小説

□Snow edge〜白雪と舞う空〜第1章〈飛ぶ喜び〉第1部〈白雪〉
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1.飛ぶ喜び/白雪

もう、あれからどれだけの時が過ぎたのだろう。

一年だろうか。

二年だろうか。

はたまたもっとだろうか。

具体的な日数に意味など無い。どれだけであれ、俺が長い間この地に閉じ込められていることには変わりはない。
けれども人は、答えに意味など無いと知りつつも、一度気になり出すと無駄に答えを求めてしまう。戦争の意味とか、世界の在るべき姿とかを考えると、人は特にそうなる傾向にあると思う。

 親しい関係にある従姉から来たメールの返信内容を考えていたら、関係ない方向に思考が飛んでいた。
メールが来たのはまだ日が出ているうちだったはずが、いつの間にか外は夜になっている。明かりの点いていない薄暗い室内では、パソコンの液晶画面が最も強い光源。
 照明の電源を入れ、部屋を明るくする。 隅に架けられたカレンダーを見ると、それはまだ六月の日々を表していた。
二ヶ月分、一度にめくり取る。
面倒がって二枚同時に剥ぎ取ろうとしたせいだろう。前の月のカレンダーが真ん中から右端にかけて破けてしまい、今月の上にこびり付くように残ったままになってしまう。
それがまるで、カレンダーが過去の出来事を引きずっている様で、可笑しかった。


俺は今も空を飛んでいる。

六分の一がまだ七月のままのカレンダーによると、あの空の出来事から約一年と十ヶ月の月日が経っているらしい。
あの頃と違い、俺は独りで飛んでいる。 どこを見渡しても、ただ広い空が果てしなく広がっているだけ。
 この空に聞こえてくるのは、一機分のエンジン音と、機体が大気を切り裂く音、それから地上からの飛行プランに関する通信だけ。無駄口をたたき合う僚機もいなければ、それを注意する管制官もいない。極めて退屈なルーティンワークの舞台。
 広すぎる空は、心は虚ろになっていく。
 いつの間にか俺は、空を飛ぶことが楽しいとは感じなくなっていた。
空を飛ぶ喜びを、どこかに落として来てしまったのかもしれない。


航空開発実験集団第1330飛行実験団。

これが今、俺の配属されている部隊。
数年前に行われた、自衛隊の大幅な組織改変の際に作られたと思われる部隊。
 その目的は新型戦闘機の飛行テスト。
 
そして事実上、存在しない。

基地内へは入るときだけでなく、出るときでさえ何重ものセキュリティチェックを受ける必要がある。
 さらに、上空からの露見を防ぐため、格納庫以外の施設は全て地下にあり、滑走路は舗装中で放棄された自動車道路で代用。レーダーサイトは周りを囲む山々の中に擬装された状態で日々警戒にあたっている。
外部とのやり取りも厳しく規制され、隊員は極力基地内に閉じ込められ、手紙や電子メールは予め内容を検査されてから相手に届き、固定電話は一つの例外も無く盗聴されている。
携帯電話対策もしっかりしている。
 ここは北海道の山奥なため、余りに辺境過ぎて電話会社の電波はどう頑張っても届ず、通信手段として役に立たたないのだ。
 全くもって、大した機密さ。
きっと俺がここに配属されたのは、唯単にテストパイロットが欲しかっただけでなく、大方口封じも目的の一つだろう。
 性能の良くない俺の頭でも理解できる。
でもまぁ、メールのやり取りが許可されているだけ良しとしようか。
とは言っても、返信の内容が思い付かない。
メールの送り主たる従姉とは、普段から何かと用事のある無しに関わらずに何かとやり取りをしている間柄だ。
今日のメールはほぼ愚痴で構成されていた。
彼女は日本二大重工の一つ、自衛隊の兵器の製造も請け負っている三塚重工。その航空宇宙部門に勤務している。
年齢は、一応俺と一つしか違わないのだが、既に一つプロジェクトを任されているそうだ。
 いやはや、出世コースでなにより。

そんな彼女だが、どうやら愚痴はそのプロジェクトの事らしい。
 なんでも、試作品が出来上がったので他所にテストを依託しているらしいのだが、送られてくるデータがどれもありきたりで、極限に迫ったデータが無く、更には相手先がなかなかプロジェクトを先に進ませないらしい。
 いくら要請をしても型通りのテストを繰り返すしかしない、とのこと。
同じような文章が延々と続いている。
 果たしてどのような答えを返せばよいのだろう?
慰めてみたり、宥めてみたりと、適当に思い付いたままに文を打ち込む。
 どうにか文章として続かせるが、読み返すと虫ずが走るほどいい加減な言葉の羅列だった。デリート決定。
「普段の様に、普通に盛り上がるのは得意なんだかなぁ……」
 次はもう少し親身なことを書いてみるとするか。

