季節物

□心の声、本当の気持ち
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「違うもん!!パパのバカっ!!くそじじいーっ」

そう叫んで駆け出した娘に、言葉を失う。


もちろん、彼にも言いたいことはたくさんあった。

親に向かって「くそじじい」とはなんだ。とか、
まだじじいじゃない。とか、
そもそも「くそじじい」なんて言葉どこで覚えてきたんだ。とか、

「泣きたいのはこっちだ。」とか。

そう。彼の娘は泣いていた。
彼ゆずりの緑色の瞳に、涙をいっぱいにためて。


―――心の声、本当の気持ち。



「ササキ、泣いてたわよー。パパったら何言ったの。」


食卓に突っ伏している彼に声がかかったのは30分程経った頃だった。
意地悪な笑みを浮かべた妻が、向かいの席に腰掛けて彼の顔を覗きこむ。


「………ササキは?」


「泣き疲れて寝ちゃった。
大丈夫よ。ちゃんと言って聞かせといた。」


「………何を……。」


やっと上半身を起こして妻の顔を見れば、何が楽しいのか、覇気のない夫とは裏腹に爽やかな笑みを浮かべていた。


「「くそじじい」なんて汚い言葉使ったら、男の子にモテないわよ。って。」


語尾にハートマークなんて付けそうな勢いの妻にもう一度机に突っ伏す。
なんだか言いようの無い孤独感だ。


「アンタはお坊ちゃん育ちの良い子ちゃんだから、知らないのかもしれないケド、「くそじじい」とか「くそばばあ」って言葉の裏にあるのはね、憎しみとかじゃないのよ。」


顔を上げれば、妻はどこか遠くを見ていた。


「「くそばばあ」って、言葉にして思った瞬間、言い様がないくらいに後悔するの。
吐き出してしまったのなら、なおのことね。あの子はまだ、その段階。」


何か、思い当たることが、彼女の中に存在するのだ。


「解る?」


「え?」


「ササキの「くそじじい」の裏に何があったのか。」


軟らかい微笑みを浮かべた妻の思惑が、彼には解らない。

困った顔をした夫に、彼女は笑う。

「そんなんじゃ、今日のケンカは全面的にパパが悪いかもね。」

「えぇっ、なんでっ?!」

彼には実は娘とケンカしたつもりもなかった。
話をしていて、急に娘が怒り出したのだ。彼にとってはそれだけ。正直、何の話をしていたのかも思い出せない。
そのことが問題なのだということを、彼の妻は知っていた。


「あのね、覚えておいて欲しいの。
「くそじじい」とか「くそばばあ」って言葉は、自分を騙す為に使う言葉なのよ。」

「騙す?」


「淋しいって気持ちや、理解してもらえなくて悲しいって気持ち、もしも相手が嫌いな相手なら感じなくても良い気持ち、「嫌い」って思いながら言葉にして、自分を助けようとするの。」


それは、きっと、彼女が経験したことなんだろう。


「ササキ泣いてたわよ。
「パパ」が泣きそうな顔してたから、思い知っちゃったのよね。パパのことが大好きなことも、大好きなパパを傷つけちゃったことも。」


妻が呆れたように笑った。
夫の瞳から、涙がこぼれる。


「傷つけられた心より、傷付けた心の方が、傷つくことって少なくないのよね。」


妻の白く細い指が、夫の涙を拭う。
娘の言葉の裏にあった気持ちは、寂しさだったんだと、理解した。
あの時理解してやれなかった寂しさで満たされた心で。

「俺、父親失格じゃん。……ダメダメだよ。」

「ぜーんぜん。」


この女性の笑顔に、自分は今まで何度助けられたろう。


「ありがとう。」


あの子が目を覚ましたら、いちばんさいしょに抱き締めよう。




ごめんね。だいすきだよ。




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