あなた

□signal red
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何もない原(否、あったであろう跡)を見つめる黒い瞳が音もなく潤い、容赦なく影を地面に焼き付ける太陽に曝された姿に彼は歩むのを止めた。


横顔が思い詰めているように見えて、とても話し掛けられるような雰囲気ではないというのに今声をかけないときっと後悔するという確信がある。


(ミーの勘がこの娘をこのままにするなと言っている)


何て話しかけよう、そんな風に白山坊が悩んでいると女は焼け崩れた建物の断片に手を添えて愛おしそうに撫でた。


炭は肌を汚し、袖口にこびりつく。それでも丹念に、我が子を慈しむ母のように彼女は体温をもはや冷たい業火の跡に這わせた。


(よし、)


口実になれ、と懐から手巾を取り出して炭を拭ったらどうかと渡すと女の唇から一滴の血が零れた。


「ありがとうございます」


笑う彼女を汚す色が鮮烈な黒に見えたのは、


日の光に焼かれて、じう、と悲鳴を上げている肌。悲しいくらいに血の気を感じないそれ。


「口を切っているみたいだけど」


「本当ですか」


困りましたね。
そう言って指で擦った後に黒を濡らしていた雫がぽたりと墨色の袖に落ちた。



「あの方はキスがとても下手でいらしたから、」


(唇と間違えて首に印を下さったのですよ)


(あの夜だってそうでした。私のためだと奏でた音楽の合間に戯れて貴方は)


白い、彼女自身の牙が赤の源にはある。白山坊はそこで漸く名前を尋ねた。


「……吸血鬼」


彼が呟くと女は初めて嬉しそうに微笑む。その唇だけが温かい色をしていた。



2009.0906

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