あなた
□瞬息を渡り
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迎えられて『ただいま』と口にした時、心臓が握り潰されるような気持ちになった。ふらりと立ち寄ったつもりでも入口を潜ってしばらく歩くと誰かしらに気付かれて大事になってしまう。
夜ならばと闇に紛れて釣瓶火を辿り、奥へと向かっていると随分高い場所から名前を呼ぶ声がした。
「一反木綿か」
「珍しか人たい」
「は、俺は横丁じゃお客さんなんだよな」
刺のある言い方をしてしまい、しまったと一反木綿の方を見ると赤い火を受けて黙っている。
すまない、と頭をかくと彼は蒼坊主に背を向けた。
「出かけよう」
優しさと有無を言わせない強さを含んだ一言に一際鮮やかな白に跨がれば体は風を突き破る。
朔の中を泳ぎ、暗い森とまだ明るい店を見渡せる場所まで行くと一反木綿は蒼坊主をまた呼んだ。
話したってどうにもならない。だったら口にしたくない。一反木綿は彼の気持ちを知らず知らず尊重する形で何も聞こうとしなかった。
いくつか後の晩には細い猫の爪程の月が出るだろう方。見つめていると目の辺りが熱くなった。
「蒼さんは久しぶりに横丁に帰れたから嬉しくて、わっせ心をあっぱっとよ」
だから、泣きたくもなるだろうと彼は呟く。
理由は何でもいいのだ。与えられたそれをありがたく受け取る。
「…そうかもな。いや、そうなんだ」
「付き合ってあげてもよか」
「ああ、頼む」
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