W・main story

□俺にとっての・
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………時間的には後少しで親父は暖簾を出しに出てくる筈だ。
 この営業日の時間帯には親父は表の道路に水を打ち入り口に塩を盛り、暖簾を出す。
 これが、この平和な時代の親父のとてもありふれた日常。
 まだ、失われていない時間。
 この時代の親父はまだ誰にも狙われていない。俺が側にはいなかった時、知らぬ内に親父が不意の敵と対峙して退けたり闘ったりもしていない時代だ。
 ………あの頃俺は親父にそんな危険が近づいてるなんて知らなかった。
 段々敵襲が頻繁になって来くると、親父はご近所を危険に巻き込みかねないと判断して迷惑をかけないよう、長年馴染んで精一杯務めた竹寿司を畳んだ。俺にはいらぬ心配をかけないように、そっと知らない内にそんな事までやっていた。
 ………その頃の俺は、ボンゴレの事で手いっぱいだった。
 その後、時雨蒼燕流の全ての型を出しても適わなかった敵と親父は会ってしまった。
 ―――俺が、全てを知ったのは、もう俺を育ててくれた大きな存在を失ってからだ。
 
 まだ、ここは生きている親父がいる時代。何も失われていない過去。
 
 俺は電信柱に半ば隠れるような形で竹寿司の入り口を眺め続けた。
 黒づくめの男が二人、それも何をするともなしに電信柱の影にたたずんでいるだなんて、端からみたらさぞかし不審だろうと思うけど………でも、一目だけでも会いたかったのだ。
 十年後に戻ったら失われている幸せな平凡に。何でもない事だったのに宝のような日常に。
 獄寺は俺の後ろで黙って煙草を吸って、俺にただ合わせてくれている。
 
 俺はまるで引き込まれるように扉だけをみつめ続けた。しばらくすると、引き戸の扉がガラリと開かれた。
 ………早く姿を見たくて……でもまだ待って欲しかったような、不思議な気持ちが胸の中に沸き上がる。
 中から現れたのは………俺が一目でいいから会いたいと切望した親父の姿。
 俺が過去に来て、一番会いたかった、その人だった。
 鉢巻きをキリリと締めて、寿司職人の白衣をきっちりと着こなした姿。
 昔は当たり前のように目にしていて、俺が一番見慣れてた格好だ。
 いつもその姿で、部活でクタクタになって帰った俺にカウンターの向うから『おかえり!』と切れよく返してくれた。
 飯を食う時も、叱られて殴り飛ばされたときも、試合を応援に来てくれた時もあの白衣姿だった。
 何もかもが泣けそうな程に懐かしい。
 
 
 
 俺は食いいるように、親父の姿を見つめ続けた。少しでもこの目に焼き付けておきたいと思ったのだ。
 いっそ不仕付けな位に親父の姿を眺める。
 
 ………道路に水を打ち始めた親父は、しばらくしてから不意にこちらに顔を向けた。
 あまりに強い視線で見続けたから、気付かれてしまったらしい。じっとこちらを見つめ返してくる親父に、俺は慌てて顔を背ける。
 けどられない位置から眺めていたつもりだけれど、さすがは八代目として時雨蒼燕流を継承しただけはある人だ。
 こちらの気配を感じ取ったのだろう。
 
「獄寺、ありがと。………行こう」
 俺はこちらを見つめる親父に背を向けて、後ろで待っていてくれた獄寺に声をかけた。
 本当は一刻も早く守護者達やそれに関わる人間達を未来に送らなければならない時なのに、俺個人の我儘を黙って受け入れてくれたこの優しい恋人に感謝する。
 獄寺は厳しいけれど………本当は情に厚くて優しい。
 まだ、この時代の俺はそれに気付ききれてはいないけれど。
 
 
「いいのか?…その……声、かけねえで?」
 獄寺が躊躇いがちに聞いてくる。
「うん。これだけでも、もう十分だよ」
 俺が全く知らぬ内に親父を亡くして、それを人前である事も憚らずに嘆いた様を獄寺は側で見ていた。
 だから、余計に俺の気持ちを慮ってくれているに違いない。
 
 でも、俺は24の俺だ。この時代の14の俺とは違う。
 簡単に過去の親父の前に出てゆくには姿は変わってしまっているし、こんな突拍子もない現象を普通は受け入れられる筈もない。
 
 それに実際の所は、親父に会っても何を話せばいいのか解らなかったのだ。
 まだ起こっていない未来への懺悔を訴えたいのか、ただ懐かしんで慈しんでくれた事への感謝を述べればいいのか。
 ………いや、今俺が口を開いたら後悔の言葉しか出てはこないだろう。
 ここで親父を救う事も何も出来なかった自分を断罪しても、未来は変わらない。
 
