様もあり、XF−3の性能ならば様々な機動が試せるだろう。
しかし、俺にそんなモノは求められていない。それに、俺もやろうとは思わない。
俺にとって飛ぶことは、ただの仕事だ。楽しむことではない。
「でもさ、旋回した時、もう少しで当たりそうだったよ?」
「そうか? そんなことないだろ」
「い〜や、当たりそうだった。ギリギリだった」
白雪は、口を尖らせ、眉間にシワを寄せて俺に抗議の眼差しを向けてくる。
「もう毎回、毎回、同じ機動。ミサイルも同じ機動。同じ所で爆発。ペンキがかかりそうでイヤ」
俺の顔前にその作りのよい顔を突き付けたと思うと、すぐにぷぃっと顔を背けた。
彼女から聞いた話では、XF−3に付いた汚れや傷は、そのまま彼女の姿にも現れるらしい。
 すなわち、模擬弾頭のペンキが機体に付着すれば白雪の身体にもそれが現れ、何かで機体に傷が付けば白雪にも傷が付く、というわけだ。
 どうにも胡散臭く感じるが、だからといって試しに機首に落書きして、彼女の顔にも落書きができてしまったら取り返しがつかない。
 まぁ、俺は落書きだらけより真っ白の方が好みだから、別に問題は無いけど。
「そうだな。俺が失敗したらその自慢の銀髪とワンピースが汚れるからな」
「最初は白髪だと思ったクセに」
 白雪は顔を横に逸らしたまま、赤みがかった琥珀色の瞳だけを俺に向ける。その瞳には相変わらず抗議の色が浮かんでいる。
「あぁ、あんまりにも白雪が全身綺麗な白一色だったんでな」
「むぅ………」
彼女は再び視線を逸らし、瞳の抗議の色は恥ずかしさが置き換えられていく。
 そこで俺は追い撃ちをかける。
「その髪、綺麗だな。よく似合ってるぞ」
「ぬぅ………バカ」
 この一週間で、白雪の扱い方は大体だが分かって来た。
彼女は、褒められるとどう返していいのか分からないらしい。
 目を逸らしながら、弱々しく恥ずかしそうに俺を罵るのだ。
その尖った仕草が可愛くて、俺は格納庫に来る度、一回くらいこうして楽しんでいたりする。
 今日はもう少し褒めてみようか。

白雪が俺の飛び方に文句を言う間を与えぬよう、あの手この手で褒めて困らせた。
 始めは俺に対し「バカ」を連発していた彼女も、いずれ言い返せなくなったのか、顔を朱くしながら無言で目尻を吊り上げ睨み付けてくるだけになってしまう。
 それでも続けていると最後にはその睨みも崩れ、眉も目尻も下がり、恥ずかしそうに懇願するような顔になる。
 なかなか、加虐心がそそられる表情だった。

「ねぇ、ところでさ」
いい加減褒めるネタが無くなりそうなところで、ここぞとばかり彼女が口を開く。
”ところでさ”などと改まった前置きを入れるのは、これまでずっと率直だった彼女の意外な一面だった。
「どうした?」
つい、俺も改まる。
「うん……」
 この時の彼女の、両の指先同士を顔の前で合わせて、言いにくそうに俯いた表情はとても印象的だった。
何か重大な事を打ち明けるかのような雰囲気に、俺は心の中で身構える。
白雪の小さな唇が、一文字ずつ慎重に言葉を紡ぎだす。

「どうして、あんなに苦しそうな顔をして飛ぶの?」

「え……?」
 思いがけないことを言われた。
 思わず眼を丸くする。
俺が、苦しそう?
 俺にとって、飛ぶことはただの仕事だ。
 退屈だとは思っていたが、それが苦しいとは考えもしなかった。

「もっと自由に飛べばいいのに」
 優しく、俺を励ますように笑いながら、白雪は言った。

自由に飛ぶ。
思ったように、飛びたいように飛ぶ。
1年と10ヶ月前と同じく。
飛びたいように飛んで、戦いたいように戦って、それで俺は何を得た?

いいや、失った。

 自分のせいで、あの時の俺と同じく空を飛ぶのが好きだった親友を。
 そんな俺が、何故そんな勝手な真似が許される?
 他者から幸福を奪っておいて、どうして自分の幸福を謳歌する資格がある?
 すくなくとも、今の俺にはそんな許しも、資格も無い。
 それなのにこいつは、無責任なことを言う。
 何も知らないクセに。
 心の中で、どうしようもない憤りが溢れ出る。
 その時の俺は、酷く愚かしかった。

「知ったような事を言うな。お前に………お前に何が分かる? 俺がどうしてこんな所に入れられてるのか。この手で相棒を死なせたときの俺の気持ちが。俺の10分の1も生きていないお前に分かるのか?
 何も分かりもしないクセに、偉そうなこと−−!」
 言ってしまってから、深く後悔した。
 後悔している。白雪に否は無いと分かっている。こんなの、ただのくだらない八つ当たりだ。
 悪いのは自分自身なのに、白雪はただ何も知らないだけなのに。それを当て付けにして、何の罪の無い白雪を責め立てた。
 けれど、どんなに後悔しても、勢いで言っただけだとしても、言ってしまったことは変わらない。
「えっ……?」
思いがけないことを言われ、白雪の表情が驚愕に固まった。
赤みがかった琥珀色の瞳は見開かれ、目の前の光景に怯えて身体はすくんでいる。
そんな白雪の顔から、俺は目を背ける。 自分のしたことが許せない。
「わ、私は…………」
 彼女を傷付けたことが許せない。
「……すまなかった」
もう、謝ることしか出来なかった。
けれど謝ったところで何も取り返しがつかない。
これ以上此処にいるのはお互いを傷付けるだけだ。
 俺は彼女に背を向け、通路の方へと逃げるように歩き出す。
目を閉じ、悔やむ。
白雪が後ろで何か言っているような気がしたが、今の俺に彼女といる資格などありはしない。
俺に残されているのは、今や黙って格納庫から去ることだけだ。
後ろ手に連絡通路の扉を閉じ、もう何もかも見たくないとばかりに目を覆う。
しかし、それで無かったことにはならない。
「くそっ……」
 自分の愚かさに、独りで毒づく。
これほど時が戻ってほしいと思ったのは親友を失った時以来だった。

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