X・sub story

□雪
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 天気予報で聞いてはいたが、グラウンドにちらつき始めた白いものに太一は動きを止めて、空を見上げた。自分がはく白い息よりも小さく、はっきりとした雪に目を細める。
 今年初めての雪だ。
 太一からのパスが来ないことを注意しようとした部活仲間も、太一のように空を見上げる。いっときグラウンドにいたほとんどの生徒の動きが止まり、皆の目が空に向けられた。
 風がほとんどないため、雪はまっすぐに地上へ落ちてくる。
「寒いな」
 ボールを転がしながら、やって来た友人がつぶやく。
 ユニフォームからむきだしの腕と足をさすって、太一もうなずいた。
「本当」
 雪が降れば、寒さが形を得たようで、今までは平気だった冷気が身に染みてくる。
「これ、つもればいいなあ」
「八神、集合って」
 冬なので、部活動終了の時間も早い。ホイッスルが鳴り、太一はもう一度空を見上げると、皆と一緒に駆け出した。



「外、雪が降ってるぜ」
 外にある自販機からコーヒーを買いに行っていた友人はスタジオへ戻ってくると、まずそう言った。
「え、マジで?」
 響いていたドラムやギターの音が消え、代わりに足音を立てて、皆が廊下へ出る。窓からは風が吹いているせいか、激しい勢いで振る雪が見えた。
 一番最後に出てきたヤマトは冷たい廊下に体を震わせた。
「冷えるな」
「結構降ってるぜ、石田」
 窓の外をながめ、ヤマトは眉を寄せた。
「これ、積もるんじゃないか」
「夜は止むんじゃねえの」
 気楽そうな友人の声に、ヤマトは眉間のしわを深くした。
 降るのはいい。積もるのもいい。だが、今日は太一がスタジオまでやってくるのだ。雪の勢いが強くなれば、なるだけ、太一がここまで来るのに苦労するかもしれない。
「なあ、バスが動く内に帰った方が良くないか」
「別に俺、バスは使わないけど」
「俺も」
 皆は不思議そうな顔で、妙なことを言い出したヤマトを見つめた。
 交通手段を言い訳にするのはよくないと、ヤマトは作戦を変えることにした。
「あ俺、よるところがあるんだった」
「友達が来るって言ってなかったか」
「……」
 悪気のかけらもない友人達の顔を見回し、ヤマトはがくりと肩を落とした。



