本編
□曼荼羅華【恐怖】
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ドゥドゥドゥ………
雪の道を、地響きを立てながら馬を駆る集団がいた。
羽林軍最速の駿馬と騎手に運ばれる、茶州州牧と医官たちである。
すでにこの強行軍を始めて4日、茶州までおよそ半分の距離だ。
武官たちは元気だが、秀麗と医官たちは馬上でぐったりしている。
一人元気な葉医師と、平然と馬を駆る柴凛は例外であるが。
それでも彼等の目に宿る、強い意志の光はいささかも衰えてはいない。
そんな集団のなかに、銀の髪も麗しい女薬師の姿は見当たらない。
彼女はなんと、貴陽を発つその日になって二、三日遅れて出発すると、あのにこやかな笑顔でのたまったのである。
そんな時間があるわけがないでしょ!?
――そう怒鳴りつけそうになった秀麗に向かって、髑美は必ず追いつくと断言した。
この選りすぐりの馬と騎手相手に、どうやって追いつくつもりなのか知らないが、やはり折れることを知らない髑美の言い分を仕方なく呑んでしまった。
最初の三日、四日は髑美なしで治療に当たらなければならない。
(彼女は本当に、何を考えているのかしら?)
王から“花”を二つも貰ったし、とそこまで考えて、秀麗はチラリと相乗りさせてもらっている人物へと視線をやった。
「あの…藍将軍!」
「何だい、秀麗?口を開けて舌を噛まないようにね」
全然冗談でないことを軽く口にしながら、楸瑛が返した。
「…炎家の人たちのこと、どう思いますか?」
「――えらく場違いというか…直球だね」
楸瑛は苦笑した。
「あ…すみません。でも、今でないと聞けないと思いまして」
「そうだね」
馬蹄音のおかげで聞こえるのは、他に吹きすさぶ雪まじりの風の音くらいだ。
並んで走る兵士たちはもとより、ぐったりしている医官たちに聞かれる心配はない。
「炎家、ね。私は初めは確かに、得体の知れない彼等を警戒していたよ。特に黒大将軍に勝った刀王にはね」
しかし、刀王は大将軍に勝ったという自負も何もなくて、いつまでたっても面倒臭がり屋でのんびり屋、にへらあとした締まりのない笑みの恍けた青年としか思えないのだ。
唯一、王の護衛だけは楸瑛に言われなくても率先してやっているが、それ以外は楸瑛が言わなければ何もしない。
あの、人をイラつかせる間延びした話し方とふやけた笑顔に、楸瑛の警戒心は1ヶ月も持たなかった。
櫻と鮮視についても、猜疑心を持った途端ニッコリと鮮視が微笑んできたり、別の話を振られたりして、いつの間にか気安い仲になっている。
いくら常春頭と同僚からののしられていても、楸瑛は藍家直系の四男。
藍家の情報網をもってしても、まったく謎に包まれている炎家の者を気安い仲と思うことはしない。
けれど、不思議にも疑惑や警戒は霧散していて、今まで気付きもしなかった。
仮にも“花”を二つも貰っている相手に、である。
「彼等のことは同僚だと思っているよ。でも…何を考えているのか、さっぱり分からないところは正直怖い、と思うよ」
「私は…炎家の人たちより、そんなあの人たちを信頼している主上のことが……分かりません」
“花”についてはもちろん、秀麗が呼び出された時に王といたのは彼等である。
楸瑛と絳攸は、別の重要な案件を任されていた。
王は用事のない炎家の三人を控えさせていただけで、彼等の方を信頼しているわけではないのかもしれない。
けれど、今回も恩赦のことにしても、王と案件を練ったのは彼等である。
……たいていの者は知らないし、知っていたとしても意識しない者が大半ではあったが。
「秀麗、でも……あの子たちは本当に王のためにいるんだと、それだけは自信を持って言えるよ」
だから、苦手な時もある。
楸瑛は苦く思う。
その姿を見せつけられるのが、本当に…苦手だと。
何故か言葉が出てこず、見ていないフリをしてしまうほど。
「――それって、本当に“王”のためですか…?」
「え?どういうことだい?」
「……いえ、何でもありません。すみません、変なこと聞いちゃって。急ぎましょう」
急ぐと言っても、もう精一杯馬たちは駆けている。
することがない秀麗は、遠い茶州に顔を向ける。
――『本当に“王”のためですか』
それは“劉輝”のためではないんですか?
恩義か何かがあるのか、彼等は王のために誠心誠意動いている。
それは少ししか話したことのない秀麗にも、よく分った。
けれど、彼等は王を名前で呼ぶ。
その時、彼等の纏う空気が柔らかく揺らぐことを、秀麗は悟っている。
王への忠誠心とは別の感情で、彼等は劉輝のために動いているのだ。