D*H

□欲しいもの
1ページ/1ページ


大きな手のひら。

優しい声。

跳ねた髪に、

明るい瞳。

整った顔が作る、あの笑顔。



そして…



【欲しいもの】


「Buon Compleanno kyoya…」


部屋の襖を開けて、外を見る。

もう暦の上では春になったのだけれど。

まだまだ少し、冷たい風が肌に染みる。


月の灯りでほのかに照らされる鯉幟が僅かに揺れ動き。

1年前の今もこうして鯉幟を眺めたことを思い出す。

それと同時に。
その時僕の隣にいた、彼の姿も脳裏に過ぎった。


1年前の今日。

今のように、僕は襖を開けて外を眺めていた。
一糸纏わぬ姿、ではあったものの、その背中には彼の温もりがあって。

決して、寒くなどなかった。

背中から伝わる体温は僕の全身を駆け巡り。
今思えば、全身で幸せを感じていた。

幸せ。

それがどんなものなのか、はっきりとはわからないのだけれど。

あの日、あの時。
もしも違う反応を返していたら、彼は今年も僕の隣にいて、あの幸せを感じていたのかと思うと、どうしても後悔の念を抱かずにはいられない。

今となっては後の祭。

ではあるのだが。


「Buon Compleanno kyoya」

今し方呟いた言葉を、もう一度口にする。

あれから、何度も自らで発したこの言葉。

時間が経つ内に、正しい発音を忘れてしまったこのイタリア語は。

彼が、最後に僕へとあてた言葉。



誕生日おめでとう、恭弥。

僕を抱きしめたその手に力を加えて、そう後ろから囁いた、彼。

口付けを交わしたその瞬間に、彼に口移しで飲まされた何か。


気がついたときには僕は布団の上できれいに横になっていて。

その隣に彼は存在しなかった。


それが、一年前の。
彼と出会って、8年目の今日の出来事。


それから、彼には会っていない。
それどころか、声も聞いていなければ、文字で会話すらしていない。

音信不通。
今、どこで、何をしているのかさえわからない。


それでも、初めは。

いずれ、すぐにでもあの締まりのない笑顔を携えて僕の元を訪れるのだと信じて止まなかった。

悪かったな、なんて言って欲しくもないようなどこからかの土産を僕に手渡す。

いらないよ、って僕が言えば。
まぁまぁ、なんてまるで日本人みたいに押し付ける。


そんなことを想像して。
思い込んで。



だけど。

ある時不意に気がついた。


彼はもう、僕の前には現れない。


悲しいとか寂しいとか。
そんな感情が色々、あるような気はするのだけれど。

ただ、虚しい。

そればかりが心を支配して。

空気を失ったような苦しさが幾度となく訪れる。


誕生日なんて。

元来からそれ程特別な日だとは思っていなかったのだけれど。


彼が現れて、毎年毎年飽きもせず“おめでとう”と口にする度に、この日が楽しみになっていたのは紛れもない、事実。

今年はどんなことが待っているのか。
そう思う度、今日という日は少なからず僕の中で特別になっていった。


それなのに。


今年は違う。
来てほしく、なかった。

今日という日。




そんな女々しいことを悶々と考えていると。
ふと、部屋に掛かる時計が目に入った。

長針と短針が綺麗に重なったのは、数分前。

今はもう、長針が2を少し過ぎたところだった。



1人だと、この数分も何事もなく過ぎ去ることを思い出した。

彼と一緒に過ごした8年の間は、彼が。

日付の変わるその瞬間をそれはそれは大切にしていて。

キスをしたままその時を迎えるだとか、
それこそ繋がったまま迎えるだとか。

毎年毎年こだわって。

少し呆れながらも、僕自身もそれに応じていた。

だけど。
今年は、それ以前の。

彼と会う以前の今日と同じで。

子どもだったあの頃のように、何事もなく。
ただただ時計の針が動くだけだった。




そんな状況に少しばかりの苛立ちを覚えて。

僕は冷蔵庫から一本のワインを取り出した。


グラスに注ごうと食器棚に手を伸ばしたところで。

“これ、恭弥が生まれた年のワインなんだぜ?”

彼、の声が脳裏に木霊する。


あれは確か。
僕が20歳になった今日、だったのだと思う。

彼はいつものように満面の笑みで、一本のワインボトルを僕の前へ差し出して。
僕が生まれた年のワインだというそれを楽しそうにグラスに注いでいた。

今日から堂々と一緒に酒が飲めるな、なんてそのグラスを僕に手渡して。
僕がまずいって一言言えば。
その内、これが美味くてたまんなくなるんだよ、なんて根拠のない自信をかざしたんだ。


どうして、なのだろう。

あれから僕は、ことあるごとに彼を思い出す。


彼の匂い。
彼の色。
彼の声。

少しでも似たものがあれば神経を奪われ。

日本でも、イタリアでも、他の国でさえも。

彼の姿をそこに探す。


居るはずがないのに。

どうしても居るのだと、信じてしまう。




「…生きて、いるのかな…。」


それすらも分からないのだ。



彼に出会ってから、もう、何度も過ごした今日という日。

5月5日。
僕の誕生日。



毎年彼がくれたたくさんのプレゼント。


首飾り、洋服、指輪。
ワイン、食事、旅行。


その、どれよりも。


ただ、今、この瞬間に僕が欲しいもの。



大きな手のひら。

優しい声。

跳ねた髪に、

明るい瞳。

整った顔が作る、あの笑顔。



そして…

Buon Compleanno kyoya…


正しい発音で綴られる。
僕への祝いの言葉。


決して別れの言葉ではない、
これからの未来を約束するその、言葉。


「…会いたいよ…ディーノ…。」



手にしたワインボトルが床に落ち。

ガラスの破片がそこに飛び散る。

じわじわと流れ出るワインからは、少しばかりの甘い香りがして。



僕は、その上に体を預けた。



かつて彼に抱かれた、その温もりを思い出して。




END





誕生日なのに…。
病んだ話ですいません;;

彼、に登場してもらうつもりで書き始めたんですが、いつの間にかこうなってしまって…。

雲雀さん。
誕生日おめでとうございます。

ここまでお読み頂き、ありがとうございました。

2008.5.5


D*H一覧へ
















.
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