どうにも満足いく文が出来上がらないので、とりあえず頭を冷やしに格納庫へ散歩に出ることにした。
夜遅いせいか、格納庫に人影は無い。真っ暗の中ではどう頑張っても影はできないけれど。
照明の電源には手を延ばさず、そのまま暗闇の中に身を留める。
そうすると、次第に目が暗さに慣れていき、無間の暗黒かと思われた格納庫にも、機体搬入口から月明かりが篭れていることに気付かされる。
格納庫の中にあるものが、徐々に、うっすらと形を成していく。
隅に追いやられた、戦闘機用の増槽タンク。床には整備員が置き忘れた工具箱が転がり、ずっと左手の方には戦闘機を移動させる際に用いる機体牽引車が駐車されている。そして−−−−
俺の真正面に、一機の異形な戦闘機。
純白一色に染め上げられているその機体は、まるでそれ自身からほんのりと光が染み出しているかのように、月明かりを反射して薄闇の中でその姿を表している。
俺が一年と十ヶ月前まで搭乗していたEF2000とは全く異なる、大きく迫り出した特徴的な前進翼。
前進翼により失われる安定性を補う為に備え付けられた、EF2000のものより比較的大きい面積を持つカナード翼。
存在しない水平尾翼と垂直尾翼の代わりに、両方の役目を同時に果たし、尚且つステルス性をも向上させるブイ字翼が用いられている。
機体後方に回り込むと、そこには三次元ベクタードパネルの付いた強力なエンジンが二基、顔を覗かせている。
カナード付きの双発機であること以外、空自主力戦闘機のEF2000との間に共通点が無い。
 第1330飛行実験団の中核を成すこの機体の正体は、日本が極秘裏に開発した国産ステルス戦闘機。形式名称はXF−3。
そしてこれが、俺が未だに空を飛ぶことだけは続けている、唯一の理由−−

コツ、コツ、コツ−−−−

静まり返っていた格納庫に、誰かの足音が響く。
単調なテンポを奏でる足音は段々に大きくなっていて、誰かが後ろから近付いて来ていることを示している。

コツン−−−−−−−−−

足音のクレシェンドが、突如止まる。
 見られている気配を感じて、反射的に身構えた。
 俺から後方5メートル程の地点に、何かがいる。
足音はしない。足音の主は立ち止まってこちらを見ている。
後ろに振り向こうとしたその瞬間、格納庫の中に光が満ちた。
「くっ−−」
急激な環境の変化に、眼球が悲鳴を上げる。突然溢れ出した光に、瞳の光量調整が間に合わず視界が白く染まる。
「あれ? 一成じゃん。照明も点けないで何してんだ?」
激しい残像を残しつつも、明るさに目が慣れていく。暗かったり明るかったり、大変だな、俺の目。
振り向いたその先には、不審者ではなくよく見知った男の姿があった。
「あぁ、ちょっと散歩だ。そういうお前は何しに来たんだ? カリオ」
整備員用の繋ぎを胸元を大きく開けてだらし無く着用し、自衛官にしては珍しい長く伸びた髪を、後ろで一つに縛っている。
男の名前は、安藤 稼利男(アンドウ カリオ)
この、社長になったら大成しそうな名前の男と俺は、中学生時代の悪友……ともい親友だった仲で、この部隊に配属されてお互い驚きの再会を果たした。
再会したらこの男、既に幼なじみと結婚していて、基地の敷地内にある、昔は農家として使われていたのだろう平屋に二人で住んでいた。彼の妻は我が儘だがなかなか美人で、加えて料理が上手い。彼ら夫婦に誘われて俺も何度か夕食を御馳走になったことがあるが、いやはや。基地の食事が食事と思えなくなる程の美味しさで、肥えてしまった舌を元に戻すのに苦労した。
「ちょいと愛用のスパナを工具箱にしまい忘れたんさ。そういうお前はまた”白雪”眺めてたのか? 飽きねぇなぁ」
「あぁ……」

白雪。

これがこの純白の戦闘機の名前だ。
この機体が基地に搬入されたその日、北海道では初雪が降り、加えて機体色が真っ白であったので、「XF−3」という無骨なコードネーム以外にと俺自身が考えて付けた名前だ。
空を飛ぶことに楽しみは無い。
けれど、この機体”白雪”には、思い入れがある。その思い入れだけが、俺と空を繋ぎ止めている。
その思い入れの理由を問われると、答えに詰まる。普通なら”最新鋭機”とか、”試作機”であるからこそ、世のテストパイロット達は機体に思い入るのだろうが、俺に関しては例外。この機体が最新でも試作でも関係ない、この機体がこの機体である事に思い入っている。
この純白の戦闘機に一目惚れでもしてしまったのだろうか、俺は。

「ほんじゃ電気消しといてな。今日は愛しの彼女からメール来たんだろ? ちゃんと今日中に返信してやれよ〜」
 俺の足元に転がっていた工具箱に、ポケットから出した傷だらけのスパナをしまうと、稼利男は右手をヒラヒラと振って格納庫を後にする。
「彼女じゃなくて従姉妹だ、従姉妹。彼女は随分前に別れたきりいないっつうの。独り身に対する嫌がらせかこの野郎」
いつも通りの稼利男の台詞に俺がいつも通りに対応すると、奴はハハハと笑いながら消えていった。
さて、俺もそろそろ部屋に戻ろうか。
最後に、この機体の最大の特徴と言える新型複合素材製の前進翼に手を触れる。
散歩コースの最終過程だ。

コツ、コツ、コツ−−−−

また足音がした。
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