あなた

□小朶
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「君が手中に春香有り」


弟子の詩の添削をしていた宋帝王の筆が止まる。後ろから小さな手が伸びてきて背中にしがみ付かれたのが分かった。


「幽人未だ香豊かに咲く花を知らざるなり」


春などに気づく情けある人間などはなから地獄などに堕ちぬわと返すと、むっとしたようでまだ子供の短絡さを存分に残したたどたどしい声が一気にまくし立てる。


「小朶作賦立風前、なんぞ花々姿を咲かせざる。先生が見ようとしていないだけです」


なんて感情に任せた詩だろうと彼が叱ろうとした時には童は寝息を立てていた。小枝に過ぎない体に己の知を詰め込もうとするのはやはり無理なのだろうかと溜息をついてその温もりを剥がし、肩を揺する。


出会った日の生気の無かった頬はもうなく、ぷくりと張った赤いそこに手を当てると少女はやっと目を開けた。


「先生、叱る気ですね」


「それは寝言ですか。それとも私を挑発しているのですか。それによっては怒るかもしれません」


(小枝。まだ蕾さえつけていない花からの誘惑だったと気付いたのはそれから何十年も後だった。花は散り、そしてまた萌芽して)


「…新生春光暗中に潜るか」


呟いても闇に落ちた花弁は朽ちたまま。唯一の救いはこの思いが実を結ぶ前にそれがなされたこと。


小朶春入作窈窕

梅影帯波老更妍

微雨九天愁裏色

香飛凍雪夢相牽


「…駄作ですね」



枝は笑みにけり


(お前の声が聞こえた。私はただ心が震えたのを感じたのだ)



「(小朶よ、大木となれ)」



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