 少しこの場を立ち退く事を渋った様子の獄寺を促して俺は歩きだした。
 本当ならば、一目会えただけでも奇跡に近い幸せなのだ。
 あの、大きくて優しくて暖かい父親にもう一度会えた。もう、それだけで。
 
 ………二人で揃って歩きだすと、後ろからカツカツと慌てた足取りの木下駄の音が俺達の後を追ってきた。
 甲高く地面を蹴るその足音の主が、さっきまで二人のいた電信柱のあたりまで走ってきて辺りを憚らない大声で名を叫ぶ。
 
 
「――武っ!」
 
 
 ………一瞬、時間の全てが止まったような気分になった。
 信じられない『突然』に歩きだしていた身体が止まる。
「オイ、武っ!」
 その声を聞くと、途端に息が詰まるように苦しくなった。知らぬ内に何度も唾を燕下する。
 俺は親父にどう反応を返したらいいのか判らなくて、まるで叱られた時のように背中を丸めて縮こまり俯いてしまった。
 鼓動だけは、早鐘のようにドクドクと激しくなってゆく。
 
「武っ!おめえ、武だろ?!そうなんだろ?!」
 
 ―――いつも店内で活気よく挨拶してるから、そのせいで少ししゃがれてるその声。
 でも耳には聞き心地よくすんなりと入ってくる低くて切れのある話し方だった。
 また、その声で名を呼んで貰える日がくるなんて。
 
 
 ………親父に名を呼ばれて、身体を固くして振り向く事が出来なかった俺の肩を無理やり押して獄寺が親父に向き合わせた。
 そして俺を親父に向き合わせたままで、獄寺は親父に向かい軽く頭を下げる。
「おおー、やっぱ武じゃねえか!それとそっちはもしかして獄寺君か」
「どもっす」
 
 こうしていても、まだ狼狽えたまま親父を直視が出来ない俺の肩を獄寺はガッチリ掴んで離さなかった。まるで『見ろ!』と言わんばかりに。
 戸惑いながらも、久しぶりに間近に見る親父の姿だった。
 
 ………でも俺は、やっぱり親父に何を言っていいのか解らなくて。
 
 一言も言葉を出せぬまま、ただ茫然として親父を眺めた。本当は、この出来事の説明などをせねばならないのだろうけれど、俺の喉からは、一声も出す事が出来なかったのだ。
 ………手を伸ばせば届く位置にいる、俺のこの世でたった一人の父さん。
 
 
「あー、なんでぇなんでぇ。でかい図体の男がそんな泣きそうな面すんない!ちょっと………いやかなりびっくりしてるけどよ、なんか訳アリだろ?それに自分ん家に帰ってくんのを子供が躊躇うんじゃねえよ!」
「お、やじ………」
 親父がニッと俺を見上げて笑う。
 小さな事など気にしない、まるで快晴の空を思わせる人柄だった。懐深くて頼りがいのある空気は、側にいるだけで人を勇気付けたり笑わせたりした。
 だから、親父の周りにはいつも人が集っていて。
 ………十年後の俺より大分小さいのに、そんなのは関係ない位に親父は頼もしく見えた。
 
「……なんだ?それともお前らにはウチに寄れねぇ位すげえ急ぎの用でもあんのか?そんなら………」
「あ…その…俺等は…」
「――いや、ねえよ」
 
 俺が口籠もりながら、親父の申し出を断ろうとすると、獄寺が俺を遮って間髪入れずにキッパリと親父に答える。
「確かに俺達は訳あって過去にいるから、そんなに時間はねぇけどな。でもこの野球バカが家に帰って茶ァ啜る位の時間はあるぜ、剛」
「おお、そうかい。ならちっとでも寄ってけよ。飯位喰ってけ。……勿論獄寺君もだぜ」
「当りめーだ。俺だけ外で待たす気かよ」
 
 獄寺は親父と軽口を交しながら、まだ茫然としている俺の背中をドン、と拳で強めに叩いた。
 その衝撃に、まるで夢から現実に引き戻されたようにビクリと身体を震わせた俺に、獄寺の小さくだけど強い声が飛ぶ。
 
「……俺等は無くしたくなかった大事なモンを取り戻す為にこっち来てんだ。まだ手段はゼロじゃねえ、きっと俺達は取り戻せる。ガキの俺達はきっと頑張ってくれる。………だから罪悪感で躊躇うな。お前は父親に胸を張って会っていいんだ」
 
 
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