あなた
□それでも、言って欲しかった
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川を流れてきた石は丸いんだ。
かわうそがそんな当たり前なことをアマビエに教えてやると彼女は「へえ」と嬉しそうに瞳を丸くした。薄灰色のそれをいくつか小さな小石を並べては綺麗なものを岸辺にあげている。
「あたいは石ってのは最初っから丸いもんだと思ってたよ。だから陸にある変な形をしたものを見るとどうしてあれは丸くないんだろうって不思議だったんだ」
「石ってのは流れて角が取れてこうなるんだ。最初は丸じゃねえよ」
「じゃあ、どんな形なんだい」
「知らねえよ……」
「取ってきな。流れてくる前の石を持ってきな!」
自分で持って来いと言った所で彼女は聞かない。面倒なことになったと寝ころんでいた場所から起き上がって立ち去ろうとしたかわうそは何かにぶつかった。
あまりに近いせいで黒く見えたものに驚いて後ろに転がりそうになった彼を捕まえたのはその力強さをよく知った腕である。
「前くらい見て歩かねえと怪我するぜ」
「あ、蒼さん」
アマビエとかわうそが名前を呼ぶのは同時だった。蒼坊主は陰になって見えない笠の内から唯一覗く口で笑顔を作って片手をあげる。
よう、とだけ発せられた何ヶ月振りかの邂逅の挨拶はあまりに彼らしくあっさりしていた。
「ねーえ」
かわうそを押しのけてアマビエは蒼坊主の腕に抱きつく。
「蒼さんなら知ってるだろ。川の丸い石は流れてくる前はどんな形だったんだい」
「そんなのどうだっていいだろ」
「煩いねえ! あんたにはもう聞かないよ!」
蒼坊主は二人の後ろに積み上げられた丸い小石の山を見て声を立てずに笑った。喧嘩の理由ははっきりとは見えないがきっとどうでもいいようなことが原因だろう。
そんなことで真正面からぶつかる二人が可愛く思えて仕方がない。どうでもいいことにまで目がいってしまうのはこの組み合わせの場合、幸せな余裕と焦燥がある証しだからである。
「さあなあ、俺も流れてくるのを見たことはねえから答えられねえよ」
「わからないのかい」
「ごめんな」
桃色の髪を撫でる度にかわうその表情が強張る。
「(わかりやすくなったなあ)」
蒼坊主は良くも悪くも掴めない奴だと思っていたかわうその内面がアマビエが横丁に来てからというもの豊になっていくのを好ましく思っていた。
お互い気づいていなくとも二人は特別な関係なのだと意識させられる瞬間が増えている。例えば、今。
「おうおう、そんな泣きそうな顔すんなよ。しょうがねえな。見に行くか」
「ええっ」
かわうそとアマビエはこれまた息ぴったりに叫んだが、その叫びに込めた思いはそれぞれ違っていた。
一方は期待と喜び、もう一方は驚きと焦り。
(しまった)
蒼坊主は眉間の辺りに見たこともない皺を寄せているかわうそに苦笑いを零した。
(いらねえ恨みを買っちまったみてえだな)
「さーすが蒼さんだよう。そこらへんのお子様とは違うねえ。そう言って欲しかったのさ」
「石なんてどうだっていいだろ! 見る必要なんかあるのかよ」
あのかわうそが怒っている。彼の普段を知っている横丁の仲間達も異変に気づいてざわめき始めた。
かっと頭にのぼった血を抑えられずに激した自分に一番驚いていたのはかわうそ自身だというのに。
「おい……落ち着けよ」
睨みあう四つの瞳は蒼坊主を映す余裕などなかった。お互いで精一杯である。
「あたいはねえ、それでも、あんたに」
かわうそは走り去ったアマビエにぽかんと口を開けて一歩後ずさった。石を踏んだ彼が足を縺れさせて尻もちをつく。
「あーあ。結局転んじまうのか、お前は」
それでも、言ってほしかった
2009.05031