「ヤマト」
 マフラーをなびかせて、太一はヤマトに手を振った。
 ギターを背負って、落ち着き無く、スタジオの前を行ったり来たりしていたヤマトは、太一に目を向ける。雪は止んでいるが、寒さはいっそう強くなっている。
 ずっと外にいたせいで、頬は強張っていたがヤマトは笑みを浮かべた。
「なに、にやけてんだよ」
 太一がヤマトに手を伸ばす。
 練習を早めに終わらせ、友人達を帰らせていて良かった。近くにある太一の顔にヤマトはほほえんだ。
「にやけてねえよ」
「中で待ってればいいのに」
 手袋越しでも充分に冷たいヤマトの頬を挟んで、太一は微笑した。
「太一を待ってたんだ」
 太一の手袋から、冬の澄んだ空気の香りがする。
 ヤマトは太一の手に自分の手も重ねた。
「そっか」
 太一は嬉しそうに笑みを深くした。
「遅くなって、ごめんな。ヤマト」
 太一の手のせいで頬があたためられ、ヤマトはもう少し太一に顔を近づける。
 暗いスタジオの前、もちろん人影は見あたらない。 顔を傾けようとしたヤマトだったが、太一はヤマトの頬から手を引いた。
「太一?」
 唇の行き先を失って、ヤマトはとまどった。
「走ってきたから、耳が痛くてさ」
 太一はすまなそうに言うと、自分の手で耳を押さえた。
 気をそがれたヤマトだったが、指の間から見える太一の真っ赤な耳朶に、驚いた。
「真っ赤だ」
「うん……痛いんだ」
 眉を寄せた太一の表情が痛々しく、ヤマトはそっと太一の耳に触れた。
「さわんなって」
「何でだ?」
 太一はうつむいた。
「遠慮するなよ」
 ふと苛めてやりたくなり、ヤマトは太一ともみ合った挙げ句、ついに太一の耳を押さえた。
「ひゃっ」
太 一が奇妙な声を上げるが気にせず、ヤマトは太一の耳朶をつまんだ。
 柔らかい耳を軽く引っ張ると、太一がじっとにらみつけてきた。
「止めろよ」
「暖まったらやめる」
「くすぐったいんだって」
 太一の困った顔に、俺も堪え性がないなと思ったが、どうしても我慢できなかった。
 再度顔を傾け、今度こそ唇を重ねた。
 体を包む冷気とは逆の熱い太一の吐息が唇にかかる。 抵抗しようとする太一の耳朶をくすぐると、すぐに唇がほどけていく。
「おい……」
 息をつくため、唇を離すと太一の低い声が届いた。
「ごめん」
 謝って、今度は舌を忍び込ませた。
 逃げようとする太一の舌も、耳を優しくいじればすぐにヤマトの言いなりになる。歯列をなぞり、外でするには深いキスをしかけた。
 太一の体から力が抜けていく。耳をいたずらしていた手を腰に回して、太一を支えた。
 思う存分、太一の唇を味わって眼を開けると、雪がまた降り出している。
「……場所、考えろ、このバカ」
 ヤマトの肩にしっかりつかまり、太一はか細い声でヤマトに怒った。
 太一のマフラーの感触を頬に感じつつ、ヤマトはまたごめんと謝った。
「お前、絶対悪いって思ってないだろ」
 反省という文字が今の謝罪にはこめられていないと太一はヤマトを睨んだ。
「……悪いとは思ってる」
「でも、またするだろ」
 それには答えようがないので、ヤマトは黙っていた。
 雪は降り、ほのかな明かりの下で二人きりだ。少しくらい、ムードに酔っても罰は当たるまい。
「俺、本当にやばかったんだからな」
 太一はため息をつくと、ヤマトを押しのけた。
 寒さが、熱くなった体をすぐに冷やしてくれる。 やばかったなとまだぞくぞくする背中を震わせた。
 あれ以上は本当に危なかった。
 どう危ないかと言えば、防音壁の貸しスタジオの中にヤマトとこもってしまいたいくらいに危なかったのだ。
「太一……」
 沈んだヤマトの声に、太一は笑いを堪えた。
「早く帰って、続きするぞ」
 さらりと言うと、太一は歩き出した。
 ヤマトは太一の姿が雪にかすんでしまうまで、立ちつくしていたので、どうにかヤマトが追いついたときには、太一の頬の赤さも落ち着いていた。
「太一、今」
「雪、強くなってきたな」
 隣に立ったヤマトに、さきほどの発言は嘘なのではないかと思わせるほど、邪気のない笑みを向け、空を見上げた。
 小さな明かりが、降ってくる無数の雪を照らしている。
「……ああ」
 聞き返すのもみっともなく、ヤマトはマフラーを巻き直すとうなずいた。
 頬に髪に、空からの雪がくっついて、溶けていく。
 黒とは言い難い髪の自分とは違って、太一の髪に落ちた雪は、結晶の形もよく見える。
 髪が濡れるのが嫌で、太一はフードをかぶろうとしたが、ヤマトは止めさせた。
「俺がやる」
 冷たい手触りの太一の髪に触れ、雪を払う。綺麗だなと、指先や髪に落ちてくる雪に思った。雪だから綺麗なのか、太一の髪に落ちたから綺麗なのかは分からないが、心からそう思った。
「自分の方、やれって」
 言いながらも、太一はヤマトの手を止めようとはしない。
 ヤマトの手が前髪から、耳の方へに移ったので、太一も手を伸ばすとヤマトの髪を払った。そうしていても、すぐに雪は髪に落ちてくるのだが、飽きもしないで、互いの髪の雪を落としあう。
 太一の睫毛の先にくっついた雪だけ、ヤマトは手ではなく、自分の吐息で溶かした。
 ヤマトの唇が瞼から離れてしまうと、太一はすぐにフードをかぶった。
 次に右手の手袋を外すと、つまらなそうなヤマトの手を取る。しっかり握り、自分のコートのポケットに入れた。
「人が来たら、出せよ」
「分かった」
 ポケットの中で太一の手を握り返して、ヤマトはうなずいた。
「人が来て、見つかりそうだったらな」
 そのときは体をくっつけて、うまくごまかそう。雪の勢いは強くなってきているし、視界もはっきりとはしないので、きっと家まで太一と手をつないでいられる。
「じゃ、帰るか」
 濡れた道路を滑らないようにして、歩き出そうとし、太一は白い息を吐いた。
「なあ、帰ったら……」
 暖かいものを飲むか、食べるかしたい。そう言おうとした太一だったが、ヤマトは上機嫌な笑顔を向けた。
「続きだぞ」
 太一は答えなかったが、ポケットの中の手も離れはしなかった。
「バーカ」
 言葉と同時に太一の手に力がこもった。
 ちっとも痛くはならない力の込め方だ。
 手をつなぐだけでなく、指をからませると、ヤマトは言った。
「バカでいい」
「……バーカ」
 悪態を付くたびに太一はヤマトの手を握りしめ、ヤマトはその太一の手を握り返した。
「バーカ」
「バカでいい」
 ヤマトの家まで、誰とも擦れ違わず、手も離れず、そして雪も止まなかった。

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